後藤さんは殺害されてしまった
後藤さんと
湯川さんが
人質になったことについて
自己責任
そういう議論があるのは
知っている
湯川さんの渡航目的は
いまいち分からないので
ここに書く主張はないのですが
湯川さんが捉えられたという情報があった時
私は
何をしただろうか
何か動いたのだろうか
もし後藤さんが
私のようにイスラム国に
そこで起きていることに無関心を装っているのではなく
現地に足を運んでいた湯川さんに対し
同じ日本人として
同じ人間として
何か動かなければと思っていたのなら
同じ日本人として
同じ人間として
何もしなかった私にも責任があるんだと思う
後藤さんが
危険を承知で
現地の声なき声を伝えようとするのは
私のような無関心な人間に
何かを伝えるためではないのか?
無関心を装っても
時は過ぎていく
でも
それではいけない
そう現地に向かわせたのは
無関心の私たちを起こすためではないのか?
私たちが
そこで起きていることに
目を向け
声をあげていれば
違ったんじゃないだろうか
湯川さんが捕虜になったことに
何か動いていれば
後藤さんが向かうことも
なかったんじゃないか
フィリピンで良く言われてたことは
日本は国として弱いってこと
だから日本人が現地の人に騙されて
刑務所に入れられていても
大使館は
アメリカほどは動かないってこと
逆に言えば
アメリカ人はすぐに国が動くから
なるべく有罪は出さないというような声もあったこと
もちろん
その国の人を殺したり
傷つけておいて
私の国で裁きますから
はい、さようならぁ
っていうのは
それはどうかと思うのですが・・・
ただそういうことって
今回は全く国の動きってのは
どうだったんだろうか
湯川さんの一報が入った時から
それはもちろん極秘で動いているのだろうが
どのように動いていたのだろうか
国のやること
政府のやることは
私に関係というわけではない
それは
私たちの責任でもあると思っている
後藤さんの死は
とても
とても重くのしかかる
後藤さん、湯川さんの死によって
イスラム国について
日本では関心が高まったのではないだろうか
でも
後藤さんが言っているように
イスラム国をただただ恨みの目で見てはいけないということも
難しい
私たちの無関心が
大きなものを生んでしまった気がする
後藤さんは
とても大きなものを残した
今
私たちがすべきなのは
無関心をなくすこと
