子供のころのピアノ教室に関しては、ピアノのことより作曲関係の記憶の方がはっきりしていて、
ピアノレッスンの内容に関しては
「すごく厳しかった。よく手をたたかれた」ということくらいしか思い出せない(爆)のだが、
もうひとつ思い出したことがある。
とにかく楽譜が重かった。
どうしてそういうことになっていたのかよくわからないのだが、
たしか小学校高学年になると、
土曜日学校の授業のあとそのままバスを乗り継いで先生のお宅に通っていた。
しかも目が悪くなりかけていたので、眼科によって仮性近視の治療(?)をし、
その近くで弁当を買い、午後一のレッスンに向かった。
楽譜は何冊あったかというと、多い時は10冊だった。
どういうものだったかは、時期が前後していたり記憶が曖昧だったりなのだが、
たぶん以下のようなものだったように思う。
ハノン
チェルニー30番
チェルニー40番
バッハインベンション(2声&3声)
モーツァルトソナタアルバム
トンプソン
ショパンワルツ集
湯山昭等の日本の現代作曲家のもの
和声の本
・・これで9冊だ。もう思い出せないが、おそらく、ウェーバー等の単発の曲が入っていたのかもしれない。
また、モーツァルトとベートーベンを併行して弾いていた時期もあるかもしれない。
これをごらんになって「なぜチェルニーが2冊?」と思われるかもしれない。
当時、私のいた地域では、コンクールの課題曲が小学生(4~6年)は「チェルニー30番」と「インベンション」、
中学生は「チェルニー40番」と「シンフォ二ア」と決まっていた。
なので進度が速くてチェルニー30番が終わってしまっても、小学生の間はなんどでも30番をやらされたし、インベンションについても小学生のあいだはなんどでも弾いた。
中学生になって「ああ、これで30番を弾かずにすむ」と思ったら、
今度は40番&50番になっているのであった(爆)。
今考えてみても、これだけの楽譜を一度に持ち運ぶのは大変だったろうと思う。
これにベートーベンのアルバムなんか入ろうもんなら、肘が伸びそうだ。
今なら、レッスン用にコピーしてということもできようが、
当時は白い紙に黒字で印字されるのは高級なコピーであり、
「ゼ○ックス」(社名のまんまじゃないか!)と言っており、
コピーといえばまだ青焼きが普通だった(鹿児島だけじゃないですよね?)。
しかも、まだまだ「あそこのお母さんは運転できるんだって!」という時代で(鹿児島だけじゃないですよね?)、
どんなに荷物が重かろうが、バスでうんうん言いながら立って通って当たり前だった。
・・・悪かったね、昭和の香りで
ピアノレッスンの内容に関しては
「すごく厳しかった。よく手をたたかれた」ということくらいしか思い出せない(爆)のだが、
もうひとつ思い出したことがある。
とにかく楽譜が重かった。
どうしてそういうことになっていたのかよくわからないのだが、
たしか小学校高学年になると、
土曜日学校の授業のあとそのままバスを乗り継いで先生のお宅に通っていた。
しかも目が悪くなりかけていたので、眼科によって仮性近視の治療(?)をし、
その近くで弁当を買い、午後一のレッスンに向かった。
楽譜は何冊あったかというと、多い時は10冊だった。
どういうものだったかは、時期が前後していたり記憶が曖昧だったりなのだが、
たぶん以下のようなものだったように思う。
ハノン
チェルニー30番
チェルニー40番
バッハインベンション(2声&3声)
モーツァルトソナタアルバム
トンプソン
ショパンワルツ集
湯山昭等の日本の現代作曲家のもの
和声の本
・・これで9冊だ。もう思い出せないが、おそらく、ウェーバー等の単発の曲が入っていたのかもしれない。
また、モーツァルトとベートーベンを併行して弾いていた時期もあるかもしれない。
これをごらんになって「なぜチェルニーが2冊?」と思われるかもしれない。
当時、私のいた地域では、コンクールの課題曲が小学生(4~6年)は「チェルニー30番」と「インベンション」、
中学生は「チェルニー40番」と「シンフォ二ア」と決まっていた。
なので進度が速くてチェルニー30番が終わってしまっても、小学生の間はなんどでも30番をやらされたし、インベンションについても小学生のあいだはなんどでも弾いた。
中学生になって「ああ、これで30番を弾かずにすむ」と思ったら、
今度は40番&50番になっているのであった(爆)。
今考えてみても、これだけの楽譜を一度に持ち運ぶのは大変だったろうと思う。
これにベートーベンのアルバムなんか入ろうもんなら、肘が伸びそうだ。
今なら、レッスン用にコピーしてということもできようが、
当時は白い紙に黒字で印字されるのは高級なコピーであり、
「ゼ○ックス」(社名のまんまじゃないか!)と言っており、
コピーといえばまだ青焼きが普通だった(鹿児島だけじゃないですよね?)。
しかも、まだまだ「あそこのお母さんは運転できるんだって!」という時代で(鹿児島だけじゃないですよね?)、
どんなに荷物が重かろうが、バスでうんうん言いながら立って通って当たり前だった。
・・・悪かったね、昭和の香りで
