「わたしは口を開いてたとえを用い、
天地創造の時から隠されていたことを告げる。」
マタイによる福音書 13-35
わたしは口を開いて箴言を
いにしえからの言い伝えを告げよう
詩編 78-2
上の二つの聖書の引用のうち、「たとえ」という箇所のコイネー・ギリシア語は、「παραβολαις」(ιに曲アクセント)であり、「箴言」という箇所は、ヘブライ語で「マシャル」(משל)ですが、これは「メム、シン、ラメッド」の三つの子音で構成されていますが、これをそのまま「マシェル」と読むこともできまして(発音記号のニクダがありませんと、ただその文字を見ただけでは区別がつきません)、そうなると、それは「治める、統治する、君臨する、支配する」となります。
前回までの四回シリーズの記事で僕は、「ノストラダムスのマルスの支配」について語り、結論として、その支配とは、突き詰めれば「火」であり、「神の力」である、としましたが、それらの記事を全部をお読みになられた奇特な方は、このことを聞いて、いかにお思いなられるでしょうか?
マシャル、すなわち、「たとえ」という単語は、「箴言」という意味の他に、「寓話」であるとか、「譬え話、金言、格言」とも訳せると思いますが、要は、真の救世主イエス・キリストの「たとえばなし」を、理解でき、信じることができる者こそが、ノストラダムスの言う「幸福なマルスの支配」の恩恵にあずかることが出来るのだ、ということです。
「マシャル」を知る者が「マシェル」の者なのです。
弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、悔い改めない。
わたしは彼らをいやさない。』
しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」
マタイによる福音書13-10
と、こういった話をしたところで、この世の多くの人にとっては、「何を言っているんだ!」となるでしょうから、そして、自分も「マルスの支配」については、もう四回も書いたのですから、この話は、一旦、休憩にして、今回は、自分の住んでいる近くの公園に咲いた梅の花の写真でもご覧に入れて、皆さんと一時の休息を味わいたいと思います。
で、東京都世田谷区立羽根木公園の梅の花なのですが、この公園は自宅から自転車で5分ほどで行ける距離にありまして、自分は何かにつけてよく行くのですが、この時期は梅の花が見頃で(と言っても、このブログ記事をアップする今現在は、もうだいぶ盛りは過ぎていますが)、写真を趣味としている身としては、これらの花の写真を撮らない手はなく、なので、今年は2月24日、3月1日、3月4日の都合三回通い、300枚程度撮影しましたので、その中から21枚の画像を共有したいと思います。
それでは、まず、一枚目、自分としては、この一枚が、今年の梅の花のベストカットです。
撮影は、愛用のSONY-Cyber-shot-RX100で行い、撮影日時は2024年2月24日午前11時34分、撮影データは、マニュアル露出、ISO125、F1.8、1/2000秒、色温度5500K、レンズ焦点距離28.00mmです。
花びらの一部が白とびしていますが、ふわっと光の中につつまれる感じがして、好きなので、これをベストショットに選びました。
次は、少し暗めの設定で、同じ木の花を。
データは、撮影日時2024年3月1日午前11時2分、マニュアル露出、ISO80、F1.8、1/2000秒、ホワイトバランス設定を「蛍光灯・昼光色」にし、レンズ焦点距離28.00mmです。
こんな感じで、カメラの設定の調子を変えて、次々撮影しましたが、こういう細かいデータなどは、写真にご興味のない方にはご不要でしょうから、以下から連続して、いろいろなカットをデータなしでお見せして、この記事を終えたいと思います。
梅散って 桜待つ身の しあわせさ
では、来週の木曜日に、またお会いしましょう。