師匠に肉を焼いてもらう図。笑
お腹いっぱいすぎた、3ヶ月ぶりの焼き肉美味しかった…でもガッツリ肉は数ヶ月に1回でいいや…胃が重たい…笑
そして私は子供たちと夏休み満喫なう。
2週間のうちにプール3回、ツカレタ。
上の子2人はパパと水上アスレチックも行ったらしく、ええ思い出ができたね。
シングルマザーの私。
正直、自分のこと、心のことを知らなかったら、もっと苦しんでいただろうな思う。
なんで自分はこんなに苦しいんだろう?
それがわかるだけでも少し楽な気持ちになるもので、わからないことへの恐怖心っていうのはめちゃくちゃ不安になるし、身動きもとれないし、自分のことをわかっているつもりでも自己認識がズレていてそれが苦しさの原因になっていることもある。
自分のことをどれくらい知っているか?
自分のことだから自分が1番わかってる!ってセリフを何度も聞いてきたし、私自身もそう思っていたけど、自分では気付けないところっていうのも少なからずあったりする。
本当はそれが価値だし魅力なんやで!って部分でも、その価値や魅力のせいで傷付いてきたとしたら、どこか自分が悪いもののように感じて、自分を抑え込んでしまうことだってある。
それは誤解なんだけどね。
自分の何があかんのや?
そうやって、自分の中に原因を探す。
もしくは、相手の中に原因を探す。相手が悪いと思っていれば自分が変わる必要もないし、楽だから。
何より、自分の心を見なくて済むから。
自分を知る、心と向き合うって、綺麗なところばっかり見れるわけじゃなくて、過去の傷とか、辛かったことを思い出さなきゃいけないこともあったりで、1人でやるにはなかなかしんどいこともあるから、そりゃあ誰でも根っこにある罪悪感なんて見たくないわなぁって感じだし。
でもその罪悪感が溶かされると、罪悪感でガチガチに固められていた本当の自分がやっと姿を現すというか、これまで自分が思っていたものと、本来の自分は違った!ってことにも気付けたりするから、罪悪感と表裏一体になっている愛の方にフォーカスする。
自分がこんなにつらい思いをし続けるのは、誰のためになるんだろう?
なんの意味があって、こんなことが起こるんだろう?
誰のために自分は幸せになることを遠慮しているんだろう?
色んなことが見えてくる。
これまでの人生で絡み合った色んな情報を紐解いていく感覚。
人はよく自分のことを誤解している。
何故かよく目をつけられるから、目立たないように、波風立てないようにしたいのに、どうしても目をつけられる人。
そういう人はどれだけ地味になろうとしても、ひっそり過ごそうとしても、やっぱり何かと目をつけられる(良い意味でも)。
自分がなにか悪いことしたんじゃないか?喋り方?仕草?見た目?自分は周りと違っておかしいんじゃないか?
そんな誤解を自分に植え付けてしまう出来事が起こるから余計に自分をもっと抑えようとしてしまう。
もしくは、相手が悪いと思って、自分と向き合うことを無意識に避ける。
けど本当は、どれだけ抑えたとしても隠せない魅力が盛れ出しているから、周りはそれを察知する。
自分が何かするのが問題なのではなくて、何もしなくても自分がどれほどの魅力と輝きを放っているか、自覚できていないのがある意味本当の問題とも言える。
問題と言っても悪いってわけではなくて、目をつけられることで自分を悪いものだと勘違いしているのが問題と言うか。
相手が悪いと思うことが悪いわけでもない、そうして自分を守るものだから。
だって、誰かのせいにしなきゃいけないくらい、これまでずっと自分を責めてきたはずだから、もうこれ以上自分が悪いなんて思いたくもないしね。
自分を隠すと、搾取しようとする人が集まってくる。
『私、そんなに良いもの持ってないんで、悪いものなんで』
そんな風に自分を扱うとあまりに無防備すぎるから。
自分ではわかってなくても、そんな価値のあるものを自分では価値がないように扱っていたら、ましてや自分をそんな風に扱うからそんな扱いをする相手ばかりが現れて、まるで自分がすり減ってしまうような感覚になることにもなるかもしれない。
『傷付いてきた経験に魅力や価値が隠れている』と自覚して、その才能を受け取れたら、隠さなければ、そんな自分を大事に扱えれば、もっと表現できれば、更に魅力は輝き出すよなぁって感じる。
自分からは何も悪いものは出ていない。
こう思うことにすら抵抗がある人もいると思う。
ちなみにこれは私が実際に言われて胸打たれた言葉!
でも、自分をなにかおかしいもの、汚いもの、悪いものだと思えば、思った通りのものを発してしまう気がして、繋がりを感じづらくなってもしまう。
それが親密感への怖れになって、人と近付きたいのに近付けないとか、近付いたと思ったら遠ざかる出来事が起きたりとか、深い繋がりが感じづらくなったり、さらに傷付くのが怖くてどんどん心を閉ざして、自分を抑えることにもなってしまう。
人は人を傷付けることを幸せとは思わないものだから、自分が人を傷付けているって、何か悪いものを放っているって誤解は、なるべく早めに解消できればいいなっていつも思う。
自分が悪いor相手が悪い、どちらかに偏りがちだけど。
被害者でいる限り、加害者でいる限り、本当の意味で変わることはないと思う。
なので私は無害者という立ち位置をいつも推奨している。
自分が自分のことをどう思っているか?
それ次第で自分から見える現実は変わる、自分の心を通して現実を見ているから。
例え相手が悪いように見えても、そういう風に見たいから自分にはそう見えるということ。
なぜ自分はそういう風に見たいのか?
自分はどう感じているのか?
そしてどういう風に自分の世界を見たいのか?
自分の心を知るって、暗闇に光明が差すような、視野が広がるような感覚があるなと私は感じた。
今が暗闇でも、その中に光はあるし、なんなら自分自身が既に光を持ってるってこと。
めっちゃ伝え続けたいなぁと思いました。
心理カウンセラー奈美でした!