知人の死


知人の知人の死


というものがフィリピンではやたら多い


よって


死について考える


ことも多い


理不尽にも事故で死に、


その死に対する保証と言うものが実に僅かなのだ


前に書いた警察により誤って撃たれた所で、

もらえるお金は僅かばかり

残ったのは仕事をまだしていない20代の妻と

1歳にもなっていない子ども


別の知人が酔っ払い運転のバイクに引かれて亡くなった

加害者は即死

だから、僅かなお金ももらえないみたいだ

訴えることを考えているらしいが

訴えるための費用が無い

残されたのはこれまた仕事をせずに子育てを頑張っていた妻と

4人の小さな子ども達


知人の知人は赤ちゃんを病院で亡くした

看護婦が間違って

必要以上の薬を注射

オーバードースだ

初めての赤ちゃん

洗礼式を目前にして突然

人を助けるはずの病院で

殺された


長距離バスの会社では

人をひいたら

確実に殺すためにひきなおせ

と言われるらしい

はっきりその会社に問い詰めたわけじゃないが

実際にバックしてひきなおしたバスを見たと言う人もいるし

実際に見ていなくても

本当か尋ねれば90%が

本当らしいよ

と答える

理由は亡くなれば一回の賠償で済むけれど

障害が残ったり

治療が長引けば

支払わなくてはいけない額が増えるから


病院に運ばれても、

その家族に治療費を払うだけのお金がなければ

どうしようも無い


交通事故で死んで、

保険に入っていても、

大抵の保険じゃ

50,000ペソ位にしかならない

保険代は

跡に残される扶養家族を支えるためではなく

葬式代

位にしかならないようだ


どう生きるか


どう死ぬか


この問題にも貧困は絡んでくる


どう生きるか


どう死ぬか


決めようと思っても

お金がなきゃどうしようもない

ということもある


訴えたくても

訴えるお金が無い

訴えても

相手が自分の求めるだけのお金を持っていない

支払うお金が無い

そのために助かる命が助からない


こんな状況を考えると

落ち込み続ける

暗くなり続ける


たった一人の知人が

亡くなるだけで

上の空になって

色々感傷に浸ってしまう


知人の知人に起きた事

だけど、

そんな事が自分の友人に起こったら

たった一度でも起こったら

どん底まで落ち込んでしまいそうな

そんな事ばかりだ

どこに向けたら良いのか分からない

怒りのやり場に

ただただ涙を流してしまう

そうなりそうな私だけど

周りを見れば

皆、笑ってる


どうせ同じ時間なら

怒ったり

泣いたり

悩んだり

して過ごすんじゃなくて

笑って気楽に過ごそうよ

って

事なのかも


フィリピンにいる


フィリピンが好きだ


でも、生と死に向き合う度に

自分はそうなれないと思う

そこまでフィリピンに浸かれていないと思う


そこまでどっぷり浸かって

フィリピンの考え方になれない

お金が無くても、賠償金を減らすために人を殺すなんて・・・

と思っても、

実際に自分の明日も分からなければ

それは、しょうがないって事になるのかも知れない

そのどん底の当りまで分からなきゃ駄目なのかもしれない


そんなあたりを考えると

自分はやはり日本がいいと思う

日本で生きて生きたいと思う

自分には逃げ道があると思う

フィリピンの人たちの生活の辛さを知りながら

表面しか見ようとしてない自分に気づかされる

かっこつけなんだと

そう思う

本当の彼らの

苦しみや

辛さを

分かる日は来るのだろうかと思う


ただ綺麗事すぎるけど

言うだけは簡単すぎるけど


お金と命を天秤にかけなきゃいけないときがきたら

命をとりたいと思う

そうありたいと思う