![ハートのバルーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/662.png)
この記事、実はあたいの話。
(カウンセラーには守秘義務がありますが、本人がバラすのは問題ないとのこと)
私の場合総じて『共依存』だったからそりゃなかなか別れられへんわー!!で済むくらい何年も共依存続けてきた気がする!w
師匠が書いてくれてる主に⑶⑷がそうなんやけど、結婚生活最後の方の3年くらいは、めちゃくちゃ『助けたい症候群』に陥ってて、元旦那を助けるまでは離婚できない!
と思ってたんよね、私。
助けなきゃダメだと思ってんの?
⇒家族を見捨てたくない(罪悪感)
それって相手も望んでるの?自己満じゃない?
⇒あたしのせいでもあるし、相手もその方がいい(思い込み)
どうなったら助けられたってことになるの?
⇒わからん!w(ビジョンないからこの状態から動けない)
助けられなかったらどうなると思ってるの?
⇒かつてのあたしみたいに後悔する(投影)
ほんまに自分ができることなの?
⇒できないとか認められない(無価値感)
自分はそれができる状態なの?
⇒しんどいけど早く旦那ことどうにかしなきゃ(自己犠牲)
なかなかキツイ問いを自分にしてきたもんだよ…
吐きそうなくらい泣きながら向き合ってきたけど、いま改めて当時のこと思い返すと、まぁなんて酷い。w
アンサーに関しては当時は気付いてなかったものもあるし、カッコ内は他のことに置き換えられるものとか掛け合わせもあるけど、あえて色んな感情があったよってことをわかりやすく全部別のもの書いた。
私は元旦那に『父親』と『過去の自分』を投影してた。
元旦那を助けたかった。
けどそれは、結局私は父親と仲違いしたまま家を出て、荒れ狂う父親を助けられなかった(と思い込んでた)から、代わりに元旦那を助けることで親子関係のやり直しをしようとしてたらしい。
らしい、っていうのは、無自覚だから。
心理的にはそういうことが起きてるけど。
(パートナーに異性親を投影するし、同じ家族間の距離だから尚更その影響は強く出る)
結婚初期は私の方が荒れてたんやけどね。
なぜか父親と同じことをしてしまうのが苦しかったけど、それはそれで『理解できなかった父親の気持ちを理解するため』で、ほんまはそれだけ父親のこと好きやったよね、わざわざ同じことをしてしまうくらい…ってことになる。
そして最後の別居ではほんっっっまに、私の過去の傷の集大成とも言えることが起こりまくって、元旦那のこと『これってあたしやん』って思える部分が一気に増えて行った。
そもそもその前から、荒れた家庭環境で孤独だったり、共通点が多かった。
子供にもかつての自分を投影してたから(今も子供時代の傷が痛むのは精神的には時が止まってる)大人になりきれてない『子供目線』の私にとっては、子供の父親である元旦那と離婚することは、父親に『また』見捨てられるような感覚にもなった。
また見捨てられるような
また見捨てるような
どっちの感覚もあって『離婚しない』選択肢しか持てるわけなかったんよね。
共依存って『執着×執着』の関係性で、執着とは選択肢がなくて不自由なことでもある。
前向きに離婚しないことを選んでるわけじゃなかった。
『それしかなかった』だけ。
離婚することで得る『ネガティブな要素』を味合わないために、離婚を選べないだけ。
一応頭では離婚した方がええんかな…とは『考える』ことはするけど、感情的には全然そんな気ない。
だって執着してるんやから。必死にしがみついてるようなもの。
問題を起こす側と、それの面倒を見る側。
厳密に言うと、面倒を見る側にも問題があるんやけどね。
『苦しい状況に身を置き続けたい』理由がある。
冷静に考えたら、旦那=父親だったわけで、父親を助けたいがために傷付いてる娘を見て、実の父親は本当に救われるのか?って話。
他にも『ここまで傷付いたら助けてくれる?』っていう、少し苦しいくらいでは『助けを求められない』問題もあったりした。
(どうせ助けて貰えないって思い込み。自立しすぎ問題)
助けられない自分を許せないっていう罪悪感もなかなかキツくて。
そんな自分が悪い、そもそも怒らせた自分が悪い、あの人は傷付いてるのにその傷を抉ったのは自分。
そうやって自分を責め続けることが出来る。
自分も傷付いてるのにね。
夫婦の問題の責任は五分五分として見るのが基本なんやけど、旦那の分も背負ってた、なんとかしてあげようとしてた。
更に私がかつて実家を出て行って家族を見捨てたように感じた時の『あたし』みたいな行動も元旦那は演じてくれてたから、かつての『あたし』のことを見捨ててしまうような感覚もあったし、そんな『あたし』みたいな思いはさせたくない!と思ってた。
これに気付いた時にその当時の自分と向き合って傷を癒すこともなかなか出来なかった。
元旦那の言動に投影されてる『かつてのあたし』を許せなかったんよね、元旦那も抱いてたであろう家族に対しての『ごめんなさい』『自分が愛されるわけない』っていう思いは、私がたんまり持っていたもの。
それを元旦那は当時見せてくれてたんやな。
パートナーは鏡っていう法則。忘れてた。
本当は、そのかつてのあたしのことを、助けたかったんやろうな。
そういう意味でも、元旦那を手放すのは自分の一部がなくなってしまうようで怖かった。
ていうかこの一文がもう『共依存(癒着関係)』表してる、『自分と相手の境界線がない』状態やから。
だから私の場合『別れたいのに別れられない』とはちょっと違ったんよね。
『別れた方がいいかもしれない、けど別れる気はない』ってハッキリ思ってた。
元旦那も、なんやかんや本気で離婚する気は多分なかった。
言動から推測でしかないけど。
私にはまるで『試し行為』にも見えてたんよね。
本気で離婚したい人がさ、またわざわざ自分が悪者になるような行動とるかな?
『有責配偶者』になってまでしたかったことは多分、早く私から見放されることだったんじゃないかなぁ。
悪者にされるのは嫌だとも思ってたと思う。
けど、離婚したいなら自分から調停立ててくるなり、自分から動くことするよね。
音信不通で生活費滞納、それしかしてなかったんよ、元旦那。
(それしかっていうかだいぶ困ったけど)
『こんな俺でも受け入れてくれるか?いやもう無理やな。ほら、俺こんなに酷いやつやから、さっさと離婚突きつけてこい。俺からは動かれへんから。』
私にはこんなふうに見えてた。
絶対せーへんからな!って奮起してたw
頑張る方向間違えた…
まぁ、それくらい助けたかったんよね。
自分を犠牲にしてでも。
そういう深い愛がある自分に酔ってたのかもしれない。
『離婚』と『見捨てる』ことをイコールで繋いでしまってた。
『離婚』と『もう愛さない』ことをイコールで繋いでしまってた。
ただ『一緒に暮らして生きていくパートナー』ではなくなってしまったけど、見捨てるわけでも愛情がないわけでもなかったのに。
繋がりや一体感を感じられてお互いを受け入れ合ってる相互依存と違って、一緒におっても繋がりは薄くてお互いを見失ってる孤独で不安、でも離れられない共依存。
どっちも『依存』ってつくけど、中身は全然違うのよねー。
お互いに同じ闇を持ってたから、私の気持ちを1番わかってくれるのは旦那やし、旦那の気持ちを1番わかってあげられるのは私やと思ってた。
旦那の気持ちも『わかりすぎてた』から。
心理的距離が近すぎたんよね、『あたしと同じ』やと思ってた。タイトル通り。
この時まだフラッシュバックするほどの傷があって、めちゃくちゃ恨んでた、いざ目の前にすると寄り添う余裕もない。
いま冷静に考えれば
そんな状態の私が助けられるわけないやん。w
でもそれを認めることが苦痛だった。
『あたしが助けられないんじゃない、旦那が逃げるせい。あたしのせいにするせい。あたしの傷を抉ってくるせい。』
私は私で相手のせいにしてんのよね。
ほんとお互い様。
この時の喧嘩だって、私は正論をぶつけたから、ぐうの音も出ない元旦那は逃げ出したくなっただけ。
『子供が父親を求めてるのに仕事しかしないのはおかしい』
『育児してない罪悪感のせいで火傷するような喧嘩にもなったのに、更に子供との時間削るのはおかしい』
正論なんよ。
でもこれが私のしたモラハラだった。
なんで逃げ回ってるかわかってたのに。
自分のエゴとニーズに振り回されてしまった。
なんのために心理学勉強してたんだよ、って自分を責めたし、だから尚更自分のせいでもあるから『補償行為』として助けようとしてたんやなーと今ならわかる。
(この件のあとに、もうダメだ自分一人では!と思って、リンク貼ってるセミナー行ったw)
共依存は周りも巻き込むことがある。
家族間なら特に。
子供のためにもなんとしてでもパパを離れさせないって思ってしまった。
もう私も狂ってたよねw
なにが『子供のため』なのか。
こんなに苦しむ両親を見て長女が本当に幸せなのか、求めてたものなのか。
求めてたのは『仲良し5人家族』やった。
私もそう。旦那も『元は』そうやったはず、って思ってたから、もうね…ほんまに、元旦那に洗脳されてたんじゃなく『あたしのあらゆる思い込み』に自分で洗脳されてたわ。
今から『仲良し5人家族』に戻ればいいやん。
本気で思ってたからね。
それくらい失いたくなかったもの。
それくらい本気で求めてたもの。
長女を見てると、かつての私みたいで、鞭打っても頑張るしかなかった。
だから離婚がよぎると
『ママもう頑張れなくてごめんね』なんて言いたくない!と思って、無理してた。
『あたしはあたし、旦那は旦那』
っていう自分軸なんて知らんかった時。
お互いに誰かとぴったりくっついてないと安心しないくらい、常に不安と寂しさを持ってたもん、付き合った時からわかってた。
お互いまるで赤ちゃん。w
それくらい未熟な2人でした。
よく、モラハラやDVを受けている側は
「私のせいだから、普段の彼は良い人だから」
って言いがちなんだけど
それを知っていた&モラハラDVが起こる心理もわかってた私は
「あたしは別に旦那に依存してるわけじゃない、あたしは違う、根は愛情深い人やからやってる側の旦那も苦しんでる。だから見捨てられへん。心理をわかりながらも離れないことをちゃんと自分で選んでる」
って、思っていた、というより、言い聞かせていた…?
もはや脳内に根本師匠が住んでいて(?)ちょくちょく登場してて
「それってほんまに自分らしいの?」
とか
「ほんまはどうしたいの?」
とか、脳内再生されてた。w
何度も自分に問いかけてきたはずなんやけどね。
『いやぁ…本来のあたしならすぐにバイバイしてたやろうな…』
『ハイハイよしよしって受け止めるのも、今のあたしにとってはあたしらしいのか…?』
そしてどっちも『できない』のが苦しかった。
ただただ思考するだけ。
『どうしたい』かって聞かれたら、『自分』がどうしたいかはほぼ出てこないんよ。
『旦那』にこうなって欲しいって思ってたから。
旦那軸(他人軸)満載やったよね。
共依存って、そうやねん。
そりゃー自分はなかなか変わらんわ。
バイバイしたらまたこの人は『見捨てられた』って思ってしまう、また家族を失ってしまう、そんな思いをまたさせたくない!!
でも、ハイハイよしよしってして、落ち着いてくれるならしてもいい、そうでなければしたくない。
結局、自分のことより相手のことな部分もあるけど、相手を変えたい気持ちから、自分を変えようとしてただけだった。
意識がほぼずっと相手を向いてた。
ただ、このセミナーに行った時もそうだけど、この頃は今までにない感情が芽生え始めてたとき。
『もう助けたくない』
ふと自分の本音が出てきた。
もう苦しい。もう辞めにしたい。これ、本音やったはずやのに。
でも、そんなこと思ってしまう自分のことを許せなかった。
いやそんなん思ったらあかんやろ!助けないと!って思ってた。
もう助けたくないって思うこと自体、罪悪感が半端なく湧いてきた。かなり重症やったと思う。
助けようともがいてる自分にも執着してたんやと思う。
それができないと意味がない価値がない、あたしは何のためにおるんや、家族を、パートナーを助けられへんなんて…
でもこの辺から、根本師匠が言ってた『才能』を受け入れ始めてきたのかもね、『あたしってほんまに癒せてなかったか?』って、自己否定を疑い始めたから。
このまま『あたしはあたしなりに癒せたよね』っていけばよかったんやけど、、、
(離婚決めた頃から思えるようになったけどね)
同時に、才能があるにも関わらず出来ないなんて、それがあたしの生まれてきた意味やのに、まだ頑張れや。って思ってる自分もいた。
自分を責める気持ちがまだ強すぎた。
だからこそ、旦那を癒すまで離婚する気がなかった。
ここまで書いてきたことが、最後の別居から約半年のうちにあったこと。
もう1人で向き合うの限界!根本さん助けて〜!と思って駆け込む約半年前、最後の別居のきっかけになった火傷事件で、右手に傷痕が今も残ってるんやけど
右手の火傷のスピリチュアル的な意味
『自分の才能を発揮したい』
『自分の能力を抑えている』
『成長・気付き・感情の解放』
『臆病になっている』
『やるべきじゃないことをしている』
ってことを最近知って、なんか泣けてきたよね。
あの火傷はほんまにあたしらしく生きるための布石やったんかもしらんなって、更に前向きに捉えられるようになった。
あれがきっかけで、父親からの愛情受け取れるようにもなったしね。
やはりベストなことしか起こらない。
師匠の記事に書かれてる『女神性』を発揮するべきやったんやろうし、それを抑えてたんやろうし、やるべきことじゃないことをしているって、『旦那よりまず自分』のこと向き合うのが疎かになってたしね。
人の心理として、相手を傷付けるとしっかり罪悪感は感じるもの。本人は悪いと思っていないような態度であったとしても。
でもその罪悪感さえ、受け入れることができない。
だから、自分がこうなるのはお前のせいだ!と、なる。
人のせいにしている人はもれなく罪悪感満載よ。
罪悪感とは自己攻撃でもあるから、自分を攻撃することが耐えきれなくなると今度は相手を攻撃することで、自分を守ろうとする。
攻撃は最大の防御、ってやつやね。
自分がモラハラやDVをしているのに「お前が悪い!自分は悪くない!」と言う裏にはそんな心理がある。
これは絶対謝らないマンにも当てはまる。
罪悪感を感じることは心が耐えれないから、謝ってしまうとその罪悪感を認めることになってしまうから、謝ることができないだけ。
悪いとは思ってるけど謝罪のワードが『出せない』人もおる、喉がつっかえるみたいな感覚で。
相手のせいにしていることで更にまた罪悪感を溜め込む。
もうね、悪循環の悪循環なんよねー。
でもそんな旦那を許してきたのは私。
いや、ほんまに許せてたわけじゃなかったのかもしれない。
謝って欲しかった、ほんまは。
あんなに傷付いてたこと、わかって欲しかった。
『見捨てられたように感じた経験から、自分は要らない子なんだと傷付くのと同時に、自分の存在によってあなたを幸せにできなくてごめんなさいという傷(罪悪感)』
(ややこしい)
愛する者同士でのモラハラDV。
される側はもちろん、する側もめちゃくちゃキツいの。
本人が意識できてなくても、傷付けてしまったっていう『何かしてしまった罪悪感』だけじゃなく、上手く愛せなかったとかの自分にはできなかったっていう『何かをできなかった(しなかった)罪悪感』もあって、こっちがほんまにきつい。
ちなみに『恵まれてることへの罪悪感』ってのもあって、あたしだけ子供達と一緒に居れてごめんね。は、いまだにある。
夫婦関係は罪悪感の温床とも言われるけど、それにしても私たちは罪悪感まみれだった。
『私は何も出来ない、救えない、自分はなんて無力なんだ、私の存在に何の意味があるのか、しかも被害者になって相手を悪者にしてしまった、傷付けてしまった』
まぁこれも、元々親に対して感じてたものなのかもね……
そして罪悪感は『自分は毒だ。悪い人間だ。』というような思い込みを作る。
(積み重なることで段々麻痺していく、感じてしまうと心が壊れるから)
『思い込みが現実を作る』心理によって、罪悪感を感じる状況を、自ら作る。まさに『自作自演』や。
これはモラハラDVをする側される側どちらも同じ。
その罪悪感の現れ方は様々、よく言われている『モラハラDVの悪化』はこういう心理が隠れている。
そういうことが起こる度に、『自分は毒だ』という思い込みが強まっていき、そういう現実を作り上げ、お互いに苦しんでいたのが、私たち元夫婦。
『もうあんな風にするのはやめよう』と思っていても、無理やり抑え込んでいるだけなので、抑え込んだ分の反動で、より酷い状況になることも。
地震が起こるときの仕組みに似てるかな??
抑え込んでいる状態とは、エネルギーを溜めているだけの状態。
で、一体何を抑え込んでいるかと言うと、意外にも『依存心』なんよね。
本当はわかって欲しい、愛して欲しい、助けて欲しい。
こういう依存心を素直に言えない。
依存心を拒絶されて傷付いたりしてきた分、出すのが怖くなる。けど無いわけじゃないから、やがて出てくる。
一般的な依存心のイメージって、『これがないと生きて行けない』的なものだと思うけと、モラハラDVもある意味そうなんよね。
そういう態度を出せる相手は限定されていて、そういう自分を出せる相手に依存しているということ。
それをわかっていたから
「あたしがおることであんたの中に溜まってるもんが出せるなら、あたしにしか出されへんものなら、あたしが受け止めたるわ」
そう言ったこともある。
元旦那はそれを聞いて、何とも言えない切なそうな顔で黙ってた、言葉が出ないというような感じ。
「ほんまにええんか…?」
そういう顔にも見えた。
本当はそういう自分の中に溜まったものも出したいはずだし、そんな自分を受け止めて欲しい、それもわかってた。
なかなか出来んかったんやけどね。
そうやって私は私で、酷い態度をとる相手に依存していた。
だって、この相手なら存分に私の才能を発揮出来るから。(出来てなかったけどw)
頑張ってる間は、頑張ってるあたしって状態に対して価値を見れるから。
だからこその
『あたし旦那を助けたい。それが出来んうちは離婚せぇへん。』
だったし、1人で苦しませねーよ!って
まるで『2人で一緒に地獄に堕ちる愛し方』やな、今思うと。w
だって私も傷だらけやったんやから。
そして私は師匠の意図とは違う方向に行ってしまった。
才能があってもなくても、自分を責めるために教えてくれたわけじゃないのに…
価値や魅力に気付けば、才能を使えば、必ずこうなります!というものはない、幸せな人生を選びやすくはなるけど。
師匠は、こうすると旦那のこと受け入れやすいよね?それが出来るだけの才能は持ってるはずよね?っていうことを、イメージワークを教えてくれた。
だからと言って離婚しないとは限らない、傷つかず受け入れられるような状態に私がなれれば、そういう態度を見て相手も変わり出すことはあるし、もし変わらなければこちらが、もう旦那要らねぇな、ってなることもあるのもわかってた。
そして
「才能があるからといって必ずしも救えるわけじゃないですよ」
ってこと。
いくら才能があるからと言って、相手が助けてもらうことを望んでいない場合もあるから(罪悪感が強すぎるせい)その場合はその事実を受け入れる必要があるのよね。
その場合こちらがいくら頑張っても助けられないということになるし。
それなのに私は
「助けられるはず!それが出来ない自分はダメだ!」
と、自分を責めるために才能を受け取ってしまってた、初めは。
恐らく師匠の意図とは違う方向に行ってしまったけど
「まぁ、しゃあないよねー」
って聞こえてきそうw
『助けなきゃ!』ではなく
『助けなくてもいいんだ』ということを受け入れる必要があったんやけどねー。(これがまたキツイ)
『助けたくない』って気持ちがよぎったのに、打ち消そうとしてたもんね、自分の本音を。
人生を旦那に捧げた。
人生の軸が旦那になってた。
私の人生なのに、主人公が旦那になっていた。
あちらが示してくれていたのに
「もう俺のことは助けんでいいから」って。
でもそれ聞くとまた…w
いや!あたしが助けるから!また繰り返すwww
本当はわかってた。
元旦那が離婚したがっているのに助けようとしても無駄なことは。
離婚したがっている理由も、表面的に見れば『自分が問題を起こしているのに私のせいにしている』ように見えたけど、心理面を見るとわかりやすかった、罪悪感をたんまり持ってる人の言動があったから。
『こんな自分はもう側には居られない。救いなんて求める資格もないし、許されるなんてもってもほか。でも離れ難い、だから俺はやっぱり悪人になって離れてもらうしかない』
まぁこんなところだったんだろう。
元旦那本人も
「もう俺のことは助けんでええから、はよ離れろ」
「また戻りたくならんように逃げてる」
「許されるほうが俺にとってはキツい」
自覚なかったみたいやけどね〜w
ポロッと本音の本音が漏れている時がちょいちょいあった。
根は素直だし、愛情深いんよね。
そしてそういうところが見えてしまうから余計に、私もなかなか離れられなかった。。。
特に私は、罪悪感と愛情が比例するなら、これだけ悪に染まれるのはそれだけの愛情深さもあるからだ、と、なんとか愛を信じようとしてた。
それ自体はええことやとして、だからって自分を苦しめていい理由にはならんのに。
『どんな理由があってもあたしを殴っていい理由にはならんやろ!そうなってしまう心理はわかるけどさ!』って思ってたけど、あたしに対しても同じやん!ってことにはなかなか気付けなかった。
自分を傷付けてしまう心理はあるけど、だからって『傷付けてOK』ってことにしてたのは、あたし自身やった。
これはもはや潜在意識の領域。意識的には傷付きたくない!から、抵抗してたんやもん。でも潜在意識が許可したことはしてしまうんよね。
20年近く、『自分を傷付ける』潜在意識だったから、『自分を愛する』潜在意識に書き換える(というか割合を増やしていく)のは、なかなかに大変やった…
というかそもそもモラハラDVは無自覚のSOSやから。
そんなことも本人はほとんど気付いてない。
『助けて』なんて言えない(依存心を隠している)から、モラハラDVっていう、間違った依存心の出し方になってしまうことがある。
隠しても、抑え込んでも、なくなるわけじゃないんやけどね。
でも、私からいつ見捨てられるかわからないから(それだけ酷いことをしているから)そうなると傷つくから、自分が離婚のカードを握っておきたかったらしい。
(この辺も元旦那との話で確認した、ちょいちょい素直さ滲み出るw)
酷い扱いをする側、される側、どちらも依存しあってる『共依存』っていう関係。
『この人がこんな態度を出すのはあたしだけ、だからあたしにしか救えない』
本気でそう思ってた。
でもある日言われた。
「俺が変わるきっかけはお前以外かもしれへんやろ。今は変わる気がないねんから」
ハッとした。
私には無理なのか…とショックも受けつつ、そうだった!!!って思った、師匠の言葉を思い出したから。
「彼が幸せになるなら、誰が幸せにしてもいいよね?」
手放すほどの愛。
ブログに書かれてたこと。
(画面に穴開くんちゃうかってくらい読み漁ってたからな…!)
そうだった、私の人生は私の人生で、旦那の人生は旦那の人生、いくら夫婦でも、別の人間や。
これは子供に対しても思えるようになっていった。
子供があたしのようになるかもしれない、でも、ならないかもしれない。
だって私と子供は別の人間だから。
旦那と私も、一緒に人生を歩む約束はしたけど、それはお互いが同意した上で成り立ってるだけ。
苦しめるために結婚したんじゃない。
私が助けようとすればするほど、旦那は罪悪感を抱いてしまう。
これ以上罪悪感をお互い重ねないためにも、離れた方がいい。
この時点ではまだ頭でわかっていて心はほとんどついてきてなかったけど、確実にそっちの方向に向き始めたのは確かだった。
そして過去に私を救ってくれた、お互い好きなまま離れることになった、救世主のような男性の言葉も急に思い出した。
「好きなら好きなままで、例え連絡を取らなくても、会えなくても、相手の幸せを願い続ける、これって究極の愛じゃない?」
(思い返すと師匠と同じようなこと言うてる…すご)
そして10代の頃の1歳上の元彼の言葉も思い出した。
「大切な人がどこかで生きてる、それってめちゃくちゃ幸せやん。」
今書いてても涙が溢れて止まらんぜ。
私はあんなに傷付けてきたのに、めっちゃ愛もらえてたやん、ありがとう。
『あたしはどうせ男を傷付ける』
そういう思い込みもあったし、それを証明する結婚生活やった。
当時は、いくら大切でも側におらんと意味ないやん!って思った。
そしてそれは大人になっても変わってなかった。
私は私で、内側に5歳児がおったんよね、ずっと。
「大好きなパパが側に居ないと意味がない。なんで勝手に離れていっちゃったの?なんでママと私たちを見捨てたの?」
ずっとその思いがその当時のまま残っていることに気付いたんよね。。。
だから離婚に向けて動く直前も
『女の人生捨ててでも子供のために生きる!』
みたいなことになってしまったし。
でも結局、あれこれ考えずとも、『あるべき方向』に導かれてしまうもんなんかなーとも思った。
『ビジョンは示されるもの』
っていう師匠の言葉も思い出した。
(まじで頻繁に脳内に根本師匠召喚されてたw)
続きは次回
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