恵まれない子に

そんなことが
ポストイットに書いてあった

見た瞬間に
嫌悪感を感じた
私は
その活動に参加しませんよ
そう思った

恵まれないを
他者に対して使うと
それは
なんか一方的すぎる感じがする

恵み
って
神様から授かるもの
そんな印象が私にはある

太陽の恵み
大地の恵み

そんな感じ

あぁ
恵まれてるなぁ
そう思うことに
五体満足とか
友達とかも
含まれる

だけど
これもまた
自分の力を超えた力だ

だから
実際は
恵まれないってことも
多々あって
天候や
子宝とかもだし
健康とか
友達とかも
恵まれないってこともある

だから
恵まれない子
はいるのは事実だ

なんで
この時代に
この国に
この親のもとに
生まれたのか…

そういうことは
五万とあるわけで
でも
自分で恵まれないと
思うことはあっても
他者に対して使う時
私は
結局のところ他人事である感じとか
傲慢な感じとか
そういう臭いがする

だから
言う人によって
大きく印象が変わる

実際に
何か活動している人が
この子たちの状況は
この子たちの責任ではなくて
逆にいうなら
自分たちは違う状況にいるということも
自分たちの力ではないのだから
何か供にしようじゃないか
という意味で
恵まれない
を使っていれば
違うのだと思う

でも
そうでない場合の
恵まれないっていうのは
~をしてあげる
っていう
あげる
の部分が強すぎることがある

なんだか
うまく言えないが
相手の立場に立って
一緒に何かをする時に
相手が
恵まれていないから
という理由は
余計なお世話だな
と思う

何か自分の力の及ばない状況を変えるために
できることは
小さなことだとしても
何かある
それを
恵まれない人にしてあげるのは
なんでも良いでしょ
だって恵まれてないんだから
私が恵んであげる
そういう臭いもする

相手がどう思ってるのか
相手はなにが必要なのか
そのためにはどうすれば良いのか
そういうことを
一緒になって考え
一緒に動く
そういう視点が欠けてるように感じる

幸せは人が決めるものではなくて
いくら、あなたは幸せだと言っても
本人がそう感じていなければ
やっぱり幸せじゃなくて
逆に
いくら不幸だと思える状況でも
本人は幸せを感じていることもある

恵まれてるかどうかも
似た感じで
そこにある恵みに気付かない人もいれば
小さな恵みにも感謝する人もいる

でも
幸せは人から与えられるけど
恵みは人にはできない力だと思う

だから
何かする時に
恵まれていないを出されると
つまりは恵みを与えます
恵んであげます
って上からの流れを感じるから
違うなって感じてしまう

あくまで
対等だと思う
恵みがあるかないかは
自分の力を越えていて
恵みがない状況にたまたまいる人と
恵みがある状況にたまたまいる人の
人としての違いなんてないのだから
そこの助け合いに
上も下もないはずで

哀れまれたい
そう思う人は
いないんではないかと思う

だから
私は恵みに感謝しながら
恵みを与えることなんてないまま
生きていく