イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行い、バアルやアシュトレト、アラムの神々、シドンの神々、モアブの神々、アンモン人の神々、ペリシテ人の神々に仕えた。彼らは主を捨て、主に仕えなかった。主はイスラエルに対して怒りに燃え、彼らをペリシテ人とアンモン人の手に売り渡された。
士師記 10-6
イスラエルの人々は、またも主の目に悪とされることを行ったので、主は彼らを四十年間、ペリシテ人の手に渡された。
士師記 13-1
ダビデはサウルに言った。「こんなものを着ていたのでは、歩くこともできません。慣れていませんから。」ダビデはそれらを脱ぎ去り、自分の杖を手に取ると、川岸から滑らかな石を五つ選び、身に着けていた羊飼いの投石袋に入れ、石投げ紐を手にして、あのペリシテ人に向かって行った。
サムエル記上 17-39
私は本書で「ゴリアテ」を書きだし、いわば標的の中心を直接狙って、「ゴリアテにぶつける石」をこしらえてきた。「ゴリアテ」に注目されたい。連邦準備銀行と、その国際版である謎の外交問題評議会(CFR)、世界に広がるベルンハルト殿下のビルダーバーガー・グループ、そしてもう一つ、彼らの傀儡であり、狙いが見え見えの国際連合である。
カーチス・B・ドール著 「操られたルーズベルト」
金も尽き 命も尽きて しまうとも ただ望みおく 最後の瞬間
主の年2023年10月23日 柏木義邦
前回の投稿で僕は、預言者ホセアの以下の言葉を引用しましたが、これをお読みになられた方は、どのようなご感想をお持ちになられたでしょうか?
王は陰謀を働く者たちと手を結び
燃えるかまどのようなたくらみに心を近づける。
ホセア書 7-5
最近の世相は、何かというと、それは陰謀論だ、と、さもしたり顔で、お得意になっている人々を多く見かける様相ですが、これらの多くは、議論を封じるために行われる言動であることに違いないと思いますが、この世に「陰謀」なるものがあるとすれば、それについての論証の陰謀論も、当然あってしかるべきで、また上の聖書の言葉のように、そこにはっきりと陰謀とあるのですから、それはどんな陰謀なのか、または、そもそも陰謀という言葉の定義とは何なのか、調べてみることは大切でしょう。何故ならば、私たちは、その何らかの陰謀によって、命を失うかも知れないからです。
そこで、今回の記事からは、この「陰謀」もしくは「陰謀論」の問題について、少し書いて行きたいと思います。
今回、まず取り上げたい論説は、上に引用しました、アメリカのルーズベルト元大統領の義理の息子のカーチス・B・ドールの著書、「操られたルーズベルト」馬野周二訳(原題 F.D.R.My Exploited Father-in-Low by Curtis B. Dall)の「ゴリアテにぶつける石」ついてです。
彼が、あの書でこしらえた、「ゴリアテにぶつける石」とは、一体なんなのでしょうか?
このゴリアテの石、つまりはイスラエルの英雄ダビデが、ペリシテの巨人ゴリアテを倒すために選んだ五つの石、この石と、現在のイスラエルとパレスチナで起こっている戦争との間には、何らかの大きな関連性があると自分は考えているのですが、それについては、上に引用した士師記やサムエル記上に登場するペリシテという存在、つまりは現代のパレスチナ、もしくは前回のブログ記事にも引用した預言者アモスの言葉を借りれば、それはガザですが、これらの土地の、もしくは民族の因縁の果報を見れば、今後の展開はおのずと知れてくるのではないでしょうか?
さらに言えば、それらの聖書の言葉と、上のカーチス・B・ドールが言う「ゴリアテにぶつける石」との関連性も、これは無関係ではなく、これらすべてを一丸のもとに達観すべき時が、今、来ているのではないでしょうか?
なので、次回からは、これらについての自分の考えを若干表明して、今後の皆さんの生き残り作戦のための、何かのご参考にして頂ければと思います。
では、来週の木曜日に、またお会いしましょう。
以下の画像は、たまたま数日前に撮影した、現在の僕の本棚にあるカーチス・B・ドールの「操られたルーズベルト」です(一番右端)。
それ以外の本は、たまたま本の整理中につき、一旦ここにある本です。
これらの本の、どの本が陰謀論本で、どの本が、そうでない本でしょうか?
いい加減、レッテル貼りは、卒業したいものです。