鎮魂 と 光 | HAS Kashiwagi のGIGA

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不精なブログデス

悪夢が現実と成ることや、現実が悪夢に思えるとき・・・


死者と生者・・・私たちの共通意識(集合意識)の高まりは普遍概念へと向かおうとします。 「此処にひまわりの種がある 種が否定されて芽となり 芽が否定されて茎や葉となり 茎や葉が否定されて花となり 花が否定されて種となる」、G.W.F.ヘーゲル(1770-1831)の弁証法を表した一文です。(新しい弁証法・長谷川) 弁証法、それは元来普遍との対話であると考えます。 弁証法を論理的技法とのみ捉えるのは、とても味気ないことだと私は思います。 今一度、哲理に脈動を、鼓動を感じてみたいと思います。 透明な思弁によって精製された哲理は爪も牙も有しているのです。 それは、闇のなかで息吹くちからであり、一切の現象に潜む働きに対峙するちからです。


深遠な哲理はまた、生命とエントロピーにおける問題も(生命とは何か・E.シュレーディンガー)同様に、未知のエナジー(dark energy等)を含めた未だ不可知の働きの所在に関与する可能性にも繋がって行くものだと思います。

(弁証法と言う用語に限らず、用いられる言葉は、論者のそれぞれの解釈や歴史的な社会背景があることを踏まえた上で、私なりの展開をさせて頂きました。)
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心に光(普遍へと向かう運動)がある限り、黄泉、生生世世、いつの日かきっと再び巡り合える日が来ると信じて疑いません。