ノストラダムスの預言を、どう簡単に門外漢の人々にご説明申し上げるか、これは、なかなかの難題で、それは、本人自身がよく分かっていない、という事実もあるでしょうが、それよりも、ノストラダムス自身が、預言をわざと曖昧に分かりにくくし、その解釈を試みる者たちを密雲に惑わせる目的の方が大事でありまして、それは、未来に起こる出来事を、あらかじめ知らしめ、それによって艱難を乗り越え、生き残り、来るべき神の国に到達すべき人々を限定する目的の故のことと思いますが(羊と山羊の分離)、つまりは、次の救世主の預言の実現の結果である、と言うこともできるでしょう。

 

 

そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。

                  ルカによる福音書 10-21

 

 

この世の春を謳歌している金持ちである支配者たちは、「ユースレス・イーター」だの、「グレート・カーリング」だのと言って、世界人口の抑制計画に拍車をかけてきていますが、この事実を見抜くことは大事でして、つまりは、ノストラダムスは、こういう無慈悲な輩、サタンのシナゴーグに集う者たち(ヨハネの黙示録 2-9)から、聖なる預言を守る目的で、密雲を呼び寄せ、そして嵐を起こしたのですが(オリエント・テンペスト=預言集1-50)、こういう話を理解、もしくは少なくとも興味を持つ者は少数であり、また、それは貴重な存在なのですが、この僕の記事をここまでお読みになられた方々は、そのような、金、銀に匹敵する尊い存在であることでしょう。

 

そんなことをつらつらと考えながら、近所の世田谷線沿線に咲くアジサイの花々を観賞し、そしてその様子を愛機のSONY-RX100で撮影することが多い今日この頃ですが、その写真がある程度集まりましたので、今回の記事では、最後にそれらを複数枚貼って、本投稿を終えたいと思います。

 

皆さん、彼らは、本気です。

 

自分たちが所有している、と思っているこの地球の貴重な資源を、貧乏人たちが浪費するのが許せないのでしょう。

 

さらに言えば、彼らが、自分たちの庭だ、と思っている地球環境を守ることが何よりも切実な課題なのでしょう(貧しい人たちの生活よりも)。

 

なので、グレート・カーリング、つまりは、家畜の大量間引き、なのです。

 

その一員(殺処分)になられないよう、真の救世主及び諸預言者、特にノストラダムスの預言に耳を傾ける時は、まさに今、です。

 

それでは、来週の木曜日に、またお会いしましょう。