「どんな子も暮らしやすい西宮を考える会」様による「障害のある子&発達ゆっくりな子の性教育どうする?会」に出席させていただきました。
インスタグラムでも同じ内容で投稿しましたが、こちらの文章を割愛、編集して載せています。
私はこれを子どもの発達特性や障がいのあるなしに関わらず、今を生きる大人一人ひとりが子どものあるなしに関わらず、学びなおすものだという意識で参加してきました。
発達の遅れや障がいを持つ子どものための性教育についての内容でしたので、そのようなお子さまのいる保護者の方や教員の方達の出席がほとんどだったのではないかと思います。
はじめに積極的に障がいをもつ子ども(主に中学生以上の青年を対象)たちの性教育の場を整えるために尽力なさっておられる千住真理子先生による高等高校を出てからの障がいをもつ子どもの学び場の確保について、そしてその場所における子どもたちへの性教育の進め方、家庭での伝え方、子どもたちの心の変化についての講演「子どもたちを心と体の主人公に」を聞かせていただきました。
これまで知らなかった場所での教育のあり方、人々の想いや取り組みを聞けて自分の知識として、考えが深まったことがとても嬉しいです。
既存せぬものを作り出す先生の情熱や願い、行動力にただただ尊敬の想いを抱きました。
講演後は、出席者からの質問に専門的に取り組みを進めておられる教員の先生たちが答えてくださる時間がありました。
発達支援で長く働いておられる先生のとりくみや経験から感じたこと、外部の講師の方との繋がり方、保護者との連携について話されており、とても学び多い時間でした。
会の最後には出席者でグループトークの時間が設けられ、それぞれの疑問や悩み事、感想や個人の考え方について意見を交わすとても有意義な時間がありました。
「グループトークします。」と言われた瞬間にかなりドキドキしてしまう性格なのですが、「みんなきっと緊張してる。自分だけじゃないはず。」と気持ちを切り替えてのぞみました。笑
そういうの得意そうなのにと言われるのですが、私という人は得意そうに見えるだけで内心はカエルの心臓です。
そのグループトークの中で6歳の知的障がいをもつ男児のお子様について、トイレもお風呂もずっと一緒なので母である自分の生理について、どう話すか悩まれている方に自分なりの考えをお伝えさせていただきました。
それに対しては別の60歳くらいかなと思われる男性の教員の方も答えられていましたが、私の考えとは大きく違っていて、それもまた「そのような価値観をもつ教員がいるということが知れた」という学びの場となりました。
正解や不正解はなくて、立場関係なく、誰かの意見に合わせず、忖度なしに自分の考え方をシェアしあうという場は素晴らしいものだと思います。
性教育というととてもセンシティブで取り扱いにくいものであるイメージをまだ強く持たれている大人の方、教員、保護者の方もいるかと思いますが、現代では圧倒的に子どもには適切な性教育を受ける権利があると考えておられる保護者の方が多いようです。その変化は嬉しいです。
しかしその伝え方については適切な言葉がけを知っている大人の方が少ないという現実があります。
「触らないで」「汚い」「人に見られたら恥ずかしい」などのネガティヴな言葉がけをしてしまうと子どもたちにとって「性」は話してはいけない閉ざされたものとなり、人に相談することが難しいもの、一人で勝手にネットや経験の中で知っていくものとなってしまいます。
そしてその多くが正しくないものと言えるでしょう。
思春期を迎える頃に始めるのが性教育ではありません。
子どもの頃から正しく自分の体を知ること、それは自己理解を深めることとなり、情動、精神的な安定にも影響します。
性教育は自分の命を、体を尊んで生きるための土台の教えだと思います。
性行為というものだけにスポットを当てず、「自分は大切であるということを知る」ということが性教育のスタートです。
自分の体は大切だと知るのは幼児期から始められる教育。
むやみやたらに我が子の体に大人が勝手に触るという行為も今は問題視されています。
お尻を触ることもカンチョーして遊ぶようなこともスキンシップではなく一方的な性暴力に該当するという考え方が広まりつつあります。
これに違和感がある方もいると思います。
今それをどのようにとらえるかは一人ひとり違うでしょう。
私も2年前にその話を聞いた時には違和感を感じた一人です。(え!?そんなん親子の普通のスキンシップやろ?って思いました)
私たち大人がされてきたこと、普通だったことは現代では普通ではありません。
私たちが知らなかったこと、気づかなかったこと、その行為が、その発言が子どもが大人になった時に自己尊重の意識に影響していることの研究結果があるから、それを変えるべきものだと世界が気づき、現代の性教育は変わっていってます。
虐待についてはこれよりも先に変化が始まっていますよね。性教育も同じように変化しています。
けれども日本は先進国の中では性教育についての取り組みがダントツで遅れているようです。とてももどかしい気持ちですが、国が変わる前に個人の気持ちが変わっていくことの方が重要だとも感じています。
大きな何かが変わることを待つのではなく、自分の意識を変えること。
そうすれば自分の周りの環境には少しずつ変化が起きるだろう。
これは私の考えです。
社会が大袈裟になったのではなく、それは人の心の生育に深く関わっていることが今、事実として分かっています。
とてもとても、大切なことです。
神戸市では公立の学校でも助産師や保健師の講師を招いて外部からによる委託授業を行っている学校もあるようで、そのようなことは希望だなと思いました。
少しずつでもいいからそれがいつか、普通のことになりますように。
自分は大切な存在で、自分に触れていい人は(家族を含めて)自分が決めるという子どもの権利が守られますように。
優しい世界、自分という存在を大切にできる人として生きて、自分は大切ということは相手も大切な人なのだという想いを繋ぎあって存在し合える世界で生きたいです。
マインドフルネスと性教育、関係ないようで深く関係しています。自分を大切にするには自分を知るところから。
体を愛するには、体の大切さを知ることから。
今日も私は大切な私で、あなたは大切なあなたです。
みんなで安心して生きられますように。