【性愛】「感じる」と「つながる」循環〜愛も快も"掴む"より"受け取る"〜 | 傷だらけの人生を愛ある人生に

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性愛/女性性×男性性/愛着/見捨てられ不安/孤独感/家系の再演/セクシャリティ/パートナーシップ問題



どーも、心理カウンセラー奈美ですサングラス


前回の続きとして書いてみる。


愛も快も、イメージとしては

追いかけて捕まえるより


「委ねる・迎える・受け取る」


っていう女性性特化な要素の方。



ただ受け身なだけではなくて

受け取るという"主体性"の話。


だから女性性のみでもないんやけど。



"追いかけて掴みに行く快"

ってのも私は否定はしてなくて
それはそれでいいと思うねん。


ただ、今ここで私が伝えたい快って

"自分から向かっていく快"じゃなく
"委ねて迎えて受け取る快"なんよね。


快は快でも、ルートと質が違うから。


「気持ちよくなる」っていうのが
身体から入ってもそれだけで終わらず
心も人生も満ちる方につながってく。

心を扱ってたら自然と感度も上がって
身体も人生も満ちる方につながってく。


どっちが先でもいいんやけどね〜。

どちらもつないでいくのを目指すから。


だからこそ、性愛を深めるなら
片方に偏らずどちらも見たいんだ私は。



「感じる」って、"今ココ"で得てるもので。

当たり前なんだけど。


だから、愛にしても快にしても

「前はもっと感じられたはずやん」とか
「もっと感じたい、まだ足りない」とか

今ココにあるかもしれない
受け取れるものを見逃すこともある。



意識が感じる主体の自分からズレて
過去の経験から、まだない未来を
不安で埋めつくしてる場合なんかも

「あの時こうだった(過去)」
「またああなるかも(未来)」

って感じで、今ココにあるものを
感じづらくさせたりするってのは

前々回に書いた気がする。


もちろん、不安や恐れってのは
予測しやすい状態にすることで
身を守るための脳の賢い機能。

だからゼロになることはない。
そこは完璧主義目指さんでいい。


だからって、今ココに集中しすぎて
逆に硬くなることも避けたいから
ほんま何事もバランス大事なんよね〜


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「ちゃんと感じよう」になりすぎると
身体を監視する → まだ? → 足りない
→ もっと刺激 → 力む、になりやすい。

「ちゃんと愛されよう」としすぎると
相手を監視する → 愛ある? → 足りない
→ もっと証明して → テストや確認

ってなりやすかったりもする。


でも本当は、どっちもすでに
何か届いてるのかもしれない。


身体には小さな快が。
関係の中には小さな愛が。


それなのに、受け取る側が
"結果を出す仕事"を始めた瞬間
入ってくる余白が減ってしまう。

"監視"すると、遠ざかってしまう。
怖いやん見張られてるのって。笑


「見張る」んじゃなく「見守る」


っていうのも大事。


快を発生させようとしなくてもいい。
愛を発生させようとしなくてもいい。



まだ足りない証拠を探すよりも
見落としやすくなるから

「今ここには"ない"」前提ではなく
「まだ隠れてるだけ」って前提で

自分の内側から浮き上がるものを

「怖がらせないように迎えに行く」

って感覚でもあるかもしれない。


こっちは真の男性性要素も入る。


そこにおるの知ってるよ。
出てきた分だけ受け取るよ。

みたいな近付き方のイメージ。


すでにあるものを受け取れないと
愛や快を"発生"させようとしたり
すでに向いてきてる愛や快も通りづらい。



で、ここまで書いた「監視」上で
「感じよう」ってなった時は

身体を監視する → 快を探す
→ 捕まえる → 大きくする
→ 結果を取りに行こうとする

って、受け取る回路よりも
「掴みに行く回路」になりやすくて
感じ方の"方向性"が変わる。


それでもいい人はそれでええねん。
幸せ感じられるなら全然OKやし。


でも、女性性的な感じ方であれば

すでに起きてる微細なものに気づく
→ 邪魔せず、緩みながら待つ
→ 身体が動くのを迎える → 受け取る

みたいな、「在り方」の違い。


優劣でもないし善悪でもない。
掴みに行った後に受け取れるなら
別にそれでええわけやしね。


ただ、いつも掴みに行くだけだと
自分で頑張った感がないと
受け取りづらいって問題が
他のとこにもあったりするから

親密感に対する反応を見ていくと
「受け取る」方向にシフトする
ってなることも多かったりする。


自分から向かうのはいいけど
向かってくるのを迎え入れるのは
なんか抵抗あるパターンもあるし

人間関係もお金も助けも愛も快も。


逆に受け身なのに受け取れなくて
結局自分で掴みに行くしかない…?
でもそれしんどいねん…なのに

何もしない余白が落ち着かない
→感じすぎるから感じないようにしてる
みたいな前回のパターンがあったり
だから感じることが苦手とかもある。


でも「受け取る」って結構能動的。
だから完全な「何もしない」でもない。

追わないだけで、主体的はある。


これ、性愛だけじゃなくね。


「愛されよう」としすぎると
相手の愛を確認しに行く
証拠を"外側"に取りに行く
もっと向けてもらおうとする。


愛も快も「感じる主体」はもう
すでにここにあるって
自分の感覚に目を向けていくと

過去に「ああだった(から・のに)」
って今ココに不在だった意識も
未来を見て「こうなるかも」って
不安で今ココに不在だった意識も

「今もこれからも、これが欲しい」

って、今ココにある身体を開いて
心を柔らかくして未来にも通していける。


無意識だから気付いてなくても
感じられないのは過去の何かに
縛られてるからかもしれないし

欲しくない未来を想定してたり
(そりゃ感じたくないわけだ)
逆に欲しすぎて"今ココ"から
意識が遠ざかってたりもするし
(今ココにない前提が強い場合)


欲しい感覚が感じられない時でも
「今はただそうなだけ」であって
焦って取りに行こうとするほど

怖がって閉じちゃうこともあるんだよ。


自分自身はいくら「怖くないのに」
と思っていたとしても

追いかけて掴まれるんじゃなくて
迎えに来てほしいって感じてる
愛着部分(インナーチャイルド等)は

「え、こわ、もっと隠れよ。」
「やばい、危険?防衛しよ。」

ってなってることもあるから
心身を安心させてあげることが
めちゃくちゃ土台になる。


前は愛着を、インナーチャイルドを
「おちび」って呼んでたアレ。笑
ワークで使ってから愛用してたヤツ。


「感じる」ことが安全でないと
安心安全な環境がないと
「感じられない」わけだし
でも欲しいもんは欲しいから
「感じよう」と力んでしまうし
愛するも愛されるも同じこと。


だから、「女の私」は欲しいのに
「女の私」は快を感じられるのに
「愛着部分の私」はまだ怖いとかだと
心と身体にズレが生じるんよね。


大人の身体としては感じられるけど
関係性としては満たされないみたいな。

逆に、めちゃくちゃ愛されてるのに
大人の身体は閉ざしてしまうとか。


男性側にだって似たようなものある。

幸せを感じたいからわかりやすく
「お金や仕事」「モテること笑」
みたいなものを求めたりしても

「なんか満たされない」
「いくら得ても足りない」

みたいなことはあるしね。



足りないから「もっと」なのと
満たされた上での「もっと」も

心理状態としても全然違う。


わかりやすいところでいえば
後者は感謝が湧いてきたり
愛が満たされて外に向いていく。

それによって自分も枯渇しない。
無理しない、自己犠牲もしない。


受け取れるから健全に与えられる。


結局私が伝えたいのは
「愛し合う」幸福感への道なんよね。


子どもの頃は愛を取りに行かなきゃ
生きられへんことだってある。

泣いたり追ったり合わせたりして必死になる。


痛みが重なると愛が来た時に

「ほんまに?」
「いつまで?」
「もっと証明して」
「失う前に逃げよ」

って門を閉めることもできる。
無意識に起こることもある。



追いかけすぎない、監視しない。
欲しいものを感じない時も責めない。
愛や快がこちらに向かってこない
ように感じられる時も焦らない。

感じられる身体はそこにすでにある。

それを受け取れる心と身体を
取り戻して更に磨きをかけていく。


楽しいよこれ。笑


結果も大事だけど、結果"だけ"に
縛られてしまうとまた苦しいから

結果も過程として楽しむ。


だって、欲しいもの得られても
1度得たら終わりちゃうもんね。


でも、受け取れる心身かどうかで
ずっと必死に追いかけ続けるのか
追わないのに迎え入れられるのか

結構変わると思うんよね。


追いかけるの楽しーーー!なら
それも全然ありなんやけどね。笑


それにカウンセリングだって

「今幸せだけどもっと深めたい、拡げたい」

って人も来てくれるんよね。


どんどん愛も快も豊かな人生も
命の循環として深くつながって
拡がっていけばええなと思うわ。



で、性愛の話に戻ると
強い刺激を否定はしないけど
微細な感覚は拾いづらいし
"安心してほどける快"とは違うから

単なるテクニックだけではない。

同じ、"来たものを受け取る"でも
波で言うなら「連れていかれた」に近い。


ま、強度も人によって感じ方違うし
繊細な感覚を拾えてしまう人ほど
強刺激はむしろノイズになりやすいし
身体が愛も安心も覚え始めたら

その時「熱や刺激」も愛と安心の中から
追い出されずに深い波になることもある。


ただ、力んで向かって掴みに行ったり
波に攫われて連れて行かれる快は
人によっては"身体だけ"先行して
心が置いていかれやすいこともあるから

焦ってない?心と身体は緩んでる?

ってとこは初めは大切だと思ってる。



女性性は開くだけで終わりちゃうし
受け取るだけで止まるとそれもまた
別の問題(というか別の受け取り問題)が
浮上してくることだってあるし

ほんま螺旋階段なんよね〜。



身体って反応を取りに行くのは
心よりもわかりやすいし早いけど

ゆっくり潮が満ちて"浸かる"ように
ふわふわ水面に"浮かぶ"みたいに
満ちた結果、快は後からついてくる。


ただ気持ちよければそれでいい
っていうのが悪いとは言わないけど
一時的に、それだけで終わらずに

愛から出る「心まで気持ちいい」が
大切な人とのつながりを深めて
自分も周りも幸せにする循環に
巻き込んでいくことだってあるわけ。


そのための心と身体づくりを
お手伝いしたいなぁと思う。



ほな!


心理カウンセラー奈美