†彼女についての報告書 2
『最上 キョーコ:庶務7課所属。入社3年目。入社時は事務課に所属。半年後現在の庶務7課へ移動。
勤務態度は真面目。3年間無遅刻、無欠勤。』
その書類を目にした敦賀 蓮は首を傾げるしかなかった。
「この子がなにか?」
書類を蓮に見せたのは、システム課の上司だった。
「彼女について報告を逐一して欲しいんだ」
気難しい上司にしては、ずいぶんと冗談が上手いなと蓮は思いながら苦笑した。
「・・・どうかしたんですか?」
軽く返した蓮に対して、上司は重い溜息をついた。
「・・・・・・・九重君・・・」
「!・・・・」
上司が呟いた名前に、蓮は体を強張らせた。
その人物は、情報システム課で蓮の同期だった男だ。
つい先日、情報漏えいの疑いで退職届を出して現在休職中だった。
情報の中には、蓮が半年もかけて練っていたプレゼン資料まで入っており信用していただけに今でもショックが残ったままだ。
「彼女は、九重君に最近までよく一緒にいた人物なんだ・・・それに海外事業部の山崎君とも接触があったことが分かっている・・・我々は、彼女が不正を促しているのかもしれないと踏んでいるんだ」
海外事業部の山崎は、経費の使い込みが発覚し減俸と三か月の出勤停止が出されたと聞いたことがあった人物だった。
「しかし証拠もないうえに、最近は田宮君の周辺にいるらしんだ・・・」
「田宮係長代理の周辺に・・・ですか・・・」
蓮は近頃の彼を思い出して、思案顔になった。
以前は気さくで、仕事に対しても真面目な人物だった。
入社当初、蓮もとても世話になった。
だが、係長代理となってからやる気が空回りしはじめ日に日に顔つきも悪くなり、彼らしくない怒声もしばしば聞こえるようになっていた。
(先日呑みに誘ってみたけど、先約があるって疲れた顔で断られたんだよな・・・)
蓮がそんなことをぼんやりと思っていると、上司は薄いファイルを渡してきた。
「最近、不祥事が多いということで社内調査が始まる・・うちは通常常務に社内調査の情報も入力しなければならない、そこで人手不足解消に調査対象である最上 キョーコを非常勤でシステム課に呼ぶことにした」
「えっ・・・・彼女を・・・ですか?」
「ああ、アナログデーターを移すぐらいならできるだろう・・・忙しい敦賀君の傍に置いておけば、監視もしやすいと思ってな・・・もし彼女が不穏な動きを田宮君にすれば、不正現場を押さえて未遂にすることだってできる・・よろしく頼んだよ」
「(忙しいと思うならこんな案件持ってこないでほしいのに・・ハア・・)・・・・・わ・・かりました・・・」
蓮は心の中で、愚痴を吐きつつその書類を受け取ったのだった。
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それが数日前だったのに。
会議で、田宮係長代理がスパイ行為をしていたことが発覚したとの報告が上がり蓮は呆然としていた。
上司から鋭い視線が飛んでくる。
蓮は監視を怠ったことなどない。
昼休憩以外、最上 キョーコが情報システム課を出ることがないのは無茶ブリに近い仕事量を渡していることで知っている。
(昼は総務7課の友人と取りたいと言っていたから、それを許しているがちゃんと裏を取っているし・・・)
総務の琴南や天宮は、ちゃんと最上 キョーコと昼食をとっていると言っていた。
証拠写真を見せられたこともあるし、総務7課からこの新棟の15階までどんなに早くても10分近くはかかる。
(先ほどは遅刻気味とは言っても1分程だ・・・まさか・・そのあいだに?いやいや・・ありえない・・)
キョーコの驚くべき身体能力を知らない蓮は、頭を抱えたい気持ちだった。
「田宮君の処分については、査問委員会を開いて厳密に問うことになった・・・我々は田宮君の空いた席を補いつつ他社に漏れた情報が無いか再度チェックをしていくしかない・・・こんな事態を見抜けなかったのは上司である私の責任だ・・・皆・・すまない」
上司が深々と頭を下げている姿を目にして、蓮はやるせなさを隠しきれなかった。
「敦賀君」
皆、暗い顔をしたまま会議が終わった直後、蓮は上司に呼び止められた。
「例の件・・・引き続きお願いしたいんだが・・・」
「えっ・・・」
仕事中でも退社後でも、田宮係長代理と接触がないか監視をしてきたのだが努力の甲斐なく彼はスパイ行為を犯してしまった。
そのため、キョーコの監視は終了になると思っていた蓮は驚きに目を見開いた。
「実は・・・スパイ行為を発見したのは最上君だったというんだ・・・」
「え!?」
「今日、昼休憩に向かう途中に怪しげな行動をしている田宮君の後をついて行ったら不正行為を隠そうとした田宮君に暴行されかけたそうだ」
「ええ!?」
「間一髪、他の者が騒ぎを聞きつけて彼女は無事だったらしい・・・・」
「・・・そう・・ですか・・」
蓮は、ほっと胸を撫で下ろすがそんなことがあったなら午後遅れてきたことにも納得がいった。
(それならそうと言ってくれれば・・・・)
「総務からの情報はそういうことだが・・・あまりにもタイミングがいいと思わないか?」
「・・・・・は?・・・」
どうやら上司は、彼女が発見したのは偶然じゃなく必然だったと言いたいようだ。
「田宮君を騙してスパイ行為をさせていたが、ばれそうになり罪を被せた・・」
「ちょっと待ってください・・・憶測で・・・」
蓮はキョーコの仕事ぶりなどを鑑みてそう発言すると、上司は鋭い視線を投げつけてきた。
「君は誰の味方なんだ?!」
「(・・・誰って・・・)・・・たしかに・・・以前の田宮係長代理でしたら、疑う気持ちなど一切ないですが・・・近頃の彼は様子がおかしかったので・・・」
「それは最上君に・・・」
「係長代理になってしばらくしてからですよ?もう3か月以上前からです・・・彼女がそんなに以前から田宮係長代理のそばにいたなら俺だって気付きます」
「・・・・・・しかし、彼女は何かしら係わりがあるかもしれない・・・」
変に粘る上司にこれ以上反論しても無駄だと、蓮はその場は引き下がることにした。
それに彼が言うことも一理ある。
「そうですね・・・それは俺も思います・・・・もうしばらくだけ彼女を見ていようと思います」
「ああ!・・・よろしく頼んだぞ!」
渋々受けた蓮に、上司はどこかほっとした表情になり大きく頷いたのだった。
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「・・・・だからって・・仕事が終わっても監視とか・・・・このご時世、アウトのような気がするんだが・・・・」
蓮は今、一軒の居酒屋にいた。
温かな雰囲気の店をそのまま人にしたような笑顔の可愛らしい女将さんと、無口な職人気質の大将が営んでいる店だった。
奥の座敷を選んで座っているのは、キョーコがカウンターにいるからだった。
しかし彼女は一人なのに、とても楽しそうに店の主に話しかけていた。
「大将!今日のサバすっごく身が詰まってる!!」
「・・・おう・・」
「キョーコちゃんにそう言ってもらってこの人もこの笑顔だよ~・・はい、お味噌汁」
「(えっ!?・・えが・・??・・・・・相変わらず女将さんにしかわからないよ・・大将の表情は・・)あ、ありがとうございます!ふわぁ~・・いい匂い!・・・・・ん~っ体に染み渡る~~!」
受け取ったばかりの味噌汁をズズズ・・っと口にしたキョーコは、満面の笑みを見せて女将さんまでも笑顔にしていた。
キョーコの言動に騒がしかった店内では、キョーコが食べているものが次々と注文されてしまっても仕方のないことだった。
蓮でさえもお腹が食べたいのだと訴え始めるほどだ。
(久しぶりに腹が鳴った・・・)
あまり目立たないように女将さんを呼んで注文すると、たまにキョーコがいなくなっていないか確認しつつ携帯を操作した。
『特定の人物との接触なし』
そうファイルに打ち込み、保存した直後料理が運ばれてきた。
「はい、サバの味噌煮定食です・・敦賀さん」
「!!?」
振り返った途端、お膳を手に笑顔で立っているキョーコと目が合い慌てた蓮は、低い座卓に足を思いっきりぶつけてしまった。
「~~~っつ!!!!」
「どうしたんですかぁ?大丈夫ですかぁ~?」
「っ~~ぅ・・・語尾を伸ばすな・・・・何・・してんだ」
蓮は体裁悪く打ち付けた足をさすりながら、皿を並べるキョーコを睨むと彼女は平然と答えた。
「ここ、会社に勤める前にアルバイトしていた所で今でも夕食を食べに来ているんです・・・常連さんの中には、私に配膳頼んでくる人もいるんですよ?」
「・・・・・・奇特な人だな・・」
「(怒)・・・・・・・・・・・で?・・・敦賀さんこそ、ここで何しているんですか?」
蓮の言葉に青筋を立てながらも、キョーコはギリギリと歯を鳴らしながら営業スマイルを無理やりに作って問いただした。
「・・・・・食事に来たんだ」
「・・・・わざわざ人の後を追ってですか?」
気付かれていたことに内心ギクリとしたが、持ち前のポーカーフェイスで乗り切ることにした。
「たまたま君が先に入っていただけだろう?」
「それなら私に気付いてましたよね?コソコソ奥の座敷席に行かなくても・・」
「俺は、プライベートな時間にわざわざ声をかけるのを遠慮しただけだけど?」
「・・・・・・・・・そう・・ですか・・・・プライベートな時間に声をかけてしまってすみませんでした!」
キョーコは、蓮の言葉を鵜呑みにしたのか腹を立てながら自分の席に戻っていった。
蓮は一応逃れたことに安堵のため息をつくと、目の前に並んでいる美味しそうなサバの味噌煮定食に喉を鳴らした。
「いただきます」
きちっと手を合わせて、箸をとる姿にキョーコは離れたところから思わず見とれてハッとした。
(・・・・・・・・いやいやいや・・・会社でコーヒーしか飲んでいる姿を見ていないから、レアだな~って思っただけで・・・他の女子社員の子たちが付けた、ミステリアス貴公子という訳の分からないネーミング通りだなんて思ってないしっ、私にはどこまでも鬼だし!)
もしゃもしゃと夕食を口に突っ込みながら、チラチラと蓮を覗き見た。
姿勢よく食べる姿はとても好感が持てる。
一口一口綺麗な所作で食べているだけなのに、どこか気品が漂う。
そしてその一口ごとに、驚きの表情をした後顔を綻ばせている。
どうやらここの料理が口にあったようだ。
なんだか少しほっとしたような気分で、キョーコは正面を向く。
『気をつけなさいよ?情報システム課に呼ばれたのはきっとアンタ狙われているからよ』
奏江の言葉が脳裏を過り、一瞬箸を止めたキョーコに女将はカウンターを少し乗り出して耳打ちをしてきた。
「キョーコちゃん、あの人会社の人かい?」
「へあ?!・・えっええ!はい・・・今、お手伝いに行っている部署の上司でして・・」
「あらあら、上司さんならここに来てもらえばいいのに」
女将は空いているキョーコの隣の席を指さした。
「いえっ!・・あ・・・プライベート・・ということで・・・干渉されたくないそうで・・・」
先ほどのことを根に持っているかのような口ぶりでキョーコがそう言うと、女将は頬に手をやり首を傾げた。
「そうかい?あの人、店に入ってきてからずっとキョーコちゃんの事見てたからてっきりキョーコちゃんに一目惚れでもしたのかと思ったのに・・」
「ぶっほ!!・・っげほ・・・」
女将の発言に、キョーコは思わず食後のお茶を噴き出してしまった。
「おやおや、大丈夫かい?・・・私はてっきりそう・・・ほら、今だって・・」
女将に促されて、キョーコは蓮の方に振り返るとこちらを見ていた蓮とばっちり目が合ってしまった。
「!!」
キョーコは咄嗟に目をそらした。
「ね?・・うふふ、キョーコちゃんもようやく浮いた話の一つでも出てきそうだね?」
ほくほく顔で注文を取りに行ってしまった女将に、何と説明すればいいのか頭を悩めつつもキョーコは蓮の方からは見えないように奏江にメールを打っていた。
『仮説は確定』
送信履歴を消したキョーコは、これからどう対応しようか思案しながらため息をビールで押し流すのだった。
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