§ルートX 31
蓮は焦りと共にタラリと汗を密かに流した。
いや、蓮だけでなく周囲の者たちも同じような表情をしているのできっと密かに汗を流しているに違いない。
ただ一人を除いては。
「緒方監督!?いったいあなたは何を考えているんですか!!?」
「で、ですが飯塚さんっ・・・」
この状況を作り出している張本人の飯塚と呼ばれた壮年の女性は、きっとこの集団の中で一番汗を掻いているであろう緒方と呼ばれた酷く線の細い男性に怒りをぶつけた。
その傍にはひたすら泣きくれている若い女性がいたのだが、今はこの二人のやり取りが緊迫しているため誰も声をかけられないでいた。
蓮はこれまでの流れを思い返し、またも密かに小さく息をついた。
今日は『Dark Moon』というドラマの本読みの日だった。
以前、キョーコがこっそり読んでいた台本を使う日だ。
台本を取り出した時、声をかけられ慌てて振り返ったキョーコの顔やドラマを楽しみにしていると言っていた笑顔を思い出し笑みが漏れ気分よく始まったのだがそれも最初の15分ほどだった。
自己紹介が終わり、台本の読み合わせが始まって直ぐだった。
新人の女優が【本郷 美緒】役で台本を読み始めると、飯塚 寛子が静かに怒りだしたのだ。
「美緒はそんないい方しないわよ!?」
その一言の後、新人女優が必死に台詞を口にするたび怒りのボルテージは上がっていき最終的に勢いよく立ち上がった飯塚はその女優の差し替えを監督に要求し始めたのだ。
しかし、緒方はそれに反抗しようとした。
「落ち着いてください・・今は飯塚さんの納得がいかなくても・・・」
その一言が良くなかった。
「今は!?本読みの段階で、ある程度役を理解してくるのがプロよ!?それもできないのに私の美緒をやらせようだなんて・・・大体、あなたのお父様の伊達監督はそんな中途半端な役者は使わなかったわ!?」
『Dark Moon』は20年ほど前『月篭り』という題名でドラマ化されているのを、リメイクという形で発表する作品だった。
『月篭り』は視聴率40%を越えた空前大ヒットのドラマだったため、『Dark Moonn』も期待されている。
そしてその期待を背負って集められた俳優人は豪華で、話題をさらっている。
中でも飯塚は『月篭り』で【本郷 美緒】役をして新人女優から名女優の仲間入りを果たしたため、思い入れも人一倍強かった。
まるで印籠のようにそう言った飯塚に、緒方は顔を青ざめさせ冷や汗を流し始めた。
それでも緒方は何とか口を開いた。
「ち・・・父とは・・・考え方が違うので・・・・」
小さな声でそう返すと、飯塚の目に炎が宿った。
「緒方監督!?いったいあなたは何を考えているんですか!!?」
「で、ですが飯塚さんっ・・・」
「信じられないわ!こんな事ならこの話受けなければ良かった!」
そう飯塚が叫ぶと、今まで静観していた者たちがザワリとし始めた。
「この子を辞めさせないなら私が辞めます!!」
「そっそんな!?」
緒方は今にも倒れそうな顔つきで叫ぶと、蓮もたまらず立ち上がった。
「待ってください飯塚さん」
そう声をかけた蓮に、社はまた病気が出た・・とは思ったものの、それが蓮のいいところでもあるため口を挟めなかった。
「今日は初日ですし・・・緊張していると思うようにいかないことはプロの俺たちでもあります・・・君も泣いていないで、顔を上げて?顔をあげないと役が入ってきてくれないよ?」
蓮の柔和な対応に、飯塚は少しばかり怒りを解き新人女優も一度は泣き止んだもののまたブワリと涙をあふれさせて叫んだ。
「やっぱり私にはこの役ムリです!!」
そう言うが早いか、蓮が止める間もなく新人女優はこの部屋を飛び出していってしまいそのマネージャーは必死に頭を下げると慌てて荷物を持って退出してしまった。
気まずい雰囲気が流れた。
「・・・・・・まったく・・最近の子は・・せっかく敦賀君がかばってくれたというのに・・」
「いえ・・・俺は・・・」
そういいながらも、蓮はなんとも居心地の悪い思いをさせられていた。
「・・とにかく!緒方監督!?」
「え?・・・・はい!?」
呆然としていた緒方は、突然話しかけられ慌てて居住まいを正し飯塚を見た。
「これで美緒役がいなくなったわ、今度は逃げ出さず、私も納得できるような【美緒】を連れてきて頂戴!?わかったわね!?」
「・・・・・・・・・・・・・・・ハイ・・・・・」
今にも消えてしまいそうな緒方の声と共に、その日の本読みは終わってしまった。
「・・・すさまじかったな・・・」
「ええ・・・・」
テレビ局の会議室を後にした蓮と社は、移動の車の中でそう口を開いた。
「彼女もこのドラマの出演を楽しみにしていただけに、台本棒読み状態の女優が昔自分がやった役をやるってことが腹に据えかねたんだろうけど・・・緒方監督も巻き込まれちゃって大変だよな?」
「・・・・飯塚さんの気持ちもわからないでもないんですが・・・・」
「お前はなんにでも理解が広すぎるよ・・ああやって直ぐに間に入るしさ」
「仕方ないじゃないですか・・・円滑にドラマを撮るためですよ?誰だっていい環境で仕事、したいでしょう?」
「・・・というか・・・さっきの新人女優さんに誰かさんの姿、重ねたんじゃないのか?」
「え?」
蓮の肩が揺れ、頬がヒクリと上がったのを社は見逃さなかった。
「キョーコちゃん、今日仕事なんだろ?どんな仕事なんだろうな?今から事務所だし椹主任に聞いてみようか?」
「・・・・・・・いいですよ・・・そこまでしていただかなくても」
「遠慮すんなよ~」
「してませんよ、それにその顔の社さんに素直に頼み事ができるほど俺は心広くないので」
遊ぶ気満々でニヤニヤが止まらない社に、訝しげな視線を投げた。
「ええ!?つまんないな~」
「つまんなくて結構です。・・・・・仕事の事については、干渉しないでおこうと決めましたから」
「そうなのか?」
「はい・・・自分の経験上・・・あまり事細かに知らないほうがいいこともありますから・・・・」
そこまで聞いて社は声は出さずとも、口を『あ』の字にした。
「・・・・ま・・まあ・・・そうだな?そういうこともあるか」
社の乾いた笑いに、蓮は苦笑いを浮かべ今日の新人女優の泣き顔を思い浮かべた。
(うまくいく仕事ばかりじゃないからね・・・・ああやって泣いてないといいけど・・・・)
昔から一人で抱え込んで泣いてしまうキョーコのことを心配して、蓮がため息を漏らすと社が必死に『お前のように人をタラシこむ仕事はまだまだ来ないだろう』とか『お前はタラシこむだけタラシこんでおいて放置プレイだから後からめんどくさい事になるけど、キョーコちゃんはそんなことしないだろうし大丈夫だ!』などの悪口言われているのではないか?励ましをもらう羽目になるのだった。
*************
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・すみません・・・・」
その頃キョーコは、真っ青な顔で目もうつろに首がおかしな角度を保ちながら春樹に頭を下げていた。
「え!?い、いいのよ!?さっきまでが良すぎて・・・なんというか・・・・ねえ?」
あまりの悲壮な表情に謝られている春樹は、身の危険を感じるほどで助けを求めるように祥子に話を振った。
「(ええ!!?)・・え・・ええ!本当に!天使だと見とれるぐらいで・・・さっきまでは・・・・・・・」
そう言われキョーコはさらに落ち窪んだ。
「ああ!!京子ちゃん!!」
地中に潜りそうなキョーコを助けようと必死の春樹に、ショータローがわざとらしくため息をついていた。
「はっ・・・なにが『せいぜい頑張って私に恋をして・・・』だ、こんなに極悪なヤツ怖くて近寄れね~よ」
「尚!・・・・あなただってはじめは京子ちゃんに見惚れてたじゃない」
「なっ!?みっみみみみとれてなんてね~よ!!ただ馬鹿みたいにホワホワしてたから頭おかしくなったんだって思ってただけだ!」
((・・・ガッツリ見てたくせに・・・))
先程まで、天使の登場シーンと花と戯れる天使の所に悪魔がやってくるところまで撮影が進んでいた。
しかし現れた悪魔に天使が好意を寄せるシーンからおかしくなり始めたのは、キョーコだった。
(ダメ・・・・アイツを見るとどうしても怒りが先立って笑顔が作れない!)
キョーコは垂れ下がっている両手で、真っ白なシフォン素材のドレスを握り締めた。
(・・・・どうしよう・・・どうすればいいの・・・・・・助けて・・・コーン・・・・)
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