先週(3月15日〜22日)はイベント続きで、

15日(日) 上田日帰り旅行

18日(水)    トロンボーンコンサートを聴く(ピアニストさんが知人だったので)

19日(木) 娘の卒業式

20日(金)   前夜より金沢旅行

22日(日)   グランミューズサロン

と慌しかったのですが、合間にはレッスンがありました。

16日(月) ピアノ

17日(火)    能(仕舞・謡)

21日(土) ドラム

 

 

ピアノは、現代曲(2006年に書かれた曲)の初レッスン、お能は『猩々』キリの仕舞が合格、

ドラムはリズム課題の1曲だったのですが、関係ないようで結構関係ありました。

共通点は体幹ならびに股関節。

 

ピアノの曲は、手の交差が鍵盤の最高音部までしつこくあるやつで、練習し始めの頃は、全く届かなかったんです。で、無理にやろうとすると椅子から落ちる。体の角度とか腕の向きとかいろいろ考えて、やっとなんとか届くようになりました。

レッスンでは初見で先生が弾いてくださいましたが、そう簡単なことではないことが判明。上半身の使い方もですが、観察していると下半身の使い方と体幹が重要だなあ、と。

 

お能の『猩々』は、私にとっては安座(あぐら)が大変で(関連記事↓)、股関節の違和感やら、膝の硬さやらは先生に申告していたのですが、とりあえずなんとか手を使わずに座ったり立ったりすることができるようにはなりました。一通り舞ったあと先生が「もうこれでいいでしょう。安座がピクピクしててちょっと苦しそうだし(笑)」と。ということで、次は『竹生島』になりました。

 

ドラムの今回の課題は、ハイハットを8ビートで開閉する必要があるのですが、バスドラの右足はまだしも、左足は今までのところほぼ使ってないので、非常に動きが悪い(泣)。たぶん動かすところが違ってるんでしょうけど、とりあえずは股関節が痛い。安座も左股関節がネックでした。

 

それと、これはピアノとお能でたまたまかぶった感じで笑ってしまうのですが、

ピアノは「……これ、若い人が弾くような曲では?」と先生に言われ、

お能では「(酔っ払ってゆるゆる動くはずの)猩々もどうしてもキビキビ感が残るので、いっそキビキビしたのやりましょう。『小鍛冶』か『竹生島』。あ、『小鍛冶』はやったんでしたね」と。

あちこち硬くて思うように動かないのに、いやだからなのか、落ち着きのない曲(ピアノもお能も)に走っているという(笑)。

ゆるゆる動くには柔軟さもいるのよねえ。。。。

 

 

 

 

3月22日(日)、暖かく桜の開花が待たれる日、シェ・クロード(@森下)での、グランミューズサロン「ゆうピアノの午後」が開催されました。

 

今回は11名のエントリー、1名急用での欠席‥ということで10名の参加となりました。(11名中初参加が5名、50代が7名)

 

プログラムはバッハ、ブラームス、ベートーヴェン等の王道曲の他、

ブルグミュラー、チェルニー、バロック小品集などなど、子供時代に弾いたことのあるような曲の演奏もあり、おとなが大事に大事に時間をかけて紡げば、こんなにも心に響く素敵な演奏になるのだと再認識。

またシサスクという作曲家の、いくつかの鍵盤を無音で押さえたまま、単音を星のように散りばめていく作品の演奏もあり、演奏後ピアノの周りにみなさんが集まって、奏法を確認する場面もありました。

 

初参加の方の中には、「ピティナのイベントに今までまったく参加したことがない」という方もおられましたが、「こんな大きなピアノ(スタンウェイのD型)を初めて弾きました!」と喜んでくださいました。

また、「昨年参加されたご主人に勧められて今年は奥様も一緒に参加」というご夫妻がおられました。ご主人が弾かれるブルグミュラーを聴いて「いいなあ〜」と感じ、奥様もピアノを始められ、またご主人が「ブルグミュラーコンクール」という目標を持って日々努力される姿にも刺激を受けられ、ご自身も現在ブルグミュラーに取り組んでおられるそうです。

 

初の試みもありました。

昨年8月の回の時、参加してくださった方に「連弾もいいですよね」とお声掛けしましたところ、今回のためにあらかじめ楽譜を送ってくださいました。私はセコンドを受け持ったのですが、合わせは当日のリハーサル2回。チャイコフスキー=ラフマニノフの「眠れる森の美女」でしたが、おそらく聴いてくださった方より、演奏者の方が楽しんでいたのでないかと思われます(笑)。

 

最後に今回のプログラムを参考に、私も短いソロを数曲弾きました。自分も弾いたことにより、今日のピアノのコントロールについて(懇親会でも話題になりました)一緒に考えることができて良かったように思います。

 

おひとりおひとりの演奏についてここに書くことができないのが残念ですが、みなさん心のこもった素敵な演奏をありがとうございました。またお会いできることを願っております。

 

 

【第1部】14:00〜14:30

 

1  

バッハ/フランス組曲5番アルマンド、ブーレ

 

2  

プーランク/3つのノヴェレッテ 1番 FP47-1

 

3  

ブラームス/6つの小品より間奏曲 Op.118-2

 

4  

チャイコフスキー作曲 ラフマニノフ編曲/眠れる森の美女より ワルツ(連弾)

チェルニー/ 30番練習曲集より第3番

チェルニー/ 30番練習曲より第26番

 

 

【第2部】14:45〜15:30

 

5  

ブルグミュラー/ 25の練習曲 やさしい花 Op.100-10

ブルグミュラー/ 25の練習曲 アヴェ・マリア Op.100-19

 

6  

ブルグミュラー/25の練習曲 なぐさめ Op.100-13

シューマン/子供の情景「詩人のお話 」Op.15-13  

ブルグミュラー/25の練習曲 舟歌 Op.100-22  

ブルグミュラー/18の練習曲 ゴンドラの船頭歌 Op.109-14

 

7  

ラフマニノフ/前奏曲 嬰ヘ短調 Op.23-1

 

8  

ベートーヴェン/ソナタ 第5番 第1楽章

平井康三郎/幻想曲さくらさくら

シサスク/ うららかな星、輝く星

 

 

【第3部】15:45〜16:35

 

9   

G.F.ヘンデル/インパーティネンス

G.P.テレマン/ファンタジア ト短調 

W.F.バッハ/春 

J.P.キルンベルガー/バレエ

W.F.バッハ/ブーレ 

C.ドビュッシー/子供の領分 より「グラドゥス・アド・パルナッスム博士 

 

10  

ハイドン/ ソナタ ハ長調Hob.XVI:35

 

11  

ベートーヴェン/ピアノソナタ第31番第1楽章

サン=サーンス/のんきなワルツ

 

仮装ぴあにすと

ヘンデル/サラバンドと変奏、ラルゴ(オンブラマイフ)、私を泣かせてください

シューマン/「子供の情景」より、見知らぬ国にて、大変なこと、トロイメライ

 

日曜日(15日)の上田旅行から中3日で、北陸新幹線再び。

昼は娘の卒業式でしたので、それに出席した後、家のことかれこれ済ませ、夜7時半くらいに乗車しましたが、(翌20日から三連休なので)グリーン席も含め満席というアナウンスあり(自由席はなし)。

 

38年ぶりくらいの金沢。

鼓門(つづみもん)初めてみました。

近江町市場そばの新しいビジネスホテル泊でしたが、

部屋に掛けてある写真がレトロだったり、フロントに置いてあるチラシが能の企画展だったり、どことなく風雅。

 

 

翌朝はお天気に恵まれ、散策。

近江町市場からの金沢城址。

昨晩もそれなりに寒くて、道ゆく人はダウンコートを着てましたけど、

朝もカバンにしまい込んでいたマフラーを取り出すくらいの肌寒さ。

 

白鷺はうちの近所の川にもいっぱいいますけど、

この庭園で見ると、格調高く、絵になります。

 

 

午前中はネットで調べてぜひ行きたいと思っていた金沢能楽美術館へ。

能楽関係の書籍やグッズの販売もたくさんあり、なにより装束や面の体験ができるんです。

観光客向けのものとはいえ、装束の襟は熨斗の形に開いているんだと教えていただいたり、

面をつけたら視野が狭くて動くのが怖い(般若みたいな目が大きいのはまだいいんですが)ことが体感できました。

 

2階の企画展は、能扇。

ふだんお稽古の時は、地味な仕舞扇なのですが、本番では色鮮やかな扇を先生が貸してくださるんです。曲によって選んでくださるのですが、どういう基準というか方向性があるのか今まで全くわからず…。この展示を見て、能の内容と扇の関連性についてだいぶ勉強することができました。

 

 

 

 

午後からは今回の旅の目的の「宝生流✖️金春流華の競演」@石川県立能楽堂へ。(先生が出られることもあり)

 

今日の対談で初めて知ったことですが、徳川五代将軍綱吉が宝生流に乗り換えるまでは、徳川御用達は金春流だったのだそうです。しかもそれに合わせて、加賀藩前田家も贔屓を金春から宝生に変えたのだとか。

 

……というわけで、金沢では「能=宝生流」といっても過言ではありません。

 

まずは二流を「嵐山」の仕舞で比較しましたが、同じ曲なのか?というくらい雰囲気が違いました。単純にいうと金春の方が動きが大きくおおらか。謡も宝生のほうがエネルギーが内向きな感じ。

 

お能は「杜若」「熊野(ゆや)」という三番目物(女性や貴公子が主人公のもの)同士が演じられましたが、それぞれの流儀の良さがでる演目だったような気がします。

「熊野」は大変有名なお能ですが、観たのは初めてでした。

お母さんが重い病気になったと聞いて、家に帰りたくて仕方がない熊野を、一緒に花見に行きたくて仕方がない平宗盛が、引き留めて引き留めて結局同行させるというパワハラ物語です(笑)。

憂いを帯びた熊野の面が、微妙に表情を変えるように思えて、最後まで見入ってしまいました。

 

 

 

今日は大学の卒業式もあり、ただでさえ美しい兼六園周辺の地に、麗しい袴のお嬢さん方が溢れ、ほんとに良い日に金沢に伺えて幸せでした。

金沢能楽美術館で着付けをしてくださった方が、「前田家の展示会が東京の国立博物館であるので、ぜひ行ってみてください!」と激推ししてくださったので、行ってみようと思います。

https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2740

 

昨日(3月15日)、長野県上田市に日帰り旅行して参りました。

 

朝6時半過ぎにうちを出て、池袋から8:20のバスに乗車。

11:50ごろに上田着。

上田といえば『真田氏』なので、駅にも電車にも六文銭の紋がいっぱい。

 

もうひとつ上田といえば「戦没画学生慰霊美術館『無言館』」。

とても良い機会なので、松本和将さんのリサイタル前の時間に行ってみることにしました。

 

まずどうやっていったらいいのかよく分からず💦

調べたところ、別所温泉方面に行く電車に乗り塩田町駅で降り、そこからバスに乗り『無言館入口』で降りる。で、そこから徒歩10分(実際はそれほどかかりませんでした)。

 

『無言館』は内田也哉子さんが共同館主(館主は窪島誠一郎さん)を務めておられたり、ヴァイオリニストの天満敦子さんがリサイタルをされたりということを聞き知っていて、いつか訪ねてみたいと思っていたのですが、実は私は広島の資料館もまだ行ったことがなく、過去鹿児島知覧の特攻記念会館に相当なダメージ受けたりで、そもそもが美術館苦手(絵に圧倒されて苦しくなる)な自分が耐えられるのか…

 

20〜30歳の学生たちが、応召や学徒動員で戦地へ行き、あるいは国内の工場等で爆撃を受け、あるいは病に倒れて、戦時中に多数亡くなったという事実。

概念として「多数」だったものが、それぞれの手紙や作品を通して、目の前に「個人」としてリアルに姿を現してくる重さ。同年代の子を持つ親として、戦争を知らない世代として、受け止められる限りは受け止めたつもりです。

ただ、ひとつひとつ見ていくうちに、「若さの持つある種の力」「芸術作品としての素晴らしさ(絵に疎い私がどこまで感じ取れたかは分かりませんが)」に、若くして夢絶たれた彼らに涙する一方で、残された者のやるべきこと、やらねばならないことを考える気力をいただけたような気がします。

 

 

 

 

『無言館』をあとにし、あらかじめ手配していたタクシーで〈スタジオシャコンヌ〉へ。

私が到着した開演10分前、すでに会場いっぱいの人。80名くらいでしたでしょうか…

 

「ベヒシュタインピアノ開きコンサート」ということで、

プログラムも、リスト、ベートーヴェン、ラフマニノフ、ショパン、と多岐に渡っていました。〈1936年ベルリンにて名工の魂が吹き込まれた一台が戦火と時代を超えて、今、スタジオシャコンヌに甦る〉ということで、90歳のピアノですね(弦等は換えたそうですが)。

 

プログラム、私は松本さんの演奏で聴いたことがある曲ばかりでしたので(ショパンのワルツ以外)、他のピアノとの比較が可能なのですが、

「このピアノは地声成分(非常に良い声)が多い」「スタジオの残響が短い(多数のお客様が入っていた故かもしれませんが)」ということで、1音1音の圧が半端ない感じでした。

「バッハみたいな、ペダル少なめで、音自体がきっちり鳴る曲がいいのではないかなあ」と思っていたら、アンコールで平均律1巻1番のプレリュード。流れるタイプの演奏ではなく、きっちり弾く感じで、このピアノと会場にぴったりな気がしました。ご本人のトークでもそんなことをおっしゃってました。

 

平均律と共にオーナーさんのリクエストで本プログラムに入っていたのが、ショパンのワルツ11番と13番。これは松本さんは人前で弾かれたのは初めてだそうですが、これも輪郭のはっきりした美しい音で、音数もほどよく秀逸でした。

 

……というのはあくまでも私の感想でして、会場は迫力あるリストのバラードやショパンのスケルツォ、英雄ポロネーズに湧きに湧いて、スタオベもちらほら。上田のお客様に大変喜んでいただけたようで、私まで嬉しくなりました。

 

2003年に出来心で受けてみたピティナのコンペティションですが(アミューズ部門という名称がグランミューズ部門に変わりました)、結局はその年から出続けており、出なかった年は3年のみです(2007、2009年は休みました。そしてコロナの2020年は開催されず)。

 

すごいね…と時々言われますけど、全然すごいことない(笑)。

さっさと優勝・入賞される方はもうそのカテゴリーには自主的に出ないわけで(出てはいけないという決まりはないような気がします)、

要は結果が出ないので(出た年もありますが)延々出続けている…というそれだけのことです。

 

ただ、出続けていてすごくいいことは、

たとえば2006年というと「シューマンのプレストパショナート」というように、即座に曲名が出てくることで、それをどこの本選で弾いたとかいうこともだいたい思い出されるわけです。

なので、今になって悔やまれることは、欠場した2007年と2009年の記憶がないこと(笑)。

ベートーヴェンのソナタも毎年弾いてるじゃないか…と言われそうですが、

これは実は何年に何番を弾いたと思い出せないんです😅ハンマークラヴィーアは覚えていますが。

 

……というわけで、過去の記憶のよすがとなるのがなぜかコンペ曲のみでして、

そこからの、子供が何歳だったとか、引っ越しした年だとか、選曲の理由(背景)とかまで思い出すわけです。

 

参加するにあたってアツい動機はもはやないのですが、年々の記憶のために今年も出させていただくと思います。

2004年3月(40歳直前)、ついに念願のグランドピアノ(C5L)を手に入れました。

 

実はこの半年くらい前でしたか、YAMAHAのショールームである楽器を弾いて、

「このピアノがほんとに欲しいけど、専業主婦の趣味には過ぎたお値段(いっても当時の価格なので180万円)」と思ったことがあったのです。

でまたまた、中古を探して、カワイの中古に決めかけていました。

‥‥ところが、なぜか家族や先生に反対され(グランドを買うことについてではなく、いきなり決めてしまうことに)、話は振り出しに。

そこへ「店頭から下げた楽器があるんだけど」という話が来て、どういう話か聞いてみたところ、ショールームにあったくだんの楽器だったわけです。店頭から下げたのは新商品が出たのでそちらをメインにしたい等、大人の事情があったのでしょうけども、この楽器を可愛がっていた調律師さんももれなくセットでついてくる(笑)、ということで運命を感じ、買うことにしました。

 

その翌年の2005年6月には、当時住んでいた借家のすぐ近くのマンションを買い、防音室を作って、このピアノを入れることになります。

 

というわけで、再開して6年程度の間に、楽器と環境については整いました。

ただ人間の野望というのは果てしないもので、「もっと練習時間が取れれば」「いろんな楽器や場所に慣れれば」「人前で弾く機会が増えれば」「すごい先生に習えば」等々じわじわと思いが湧き上がって来ます。

今ではそのどれもがほぼ満たされているわけですけども、だからといって上手くなったかというと「うーん、、どうかな‥」と思わないでもないです(笑)。

ただ当時はそれらの野望をなんとかしたかったので、弾き合い会に出かけたり、県外の本選で弾いたり、子連れでウロウロしていたような気がします。

ある意味、自分のノビシロに期待していた頃とも言えます。やってみないと分からないですし、やってみたからこそできるようになったこともたくさんある。

 

今は「『外的な条件』というのは、『内的な成長と充実』には及ばないのだなあ…というところに落ち着いた気がします。

 

ということで、とりあえずこのシリーズ「ピアノを再開した頃」はいったん終わりにします。

 

 

37歳にして中古のアップライトピアノをやっとこさ買った私は、

1歳に満たない娘をおんぶしつつ、ベートーヴェン=リスト「運命」1楽章を引っ提げ、

ピティナのコンペティション(当時はアミューズ部門という名称)に臨みました。

横浜みなとみらいホールの本選でいちおう入賞させていただいたのですが、

まさかここから20年以上にわたるコンペ行脚が始まることになろうとは、当時思ってもいませんでした。(2025年までで参加しなかったのは、2007年、2009年、そしてコロナ禍の2020年のみ)

 

大学サークル時代出入りさせていただいていた先生のご自宅ピアノは、スタインウェイとベーゼンドルファーでしたが、正直当時の私には猫に小判状態。35歳にして再開してやっと、「電子ピアノじゃできないことがあるなあ」ということに気づき、ようやく中古のアップライトを買い、嬉々として練習していました(アコースティックピアノが買えなかったのは、それまで住んでいた東京での住宅事情等もあります)。

おそらく……電子ピアノからアップライトに替えた頃、ドビュッシーの『水の反映』を練習していたのでは?と思うのですが、「先生のお宅のグランドで弾くと全然違うよねえ」と思って、せめてアコースティックに替えたいと思ったわけです。

 

その後、今度はアップライトでラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』を弾いたわけですが、なんといってもシフトペダル(ウナコルダ)がない。アップライトの1番左のペダルは音が小さくなるだけで音色は変わらない。(←ならば「技術でなんとか近づこう」という発想は当時ありませんでした)

今考えてみると、別にフランスものが好きなわけでもなかったのに、アップライトピアノで表現するのがなかなか困難な曲ばかり弾いていた(弾かされていた)のは、先生のなんらかのの思惑?(笑)と思わないでもないですが、

当時の調律師さんにはそれはそれはご無理をいい、しょっちゅうおいでいただいては、無理難題(汗)をお願いしていました。

やがて「その要求はアップライトピアノでは無理なことなのだ」と分かる日が訪れ、やっとグランドピアノを買うことになります。2004年3月、アップライトピアノを買ってから2年半後のことでした。(続)

 

 

昭和39年(1964年)生まれの私は、いわゆる高度成長期に子供時代を送り(どこのおうちのお父さんもモーレツに働いておられた時代)、バブル期に就職した年代です。

おそらく、アップライトピアノが売れて売れて仕方がなかったような時代に音楽教室に通っていたのだと思います(よって同世代の再開組は異様に多いはずです)。

アップライトピアノを買ってもらったのは、多分小学校2年くらいの時だったような気がします。ハイフィンガー奏法でがんがん教え込まれていたせいか、あまり音色がどうとか感じた記憶はないです。

 

さて35歳の再開時に手元にあったのはRolandの電子ピアノでした。

これは就職して2年くらい経った、24歳の時に手に入れたものだったと思いますが、

ほぼ弾く時間などはなく、頼まれた時にちょっと弾いてみるくらいでした。

再開して1回目の発表会は、シューマンの『幻想小曲集』から〈なぜに〉と〈飛翔〉。

不思議なことに、何も苦労した記憶がないんですね。練習、暗譜、緊張…なにも覚えていない。『平均律』とはえらい違い(笑)。(少なくとも45歳までは暗譜で苦労した記憶はないのですが、45歳でぱったりダメになり、それは年々悪化しています。)

 

広島に転居して半年ほど経った2001年10月(37歳)に、中古のアップライトピアノを買いました。

昨晩記録を見てみたのですが、YAMAHAの U2だったようです。中古のアップライトでしたけど、気分的にはもう怖いもんなしでした。このピアノでドビュッシーの『映像第1集』を弾き、ベートーヴェン=リストの『運命』を弾き…。

『運命』で、初めてピティナのコンペティション(当時はアミューズ部門)を受け、まさかの予選通過をしてしまったせいで、本選のため家族で上京(正確には、横浜みなとみらい小ホール)することになりました。当時息子は小学校1年、娘は生後10ヶ月。(続)

最近、「大人になってからピアノを始められた方」「大人になってピアノを再開された方」とご一緒したりお話しする機会が多くあります。

私自身も後者であるわけではありますが、この方々の熱心さには圧倒されるものがあります。

ブログやSNS等々も拝見するのですが、とくに首都圏の方々はステップや弾き合い会に実にまめに参加されている。そしてグランドピアノを購入される方もかなりおられる。

 

私は、YAMAHAの幼児科、J専を経て13歳まで鹿児島でピアノを習い、大学4年間ピアノのない環境の下ピアノサークルに所属し、あとはぱったりやめて、35歳からゆるゆると再開した……という経歴です。

果たして自分は、今接している方々のように熱心にピアノを追い求めていた時期があったであろうか?

私の知人で「急に楽器に没頭するのは、現実生活が満たされてないからだ」というある種の迷言(名言?)を吐いたものがおりますが、再開当時私は育児に振り回され、といって仕事を始められるでもなし、ずーっと家と公園、家と子供の習い事の日々で、自分としては閉塞感でいっぱいでした。

習い事として子供を音楽教室に連れて行くも、先生にちょっかいを出したり、脱走したり、走り回ったり、ほぼ謝りに行ってるようなものでした。

「自分はやりたいことも我慢して連れてきてるのに、なぜ毎回こんな状況?」

‥‥自分も習えばいいじゃん‥というわけで、学生時代お世話になった先生のところに通い始め、まもなく広島に移ってからは歩いて数分の先生にお世話になりました。

広島には友人知人ゼロでしたので、ピアノの先生が当時唯一の大人のお友達でもありました。

 

というこのころは、ピアノはRolandの電子ピアノ。

10数年ぶりに楽譜を広げましたが、何が何だか分からない(今考えてみると、長期のブランクのあと、なぜやったこともない平均律の1番からやり始めたのか😅プレリュードだけならともかく、フーガもあるのに)。

調号とか臨時記号を一個一個確認しないと分からないし、加線は数えないとダメ。

まして両手で弾くとなると吐きそうなくらい疲れる。

それと残念だったことは、なんとなく備わっていたはずの絶対音感とか相対音感がまるで失われていて、「どの音を聞いてもド」状態だったこと。よって、間違った音を弾いていても、手元を見ないと気づかないわけです。

指が動くとか動かない以前の問題が多すぎて呆然としました。(続)

先日アップした『防音室の愉しみ』という記事へのアクセスが、予想より好調でして、

これは〈防音室〉というワード検索なのか、内容に多出する〈バッハ〉なのか悩むことしばし。

「実はバッハの話である」ことは読んでみなければまったくわからないことなので、

もしかするとみなさん〈防音室〉にご興味がおありなのかと思い、今日は〈防音室〉の話です。

 

私は2回防音室を作っています(もちろん依頼した方です)。

1回目は2005年広島のマンションに移った際、5.9畳洋室丸ごとYAMAHAのアビテックス(自由設計)にしました。それ以前一戸建ての貸し家にいるときに、C5Lを購入していたので、サイズ的にはギリギリ。まさに狭いピアノスタジオ状態。

設計が良かったのか、部屋の外には何も聴こえませんでした(階下の方が「全然聴こえないけど、上の人は練習してるのかなあ」と言っておられたとか)。そしてこれはちょっと残念なことでしたが、子供達の練習も全く聴こえず。

というわけで、クラスター奏法があるような現代曲も自由に練習。

ちなみに当時は、ほかの家族3人も何らかの楽器をやっておりましたので、17年間で元は取ったと思っております。

 

 

 

2回目は2022年、今の家に転居した際です。(こちらには、YAMAHAのC3X espressivoを入れています)

7畳強と若干広めですし、アビテックスみたいな無機質な感じでない方が、部屋の雰囲気を残せるな〜と思い、友人のつてで、音楽スタジオ・サロンの設計をしている方にお願いいたしました。

若干外には聴こえますが、ピアノがある側のお隣との間には庭と階段もあることですし、

なにより、2方向の掃き出しの窓をそのままにしていただいて(二重窓ではあります)、外の景色は見えるし、吸音が強すぎない分、響きが自然でとても気に入っています。

ついでにこの部屋で寝起きしてますので、静かで気温変化も少なく、結果的に過ごしやすい部屋となっています。

ただせっかく防音室にしたわりに、今は演奏活動も教えることもしておりませんし、家族も今は楽器を誰もやっておりませんので、結果的に完全に趣味の投資になってしまったなあ…とは思っています。

 

楽器購入も防音装備も資金のいることではありますが、マンションや家購入時の、ある種の金銭感覚麻痺状態の時にやってしまっており(笑)、……結果オーライです。