非ドイツ人には、ドイツ系ユダヤ人の置かれた悲痛な立場をどうしても想像できないだろう。ドイツ系ユダヤ人――このドイツとユダヤという言葉の双方を十分に強調せねばならない。ドイツ系ユダヤ人とは、長い年月を経た進化過程の最終産物である、ということを理解せねばならない。ユダヤ人の抱く二重の愛情、それに二つの面での苦闘は、ユダヤ人を絶望の淵に追いやっている。

  ――ヤーコプ・ヴァッセルマン著『ドイツ人兼ユダヤ人としてのわが生涯』

       ※ロン・チャーナウ著「ウォーバーグ・ユダヤ財閥の興亡」より引用

 

 

 

一七四九年八月二十八日の正午、十二時を知らせる鐘の音とともに、フランクフルト・アム・マインで私はこの世に生をうけた。星位には恵まれていた。太陽は処女宮の座に位置し、その日の頂点に達していた。木星と金星は好意の眼差しをもって太陽をながめ、水星も反感を示してはいなかった。土星と火星は無関心の態度をとっていた。

            ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著「詩と真実」

 

 

 

それにまた、ここでカトリーヌ・ド・メディシスを新しい光の下に示すことは、この物語の中核に触れることである。二つの言葉が、この実に研究し甲斐もあり、またその影響がフランスの国土の上に実に強い跡を残した婦人を説明する。二つの言葉とは、即ち支配慾と占星学である。

           オノレ・ド・バルザック著「カトリーヌ・ド・メディシス」

 

 

 

バジルとリュグジエリ老先生の算出したカトリーヌ誕生に際しての星の配置図で、カトリーヌの生涯の主要事件は、占星学を否定する人々を絶望させるに足る正確さを以て予言された。

           オノレ・ド・バルザック著「カトリーヌ・ド・メディシス」

 

 

 

というのは、人間の誕生の時を知って一生を予言するのも、一生が与えられて誕生の時を求めるのも同じ学問だからだ、というのである。

                         プルタルコス著「ロムルス」

 

 

 

 

今回の記事のタイトルにある「ゲッリウスのメモ」というのは、文字通り古代ローマ白銀期の著作家アウルス・ゲッリウスが書き残してくれたメモのことですが、その彼は、著作「アッティカの夜」の序言で、次のような言葉を残しています。

 

 

 

実際、これまでも、私は、ギリシア語のそれであれ、ラテン語のそれであれ、手にしたどの書物でも、また耳にした語るに値するどの話題でも、気の向くまま、分類もせずに雑然とメモを取り、それを、記憶の縁となる、言わば文庫のようなものとして蓄えておき、たまたま不意に忘れてしまった事柄を思い出す必要が生じたり、それらの抜き書きをした書物が手元になく、参照する必要が生じたりした時に、容易に探し出し、いつでも使えるようにしていたのである。

                  アウルス・ゲッリウス著「アッティカの夜」

 

 

 

このゲッリウスの「メモしていた」という何気ない一言は、非常に重要で、例えば「ローマで最も多く読み、もしくは最も多く書いた」と言われている、カエサルからローマの公立図書館長に任命されたマルクス・テレンティウス・ウァッロの著作などは、農業論やラテン語論等の一部の著作を除いてほとんど散逸してしまっていますが、このゲッリウスがメモを取っていてくれたお陰で、同著中の「マルクス・ウァッローがindutiae[停戦]を、どのような言葉で定義したか、および、これに関してindutiaeという語の成り立ちは何かという問題の、いささか細心な考察」等の、ウァッロの『古の人事[旧事記]の中の「戦争と平和について」の一部等を読めるわけなのですが、ノストラダムスが、彼の預言集の序文で、「私の計算は異邦人のウァッローとは違う」という意味の言葉を述べていますが、その言葉の真意を探ろうとしたとしても、肝心のそのウァッローの著作が残っていなかったとしたならば、ほとんど手掛かりがなくなってしまうわけですが、幸いにもゲッリウス等の他者の引用やメモ書き等が残っていてくれたお陰で、今日我々はウァッローの何たるかを知れるわけですが、そんな風にして、たかがメモ書きと言って侮ってはならない、というわけでありまして、実は自分にも上に引用したゲーテ等の文章のように、「この世界をよりよく理解するためのメモ書き」が大量にありまして、今回はその一部を上のように羅列してみたのですが、この一見、別々の事柄の、関連性の低いと思われる文章が、実は非常に関連性がありまして、それらを解説するのが今回の僕のブログのテーマというわけなのですが、特に「陰謀」に関するメモ類(著書の一部のコピー等を含む)も大量にありまして、これからそれらを少しずつご披露して行きたいと思いますが、ちなみに上にあるプルタルコスの言葉の「人間の誕生の時を知って一生を予言する」という言葉は、表記の通り彼の著作「ロムルス」の中の一節ですが、その学問に関して、ゲーテもバルザックも、上にあるように非常に含蓄ある言葉を残しておりますが、これらの言葉の意味をご理解できるという人は、大変に幸いな人だと思いますとともに、それと同じように、「ドイツ系ユダヤ人」の問題を、共感の目を持って見ることができるという人は、これも非常に幸いな人だと自分は思います。

 

ちなみに、上に書いた自分の文章の「ウァッロ」と「ウァッロー」の違いについてですが、「ウァッロ」というのはウィキペディアでの表記であり、また「ウァッロー」は、この「アッティカの夜」の日本語訳の表記(京都大学学術出版会)をそのまま引用させていただいたものですが、こういう固有名詞の変遷は、学者先生方の論争と共に常にあるようで、そもそもの「ゲッリウス」というのも、これまでは「ゲリウス」と呼ばれていたのを、ここに来て「ゲッリウス」と呼ぼうとなっているわけでありまして、こういう変化は、浅学の自分には、どうにもこうにもの状態でありますが、例えば、「デルポイの神託」を「デルフォイ」にしようであるとか、「ソクラテス」を「ソークラテース」にしようだとか、その主義主張は様々ですが、これは、ある人が言うには、「京都大学と東京大学の学閥の問題なのである」そうですが、自分としては、そう言われると、ふーむ、と唸ざるを得ないですが、結局のところ、自分の方針としては、自由裁量、これに尽きるのでありまして、その時々の必要性によって、固有名詞の呼び名は、いろいろ使い分けてもいいのではないかと思っておりまして、なので今回は、「ゲリウスはゲッリウス」で行こうと決めたのですが、そもそも自分が「ゲリウス」の名前を初めて知ったのは、岩波文庫のアウグスティヌス著の「神の国」全五巻を読んだ時でありまして、あの翻訳では「ゲリウス」となっていましたので、自分はずっと「ゲリウス」はゲリウスだと思っていたのですが、ここに来て京都の方から「ゲッリウス」の風が吹いて来ましたので、「Noctes Atticae」を書いた「Aulus Gellius」は、「ゲッリウス」と、その日本語訳を引用させていただいた所存であります。

 

とここまで書いて、で、そのゲッリウスのメモが、本当のところ「陰謀」とどう関係してくるのか、という、結論を急がれる方々のお声が聞こえてきそうですが、自分は、このブログにおいて「陰謀」という単語を何回も使用していますが、この「2000年間の大陰謀」を簡単に説明する方法などは容易にあるはずはなく、例えるならば、直径50センチメートルもありそうなもつれた毛糸のかたまりのようなものを解きほぐすような作業でありまして、自分としは、その時々にほぐした糸を少しずつお見せして、それで全貌を想像していただきたいと思っている所存なのですが、これらのことと、冒頭に載せました「ドイツ系ユダヤ人」の問題、そして、バルザックが言うような「支配慾と占星学」の関係、また、ゲーテが指摘する「星位」、これらは繰り返しますが無関係ではなく、また、自分がこれまで過去の記事で書いてきた、例えば「バーナード・バルーク」「ポール・ウォーバーグ」「フランクリン・ルーズベルト」等の人物らも、この「ドイツ系ユダヤ人」問題とは無関係ではなく、そして「陰謀」とも無関係ではなく、ひいては、自分が過去記事に書いた、ルーズベルト元大統領の義理の息子の「カーチス・B・ドール」氏の著書「操られたルーズベルト」の中の、「イスラエル建国にまつわる1916年の米国と英国の秘密取引」などについても、まったくの無関係どころか、いわばそれは、その「2000年間の大陰謀」のうちの核心部分の一つとも言えるものでありまして、それらの一見もつれたように見える糸を、今、自分は解きほぐして行こうとしているのですが、それらの作業に役立つのが「ゲッリウスのメモ」と、カーチス・B・ドール氏が作成してくれた「ゴリアテの石」(投稿番号18ご参照)であるその著書と、自分が第二のゴリアテの石として選んだ「ネルソン・アルドリッジ四世」の著書、そして何よりも「ノストラダムスの預言」である、というのが今の自分の結論なのですが、それは「今が何時なのか?」という問題の答えの一部でありまして、そして「その星位はどうなっているのか?」ということになるのですが、その星の話をする前に、第二のゴリアテの石であるネルソン・アルドリッジ四世の著書とそれらの諸問題がどう関係するのか、という宿題をかたづけておかなければなりませんので、その説明に入りたいと思いますが、ドール氏は、ゴリアテの石を投げつける対象として「アメリカの連邦準備制度」を挙げていましたが、この制度の法案の起草者の一人が、このネルソン・アルドリッジ四世の曽祖父である初代ネルソン・アルドリッジでありまして、その草案を書いたのがポール・ウォーバーグであり、それをウッドロウ・ウィルソン大統領を使って具現化したのがバーナード・バルークである、というのがこれまでの過去記事での僕の主張でありまして、問題のネルソン・W・アルドリッジJr.(アルドリッジ四世)の著書「アメリカ上流階級はこうして作られる-オールド・マネーの肖像」には、以下のような興味深い一文がありますので、まず先にそれをお読みになっていただき、そして、その後に次ぎのご説明に入りたいと思います。

 

 

 

わたしが図書室に入っていくと、祖父は暖炉の右側にあるいつもの椅子にすわっていた。彼は当時七十代前半で、小柄だが恰幅がよく、ピンク色の頬、雪白の髪、フォッシュ元帥風の小さな口ひげをたくわえていた。その口ひげとレジョン・ドヌール四等勲章は彼が第一次世界大戦で軍務についた記念だった。いつもの習慣でキスをすると(奇妙なことに、祖父とわたしは唇にキスをしたのだ)その口ひげがちょっと湿っぽかった。わたしはキスをしながら、肉づきのいい彼の膝の上に『共産党宣言』が開かれているのに気づいた。

「これを読んだのかね?」

「はい、ほとんど」

「そうか、それもいいだろう」。彼は言った。「たぶんおまえも例の古い格言を知っているね――二五歳前に社会主義者にならないものは心がない。二五歳すぎても社会主義者なら脳味噌がない」

「はい、おじいさま」。確か何カ月も前に、わたしが父と何か議論をしていたときにも、この同じ古い格言が引き合いに出されていた。

「それであれは?」祖父はまるで茶器セットの間に、うっかり紛れ込んでしまったうすぎたない犬だとでもいうように、『アメリカの名門六〇家族』を指しながら聞いた。

「いいえ、まだです」

それは本当だった。わたしはジョーゼフソンもランドバーグも読んでいなかった。しかし、たとえ読んでいても否定しただろう。

 

 

 

上で言っているランドバーグの『アメリカの名門六〇家族』とは、今回、自分がカバー画像用に撮影した以下の画像の本なのですが(原題は単にAmerica's 60 Familiesであり、名門という言葉はない)、この書の中身を見ると、問題の「バーナード・バルーク」の名前は、リストの59番目にあり、「ウォーバーグ」はファミリーとして26番目にあり、勿論1番目の家族の名前は、ロックフェラーであって、2番目がモルガン、3番目はフォードでありますが、つまりこのリストは、「名門」というよりは「金満家リスト」と言った方がよいようなものでしょうが、これとアルドリッジ四世が書いた「アメリカの上流階級とはどんなものか」という本とを合わせて読んでいくと、いろいろと興味深いことが理解できてくると思うのですが、今回その一部をご紹介しようと思いますが、ここまで書いてきて、文字数もだいぶ増えましたので、その話は次回にまた続きを書きたいと思います。

 

なので、また来週の木曜日に、このブログにお越しくだされば幸いです。

 

では、最後に「アメリカの六〇家族」の写真を貼って終わります。

(同時に並べて撮影したもう一冊の本は、アメリカの対日戦争プランのオレンジ計画に関するレポートです。この話題もいずれいたします。今は、そのプランの開始が1897年とあるのにご注目)

 

 

 

アメリカの六〇家族