the Danish Girl


うーん
うーん

実際の話を脚色していて
事実とは異なる点があると言われると
どうコメントして良いか分からないが

どういう話か全く分からず
エディが女装をしたということだけしか知らずに見てた
だから
最後にまさか亡くなってしまうとは思わってなかったので
えっ・・・と思いながらのエンディングだったのだけど

映画全体としては
奥さんの目線で見ていたので
いやぁ愛する人が女性になってしまうって
消えてしまうって
辛いよなぁ〜と
人を愛するってことが
性別で左右されるって
悲しいことだけども
あるわけで
あぁこの人素敵だなぁと思っても
その人が女性の場合
私の場合は残念ながら
ドキドキとかにはならなくて
それは
私の意識を超えているので
自分でも驚くというか
なんでだろうと思う

そうじゃない人
性別に左右されない人が
羨ましくもある

だから
逆に
同性を好きになったり
体と心の性別が異なっているってのも
自分が男性を意識的に恋愛対象として選んで
意識的に女性を除外しているわけではないのと同じで
自分の意識を超えて感じることだというのは分かるので
そのことで辛い目に合わなくてはいけないのは
やはりおかしいことだと思う

映画の中で
リリーがヘンリクと歩いているところを
奥さんに見られた後で言った言葉が
彼は同性愛者だから友達だ的なことを言うわけですね
手術前のリリーのことは
アイナーだと分かっていて
恋心を抱いていたのに
手術をしたら
恋愛対象から外れるのかい?
この辺が不可解でした
それって体が変わったことで?
女装する前と後なら兎も角・・・
うーむ
うーむ
素敵な女性と思っていた人が
男性になる手術をした途端に
恋してしまうってことは
ないように思うのだけどね

男の子たちと付き合っていたのに
気づいたら女の子と付き合っているということや
その逆がフィリピンではよくあって
自分で気づいてて同性を好きになって
でも相手が同性愛者ではない場合もあって
それでも愛を伝えて
相手が変わるってことも
結構あって
私ももしかしたら女性に好きになられても
心が動いたりするんだろうか・・・なんて思ったりする

なんというか
そんな不確かなもので
自分のコントロールを超えたことで
でも生きるのにとても大切なことで
差別をされたり
辛い思いをするのは
やっぱり違うと思うわけで

ましてや
体と心の性があっていないというのは
やはりとても生きにくいことで

エレン・ペイジが
女性を好きだと公表し
女性と結婚し
その後でトランスジェンダーとして
改名もしてエリオット・ペイジになった

これって
あれ?元々女性が好きだって言ってたよね?
今になって公表?って言われるのと思ってしまったのだけど
そうではなくて
女性として女性を好きなんじゃなくて
心は男性だと言うことでなのだなぁと
そのあたりの自分の無知さに
はっとした

正直
彼らの生きにくさとかは
理解しきれないのだと思う
だけど
人を愛することは
素晴らしいことなのだから