1954年の作品

それが
今でも
考えさせられる内容だってのが
なんだか驚く

当たり前といえば
当たり前なんだけど

変わらないものは
変わらないって

なんだか凄いことだ

それって
嬉しくもあり
悲しくもあるけど


この映画は
高校の国語の時間に見たのが
最初で
もちろん感想文を書かされたわけで
どんなことを書いたかは覚えてないけども

でも
その時は
日本で裁判員制度が始まる前だったと思う
だから
自分の身には起こるまいと思って見ていて
アメリカの陪審員制度って怖いなぁ・・・と

だから
裁判員制度が始まるってなった時に
真っ先にこの映画を思い出して
責任の重さを考えてしまった

まぁ
この映画が言いたいのは
陪審員制度について
ってことだけじゃないのは
十分わかっておりますが・・・

高校時代の若かりし自分には
あぁ
こうやってたった一人でも
きちんと意見を言って
流されずにいるってことは
大切なことなんだなぁとか
きっと
そう言うことを
考えたりしたはずだ

私はあの映画の中だと
誰なんだろう・・・とかね
誰になりたいか・・・ではなくて
今の時点で誰なのか

それは
高校時代と変わったのかな・・・


今見てみると
裁判にかけられている息子の顔がアップになったりして
見てる人が
無実を
信じやすくなるように
作られてるなぁ・・・って
思ったりし
偏見の塊だった人が
みんなに話を聞いてもらえなくなったら
コロリと意見を変えるのも
なんか
あっさりと言うか
そりゃ誰も相手してくれないから
変えなくちゃいけないけど
その変え方では
だめじゃないの・・?
と思ったりしたけれど・・・


三谷幸喜監督の
「12人の優しい日本人」
こちらは
やはり本家を見てから
「ザ・日本人感」を楽しんで見るのが
面白いでしょうな