すべての民よ、手を打ち鳴らせ。

神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。

主はいと高き神、畏るべき方

全地に君臨される偉大な王。

               詩編 47-2

 

 

1999年7月

天から恐るべき偉大な王が来られる

アンゴルモアの大王を復活させる

前後マルスは幸福に支配する

               ノストラダムスの預言集 10-72

 

 

上の聖書の詩編の日本語訳は新共同訳ですが、この訳ではヘブライ語の「恐ろしい、怖い、ものすごい」等を意味する単語「ノラー」を「畏るべき」というふうに訳していますが、これは、別に「恐るべき」と訳しても間違いではなく、いやむしろ、自分としては、こちらの方がより素直な感じだと思いますが、新共同訳の訳者さんたちが、神への愛と畏敬の念を込めて「畏怖」という意味で「畏るべき」としたことには別に異論はなく、これはこれでよいと思いますが、ヘブライ語の聖書では、他に「恐るべき偉大な王であられる永遠の神」の呼称として、「イラー」というヘブライ語もよく使われており、例えば、アダムがエデンの園で罪を犯した結果、主なる神が園の中を歩く足音を聞いて恐ろしくなって隠れた時、アダムは、この「イラー」という単語を使って、「私は裸なので恐れて隠れていました」と主に言いましたが、古代ヘブライ語のネイティブな人たちが、この「ノラー」と「イラー」の「恐ろしさ」の度合いの違いと、感じ取る意味の違いをどう区別するかについては、ここでこれ以上語ってもあまり意味はないと思いますが、要は、「永遠の主を恐れることが知恵の初めである」、ということを理解しましょう、ということでありまして、そのためにここに、そのことについて少々の散文を書いてみました。

 

ノストラダムスの一番有名な預言詩である第10章72番の「1999年7月」の預言にあります、「恐るべき偉大な王(un grand Roi d'effrayeur)(恐怖の大王)」とは、実に、このことを言っているのでありまして、本当に知恵のある者ならば、これを見抜き、理解すべきでしょうが、今、地上に、一体、そのような人が何人いるでしょうか?

 

ミシェル・ノストラダムス氏が「セザールへの手紙」の中で言うように、「それというのはすべての存在は裸だから(quia omnia sunt auda)」ですが、しかし、かの預言は、無知無学な人間にとっては、それはあたかも「封印」されていて、「読むことはできるが理解できない」状態なのでありまして、この預言が世に出現してから今年で466年もしくは456年の月日が経ちますが、誰一人として、「この預言は恐るべき創造主について語っているのだ」と言い出した人はいませんでした。

 

ここに、人類の絶望的状況があるわけでありまして、それゆえに、「終わりの時」「破滅」「滅亡」に至ることになるでしょう。

 

それは、要は、人類が「神」に仕えるのでなく、「富(マモン)」に仕えた結果でありまして、(あなたがたは、神と富に仕えることはできない。-ルカによる福音書16-13)、大部分の人が「金」にしか興味がなく、「真理」をないがしろにした結果、為政者に騙され、打ってはならないものを打ち、支持してはいけないものを支持して、そうして、次々と死をまねく、ということでしょう。

 

 

どこにいるのか、お前の賢者たちは。

               イザヤ書 19-12

 

 

ところで、タイトルにあります「ノストラダムスのマルスの支配」ついてですが、僕はこれまでに、かの預言の「1999年7月」については、「三日目へ向けて(投稿番号28)」という記事に、「恐るべき偉大な王」については、「ノストラダムスの恐るべき大王と七月(投稿番号30)」の記事に、「アンゴルモアの大王」については、「アンゴルモアの大王とは、ノストラダムスのこと(投稿番号32)」に、各々、若干のコメントを載せましたが、まず、これらの記事の内容をご理解いただいてから、そして、いよいよ「火星」の謎について書いていきたいのですが、これらの事柄について、一体、現在、地上に何人の人が興味をお持ちなのでしょうか?

 

以前の記事で僕は、ソロモン王の「千人に一人の男がいる」という言葉を引き合いに出して、「自分はその千人に一人に語りかける」、としましたが(コヘレトの言葉7-28)、現在でもその心境は変わっておらず、なので、その一人に向かって、今自分はタイピングしておりますが、このブログの内容の「話のレベル」もそれに合わせて行っているのでありまして、この程度の「デクラス」なら、きっと賛同者もどこかにおられるであろう、と思っておりまして、なので、いよいよ、ノストラダムスの偉大な預言10-72の最終行の解説に入りたいと思いますが、内容が内容だけに、非常に密度の濃い話になりますので、そして今回はだいぶ文字数もかさみましたので、それは次回以降の記事に、ということにしたいと思います。

 

まもなく、恐るべき不滅の創造主の「鉄の杖」による厳しい裁きが始まりますが(いや一部すでに始まっていますが)、「自分には知恵がある」、「自分は情報強者」だと自負する者がいるとするならば、是非、この預言の謎に挑んでほしものです。

 

 

訴え出て、争うがよい、と主は言われる。

お前たちの論拠を示せ、とヤコブの王は言われる。

起こるべきことをわたしたちに示し、告げてみよ。

我々はそれを心に留めよう。

あるいは、来るべきことを聞かせてみよ。

未来のことを悟るとしよう。

将来にかかわるしるしは何か、告げてみよ。

お前たちが神であることを悟るとしよう。

良くも悪くも行ってみよ。

我々は共に見せてもらおう。

しかし、お前たちは無に等しく、働きはむなしい。

お前たちを選ぶ者は忌むべき者だ。

               イザヤ書 41-21

 

 

というのは、再びマルスの惑星がそのサイクルを完成させるからです。

(Car encores que la planette de Mars paracheue son siecle)

               ノストラダムス著 預言集「セザールへの手紙」

 

 

では、来週の木曜日に、またお会いしましょう。

 

 

 

ノストラダムスのマルスの支配