私はこういう方面のことを書くのは、ほんとに気がひけるのだが、
あまりにも気になる記事があったもので。
<自分は誰か、何者か。誰もが生涯かけて探る答えを天から受けてしまったら、人は人でいられなくなるのではあるまいか>
で始まる演劇評(朝日新聞掲載:西本ゆか氏)は、大阪松竹座で上演中の市川海老蔵「信長」についてのものだ。
<荒々しく猛々しく、戦いの日々の恍惚と狂気と、そして王者の寂寞とを見開いた目に漂わす、私たちが心の奥底で見たいと描いていた肉食の獣の信長だ>
<宿命を背負い、自らの才にのたうつ信長に、同じにおいを発する海老蔵という役者を得て、その精神像に鮮烈な具象を与えた>
シビれた。
いや、そうであろう。海老蔵の信長ならきっとそのようであろう。
もう見なくてもわかる(殴)。
だいたい私は「評」というものが好きで、自分がその作品を見ようが見まいが聴こうが聴くまいが、
本来言葉にし難いものを巧みに表現する、その腕に嘆息する。
ここに全文を載せるわけにいかないのが大変残念だが、この評自体が、
ポイントポイントに「仮借」等の語感の硬いものを配し、「写実」「抽象」「具象」の関連語をリズミカルに使い、
舞台から受けたある種の霊的なものによって筆が動かされた感がある。
こういう文章が生まれることで、舞台の出来はすでに語られたも同然、という気もする。
もちろん評が、現実を語りつくしていないことも、逆に上回ってしまっていることも、
はたまたスポンサーがらみの場合もあるわけだが、それもまた一興だ。どんな評でも聞かせていただきたい。
というわけで、その記事のとなりにあった、<尾上松緑「妖精パック」に挑戦(3月18日より大阪松竹座)>も気になる。
いったい、そのような「妖精」なのであろう?ちょっと想像がつかない。
これまた評の掲載が待たれる。
あまりにも気になる記事があったもので。
<自分は誰か、何者か。誰もが生涯かけて探る答えを天から受けてしまったら、人は人でいられなくなるのではあるまいか>
で始まる演劇評(朝日新聞掲載:西本ゆか氏)は、大阪松竹座で上演中の市川海老蔵「信長」についてのものだ。
<荒々しく猛々しく、戦いの日々の恍惚と狂気と、そして王者の寂寞とを見開いた目に漂わす、私たちが心の奥底で見たいと描いていた肉食の獣の信長だ>
<宿命を背負い、自らの才にのたうつ信長に、同じにおいを発する海老蔵という役者を得て、その精神像に鮮烈な具象を与えた>
シビれた。
いや、そうであろう。海老蔵の信長ならきっとそのようであろう。
もう見なくてもわかる(殴)。
だいたい私は「評」というものが好きで、自分がその作品を見ようが見まいが聴こうが聴くまいが、
本来言葉にし難いものを巧みに表現する、その腕に嘆息する。
ここに全文を載せるわけにいかないのが大変残念だが、この評自体が、
ポイントポイントに「仮借」等の語感の硬いものを配し、「写実」「抽象」「具象」の関連語をリズミカルに使い、
舞台から受けたある種の霊的なものによって筆が動かされた感がある。
こういう文章が生まれることで、舞台の出来はすでに語られたも同然、という気もする。
もちろん評が、現実を語りつくしていないことも、逆に上回ってしまっていることも、
はたまたスポンサーがらみの場合もあるわけだが、それもまた一興だ。どんな評でも聞かせていただきたい。
というわけで、その記事のとなりにあった、<尾上松緑「妖精パック」に挑戦(3月18日より大阪松竹座)>も気になる。
いったい、そのような「妖精」なのであろう?ちょっと想像がつかない。
これまた評の掲載が待たれる。
