【この記事は以前noteに書いたものの再録になります】


(注意!以下、小説のネタバレがあります)



ずっと語りたかったこの作品。 文学& BL愛好家の読者なら、高村薫さんや柴田よしきさん、あさのあつこさん辺りは、一度は通る作家ではないでしょうか。一般文芸でも同性同士の執着や愛を書いた作品は多々あれど、このお三方は長く書き続けていることもあって、熱狂的に支持する読者も多いです。


 特にこの「聖なる黒夜」は、繰り返し読み返している大好きな小説でして、今まで読んできたフィクションの中で一番好きな同性カップルは誰かと問われれば、迷わず麻生龍太郎&山内練を選びます。 


 

 

お勝手のあんや、激流、観覧車など、多彩な作品を生み出し続けている柴田よしきさんの一連の作品の中でも、間違いなく最高傑作にして真骨頂。上下巻分かれた長編ではありますが、時間を使って読む価値は十二分にあります。


東日本連合会春日組大幹部の韮崎誠一が殺された。容疑をかけられたのは美しい男妾あがりの企業舎弟…それが十年ぶりに警視庁捜査一課・麻生龍太郎の前に現れた山内練の姿だった。あの気弱なインテリ青年はどこに消えたのか。殺人事件を追う麻生は、幾つもの過去に追いつめられ、暗い闇へと堕ちていく−。(文庫本あらすじ紹介より引用



ヤクザものといえば、 BL漫画や小説の中では一つの人気ジャンルで、ぱっと思いつくだけでもいくつも有名な作品がありますよね。 BLのヤクザものの場合、読者層がほぼ女性ということから、罪のない女性がタコ殴りにされたり、悲惨な目に合う描写は、やんわり省かれている傾向が多いように思います(もちろん全ての作品ではありませんが)。


 しかし、この小説は BLではなく一般文芸のミステリー。ここに出てくるヤクザは、女をシャブ漬けにして売り飛ばしたり、集団で犯したり、時にはいたいけな子供を巻き込んでしまうような、ガチもんの暴力団です。


そして天才と呼ばれる刑事、麻生にとって運命ともいうべき相手である、美しき経済ヤクザ山内練も、女を殴って犯すような、本物の外道です。


 二人の出会いは韮崎の死より十年前。女子大生強姦未遂事件の参考人となった練の取り調べを、麻生が担当したことから始まります。このときの練は泣き虫で大人しく、T工大の院を卒業後は、MITへの留学が決まっていたエリートでした。 


その彼が、なぜ男娼からヤクザへと転落したのか。


 練が地獄へ堕ちる全ての発端、元凶は実は麻生にあり、練は自分の人生を暗く閉ざした麻生を、十年間忘れることなく執拗に憎み続けます。一方、麻生はその間、何をしていたかといえば、彼のことをすっかり忘れて仕事に邁進&惚れた女と結婚しています。もう一度書きますが、練のことをすっかり忘れて結婚しています。


さすが麻生さん…自分に惚れた相手をことごとく幸せにできないことには定評がある男…(私調べ)。 この二人の温度差は後々まできいてくるといいますか、麻生は確かに再会した練に惹かれ、惚れ込んでいくものの、練の麻生への想いの方が、はるかに重くどす黒いんですよね。


練は誰と寝ようと、何人愛人を作ろうと、本当に愛しているのは麻生ただ一人。けれども麻生は、いい女に言い寄られたら、ふらっと身を寄せてしまうような隙がある。


愛し合ってはいるけど、どこか対等でない、想いの質量が違う二人なんです。


 この微妙な差異が、求め合ってはすれ違うの繰り返しの、麻生と練の切ない関係を形作っています。 


もう一つ、麻生には胸の奥底に隠している記憶があります。それは大学時代の剣道部の先輩であり、警察の同僚、及川との過去。学生時代から特別な関係にあった及川を裏切り、麻生は惚れた女性との結婚を選びます。


この及川さん、わりと凶暴な刑事なのですが、二十年近く麻生への愛憎をくすぶらせながら、現在は親友(と周囲は思っている)ポジに一見おさまっています。この人が重い。とにかく重い。 麻生のためなら人を殺せる人間であり、麻生の刑事としての冠に傷がつくことを恐れ、どうにかして周りをうろつく練を排除しようとする及川。麻生を巡る、練と及川(通称;麻生を殺したいほど愛してるの会)の三つ巴のドロ沼っぷりが、次第に明らかになっていく、韮崎殺しの真相と絡み合い、ミステリーと濃厚な恋愛小説としての面白さを加速させます。 


「聖なる黒夜」がここまで長く、読者に愛されている理由の一つに、やはり山内練という稀有なキャラクターの魅力が挙げられると思います。女の顔、と評される美貌を持ち、べらんめえ口調でアル中。キレると暴力的で手がつけられないが、驚くほど子供っぽい面もある。


系統としては、吉田秋生の吉祥天女の小夜子、BANANAFISHのアッシュなどもそうですが、練もその美しさゆえに繰り返し犯され、性的に搾取される立場から、いびつな形で強くならざるを得ませんでした。男娼経験があり、ゴルツィネや韮崎といったヤバイ庇護者に拾われ、その悪魔的な才能と頭脳をビジネスで発揮していくあたりも、練とアッシュの境遇は少し似ています。まあ、でもアッシュは女犯しませんし、タイプは全然違いますが。


 ゲイである練が、本来興味のない女性を殴って犯すということ自体、彼の心がすでに病んでしまっていることを表しています。真っ暗な谷底に堕ちた練の心を救うために、麻生もまた同じ場所に堕ちて抱き支えてやることが必要なのに、麻生はどうしても墜ちきることができない。長く刑事として、ヤクザのような反社会勢力の犠牲になってきた市民を見てきた彼にとって、ヤクザは憎むべき存在だからです。


この小説の後日談に位置するRIKOシリーズでは、一瞬闇に堕ちかけますが、結局は私立探偵に戻って、練とは違う世界で生きている。一方、自分を支配していた韮崎を失い、憎むほど愛していた麻生と離れた練の心はさらに病み、アル中、クスリ、セックス依存のトリプルコンポで、生きているのが不思議なくらいの状態。全然ハッピーエンドが見えない。 


後日談と書きましたが、本来「聖なる黒夜」はRIKOシリーズのスピンオフにあたります。二人が登場する作品はシリーズをまたいで広がっており、作中の時系列でいえば、 


所轄刑事・麻生龍太郎(麻生と及川)→聖なる黒夜→私立探偵・麻生龍太郎→RIKOシリーズ(麻生と練は二作目から登場。でも一作目から読むのがオススメ)→花咲慎一郎のシリーズ(基本練のみ)


でいいのかな。


こうやってみると、ほとんどサーガ。 個人的には、麻生と練が恋人として過ごした短い期間が読める「私立探偵・麻生龍太郎」と、練や秘書の環、奈美先生などがちょこちょこ登場する花咲シリーズが、スマブラ的な楽しみ方ができてイチオシです。花咲シリーズは聖なる黒夜関係なしに、ミステリーとして単体で面白いので特に好きですね。 


読む順番としては、聖なる黒夜を起点にするのが、一番わかりやすいと思います。そしてさくっと言ってしまえば、聖なる黒夜以外の作品、どれを追いかけてもハッピーエンドには届きません。


 ここが辛いところで、麻生と練にハマった読者が、もっと二人の物語が読みたいと、追いかければ追いかけるほど爆撃をくらう鬼仕様。


練と別れた麻生が他の女性に心を寄せ、衝動的に体を重ねたり、部下で愛人の斎藤(この人も元刑事)となんだかんだでよろしくやってる練とか、派生する作品を読めば読むほど、この二人の人生はもう交わらないのかな、と寂しく思うことも。それでもファンは、少しでも二人が登場すれば当然買って読みますので、もはやどこまでついて来られるか、柴田先生に試されている感さえあります。 


それからこれは書いておきたいのですが、この作者、腹の立つ女を描くのがめちゃくちゃ上手い。RIKOとか宮島静香(ファザコン気味で上司の麻生にぞっこんLOVE。相手にされなくても鋼のメンタルで粉かけまくるお嬢さん刑事)とか。


男には愛されるけど女には嫌われるタイプというのかな。RIKOシリーズでRIKOと静香が麻生について話している場面なんて、大丈夫か?この二人まとめて練にボコられて東京湾に沈められるのでは?と勝手にハラハラしておりました。この二人の違いを例えるとしたら、海外のホラー映画で真っ先に死にに行くキャラ(静香)と最後まで生き残ってクリーチャー倒すタイプ(RIKO)ですかね。麻生に対してのスタンスもそんな感じです。同じ腹の立つ女でも、突き進んで勝ち取る側のRIKO。


 女性キャラが重要なのは、麻生がバイセクシャルだから。彼は練や及川と恋愛関係にもなれるし、女性を愛して結婚することもできる。麻生が一見フラフラして見えるのは、彼がだらしないからではなく、男と添い遂げる覚悟が定まっていないからともとれます。 


練をなんとか真人間に戻してやりたいと願う麻生と、死んだ韮崎の意志を継いで、暴力団の幹部として破滅の道を歩む練。この二人の物語に、さらなる未来や展開があるのかはわかりません(現在、まだ単行本化されていない話が一冊分)。 


地獄の谷底を這いずり回り、金と身分を手に入れながら、たった一つ求める愛を引き寄せることができない、山内練の孤独な魂が救済される日は来るのか来ないのか。


人間の愛と業と哀しみを見事に書ききったこの傑作を、折にふれて読み返しては、終わりのない物語の途中で立ち止まっているような、ひどく不確かな気持ちになります。終わらないことが答えなのか、それとも最初から終わりのない物語であったのか。 


自分を愛してくれる人間を、同じように愛してやる。そんなひどく簡単に思えることが、これほど難しいとは。 


死ぬか生きるか愛するか。「聖なる黒夜」はそんな小説です。


「所轄刑事・麻生龍太郎」の記事はこちら下差し