紀香が出てきて
あっ
これ見たな・・・と気づく

きっとテレビでやってて
途中から見たんだろうなぁと
思われます

だから
始めの部分は
きっと
初めてだった

電気が突然使えなくなる
その状況を描いているのだけど
その原因は
最後の方に
さらりと出てくる程度

それで良いよね

だって
電気が突然なくなったら
どうするの?

それがメインだから

変に原因を
しっかり伝えようとすると
余計に
そんなこと
起きないし・・・
とか
考えちゃうから

私の中で
好きな人
の条件というか
こんな人が
好き
ってのに

電気がなくても
幸せな人

ってのがある

この
好きってのは
異性とか
恋人とかって
ことじゃなくて
もう
人として

Buckcherryの
Check your head
のなかに
Be happy with nothing
と出てくるのだけど
この言葉は
結構
心に留めている言葉で
そうなりたいと思ってる

そして
私は
うねうねと
「もし」
と言うこと
考えるのだけど
その
「もし」
の中に

この世に人間が
自分一人になったらどうするか

ってのがあって
これは
定期的に何度も考えているので
このブログにも書いたかもしれんが
それはそれじゃ

また書くと
この
「もし」

なんで一人になったのか
ってのは
適当に・・・
なぜか突然
周りの人が消えた
と言う前提

核戦争とかだと
もう地球がダメになっちゃってるし

自分が謎のDNAを持ってて
全人類が伝染病で死んでも
自分だけ生き残るとかも
ダメ

周りの人が
苦しんで死んでいく姿を見てしまったら

多分
鬱になって
死んじゃう

だから
そう言うことではなく

なぜか
突然
全人類が消えちゃって
自分がたった一人ってのが
これまた
なぜか分かってる
そうじゃないと
どこかに人がいるかも・・って
探すかも知れないので
探す必要はない
のが良いので
それを分かってることにするのですね

それで
なんでこんな
「もし」
を考えてるのかと言うと

私は
他の人がいないとダメなのか
それとも
一人でも平気なのか
って思ったのが
発端なんだけども

そのうちに
一人だったら
世の中が
全部止まるな・・・
そしたら
どうしよう

って方に
集中してしまったのだけども

まぁ
その状況が
電気がなくなったって状態と
似てるわけですよ

まぁ
映画は他に人がいるってのが
違うんだけどね

他に人がいない
電力を起こしてくれる人もいない
だから
電気がないってことです

今の世の中の
ほぼ全てのことが
他の人がしてくれてることによって
成り立ってる
電気を起こすのを
水を飲めるのも
食べ物を作ってくれるのも
だから
その辺りが全て
止まってしまうわけです

だけどね
車は動くんだよね
ガソリンが入ってれば
だから
持ち主のいなくなった車も
使えるわけ
長いことエンジンかけないでおくと
車は使えなくなるらしい・・・ってのを
聞いたことがあるから

あっ自分は一人だ
これから
一人で生きていかなきゃ・・・
となったら
できる限り
暖かいところに行きたい
電気のないところで寒い冬を
一人ぼっちで越すのは大変だからねぇ

だから
オートマしか運転できない私が
運転できる最大限大きい車を
探し出して
ホームセンターで
便利そうなキャンプ道具関係から
米やら
自分で作るのは難しそうな小麦とか
缶詰とか長期保存できる食料を詰め込み
図書館にもよって
サバイバルに必要な本もゲットして
南下するのです

車の運転は大嫌いだけど
他の車がないから
高速だって
乗れるので
バァーーーーっと
行けるわけです

このあたりは
人がいないことで
映画より
楽チンな点

他の人がいると
映画に出てくるように
持ってる人と
持ってない人が出てきて
お金が意味をなさなくなる世界では
人間力が試されるよね・・・
お金がなくなったら何が大切か
農家さんは強いよね
そして
お金で買える物しか持ってない人間は
弱いよね
でもって
譲り合うことができるか・・・
お金っていう基準がなくなると
難しくなる
物々交換は
お互いが
これあげるから
これちょうだい
って納得しなきゃできなくて
途中に出てくる
お米屋さんは
相手の足元を見てるところがあって
鯛1匹にそれだけかよ・・って
思ったりするけど
まぁ
鯛を渡した人も
それで納得して
帰っていったわけですが
豚を飼ってた
農家のおじちゃんと
近所のおばちゃんの
卵と野菜の交換のベースは
何をもらえるかじゃなくて
相手に
何をあげるか
それがベースになってて
これが相手の役に立つなら
って
お互いに思って交換する
お金で測ると
あの大量の卵とお肉と
あのお野菜では
釣り合いが取れないと思うのだけど
二人はそれは気にしてないのだよね
だって
お野菜食べたいし
育てるのだって
今日タネをまいて
明日採れる訳じゃないし

でもね
人がいない
っていう
私の設定では
自分でしなきゃいけない訳ですよ
全部
お金なんか
全く意味のない世界になるし
物々交換だってできないわけで・・

そうすると
映画に出てきたみたいな
豚を殺したり
はたしてできるだろうか・・・と
目の前で屠殺されるのは見たし
それを見て
可愛そう・・・だから食べれない
とかじゃなくて
感謝して食べようじゃないか
そう思ったわけだから
まぁやれるかも・・・と思ったりするけど
でも
魚で良いかな・・・って
魚をしめるのもドキドキだし
あの最後の「ぶるっ」ってくる感覚とか
やっぱり慣れないし
だけど
鶏は育てる
肉目当てじゃなくて
卵目当てで

牛乳のために
牛か
ヤギってのも
手かも知れない
そしたら
大変だけど
バターぐらいは
頑張れるかも

この辺の知識は
車に詰め込んだ
図書館の本を利用します

ちなみに車の手入れの仕方とかの本も
ゲットします
燻製の作り方も良いよね

あとは
まず
猫と犬を
手なづけて
暖をとれるようにし
人がいないことに気づいて
山から出てくる野生動物とも
戦えるようにするわけです

そしたら
一人でも
生きていけるかも
結構笑ったりできるかも

そう思ってます

病気になったら
お医者さんいないから
もう死を待つしかないけども
とりあえず
怪我に気をつけて
ただただ生きるって
楽しいかもなぁとか

そういう状況で
エンターテイナーの人は
オーディエンスがいなくなるから
生きるの辛いんだろうな
と思ったりする

ミュージシャンは
一人でも歌を作って
風に乗せてしまったりするのだろうけど
エンターテイナーは
他者がいてこそだから

ミュージシャン=エンターテイナーではなくて
あぁこの人は
人がいなくても音楽を作ってるだろうなぁ
という人と
あぁこの人は
人に届けたくて作ってるんだなぁ
という人がいて

人間は
エンターテイナーか
そうじゃないか
ってとこで

一人でも
生きていけるか
そうじゃないかが
決まる気がする

どっちが
良い
悪いじゃなくね

一人でも生きれるって
寂しい気もするし
人がいなきゃ生きていけないって方が
ロマンチックだし

だけど
私は生きていけるタイプだと
思うんだな

音楽が自分の中から流れ来る人間じゃないから
電気がないと
音楽がもう流れなくなっちゃうのは
寂しいんだけどね
楽器があっても
きっと弾かないな
鼻歌くらいは歌うんだろうけど

天気や災害以外だと
野生動物が怖いけど
日本の場合は
クマが一番怖いくらいかな・・・
日本でよかったなぁなんて
思うけど
クマなんかより
蚊とか
毒グモの方が
気づかないうちにやってきて
殺しにかかってくるんだろうな
鉄の柵を作っても意味ないし
蚊帳は作るの大変だから
車が動くうちに
探し出して保管しておかなきゃなぁ・・・
猟銃を手に入れとく?
銃だったら
殺しやすいんじゃない?
そしたらお肉も食べれるじゃん・・
あぁ
やっぱ銃って卑怯な武器だなぁ
命を奪う重みが軽くなるよなぁ・・・


こんな風に
うねうねと
私の「もし」の妄想は
続くのです
なんせ「もし」の話だから
答えなんてないから

そして
あぁ私は
be happy with nothingができる人間なのか?
と振り返り
文明に踊らされているだけじゃないか?
金に惑わされてないか?
生きる力は持ってるか?
そんなことを考えたりしてるわけです