前記事でちょっと触れた「流れ」について。
コンペやステップでいただくコメントには、かなりの割合で
「曲の流れが良かった(あるいは悪かった)」ということが書かれる(私だけかもしれないが)。
今年のシューマン<プレスト・パショナート>については、そりゃもう「<流れるプール>かっ!」と言いたいくらい、予選から本選まで「流れ(+構成)」についてはおほめいただいたのだが、
これ、別に私の弾き方の特徴でもなんでもなく、今までは
「もう少し曲が流れても良かったのではないかと思います」といったことを
これでもかっ、というくらい書かれてきたのであった。
もちろん曲との相性ということや、曲の持つ感じや速度指定と無縁ではないので、
今年いきなり弾き方が改善されたというわけでもないと思う。
今年の曲に限っていえば、「流れなければ溺れる」曲だったので、必然的に流れただけである。
よって「流れるプール」状態とも言える。
そういう人間なので、「流れない」演奏についてはいろいろと考えてきた。
まず初歩的レベルとしては
○ 指が回らない。
○ 曲のフレーズ感をつかみきっていない。
上級レベルとしては
○ 細かいニュアンスを出そうとするあまり、細部に神経がいきすぎて、すいすいと前に進まない・進めない・進めたくない。
○ ホールのフィードバックを聴いているうちに、流れより響きの方に気をとられた。
といったことがあるのではないかと、私、勝手に考えているのだが、
いずれにしろ、聴き手のことを考えるならば、このいずれをも克服して、流れよく弾きたいところだ。
私にとって、この「流れ」の鬼門は実はショパンにあるのであって、
流れが悪いことを自認せざるを得ない。
流れもなにもおそらく曲についての理解も練習も足りてない結果であろうとは思うだが、
和声的こまかなニュアンスと、息の長い歌うようなメロディーラインを同時に満たす演奏というのは、ほんとに難しいことだ。
歌を尊重すればそれはある程度流れるが、その下部に入念に作られた(仕掛けられた?)和声を考えると、どうしてもうまくいかない。
いや単に未熟なだけなのだが。
<向いてない>と片付けるのは簡単だし、ある程度<らしく>は弾けるようになるとは思うのだが、
心底「はまった」と思うショパンなんていったいいつになったら弾けるのかと思う。
弾けなくても、誰も困らないのだけど(笑)。
コンペやステップでいただくコメントには、かなりの割合で
「曲の流れが良かった(あるいは悪かった)」ということが書かれる(私だけかもしれないが)。
今年のシューマン<プレスト・パショナート>については、そりゃもう「<流れるプール>かっ!」と言いたいくらい、予選から本選まで「流れ(+構成)」についてはおほめいただいたのだが、
これ、別に私の弾き方の特徴でもなんでもなく、今までは
「もう少し曲が流れても良かったのではないかと思います」といったことを
これでもかっ、というくらい書かれてきたのであった。
もちろん曲との相性ということや、曲の持つ感じや速度指定と無縁ではないので、
今年いきなり弾き方が改善されたというわけでもないと思う。
今年の曲に限っていえば、「流れなければ溺れる」曲だったので、必然的に流れただけである。
よって「流れるプール」状態とも言える。
そういう人間なので、「流れない」演奏についてはいろいろと考えてきた。
まず初歩的レベルとしては
○ 指が回らない。
○ 曲のフレーズ感をつかみきっていない。
上級レベルとしては
○ 細かいニュアンスを出そうとするあまり、細部に神経がいきすぎて、すいすいと前に進まない・進めない・進めたくない。
○ ホールのフィードバックを聴いているうちに、流れより響きの方に気をとられた。
といったことがあるのではないかと、私、勝手に考えているのだが、
いずれにしろ、聴き手のことを考えるならば、このいずれをも克服して、流れよく弾きたいところだ。
私にとって、この「流れ」の鬼門は実はショパンにあるのであって、
流れが悪いことを自認せざるを得ない。
流れもなにもおそらく曲についての理解も練習も足りてない結果であろうとは思うだが、
和声的こまかなニュアンスと、息の長い歌うようなメロディーラインを同時に満たす演奏というのは、ほんとに難しいことだ。
歌を尊重すればそれはある程度流れるが、その下部に入念に作られた(仕掛けられた?)和声を考えると、どうしてもうまくいかない。
いや単に未熟なだけなのだが。
<向いてない>と片付けるのは簡単だし、ある程度<らしく>は弾けるようになるとは思うのだが、
心底「はまった」と思うショパンなんていったいいつになったら弾けるのかと思う。
弾けなくても、誰も困らないのだけど(笑)。
