ネットでこんな記事を拾った。「実は多い、『高学歴だけど仕事ができない』人たち…過去の成功体験に縛られた『悲しき現実』」
〈今パッとしない人ほど過去の成功体験を持ち出すように見受けられる。その最たるものが学歴だ。学歴は主にペーパーテストの点数で決まり、コミュニケーション能力や臨機応変に対応する能力を必ずしも反映しているわけではない。当然、業務内容によっては、高学歴だが仕事ができない人が一定の割合で存在する。この男性の上司のように「いい大学を出ているのに、あまり仕事ができない」部下の件で相談を持ちかける管理職に何度もお目にかかったことがある。〉(『職場を腐らせる人たち』より)

私は何度も書いてきたが、勉強には二種類ある。一つは普通に学校でやるような勉強。一定量の知識を頭の中に叩きこむ勉強。テストでイイ結果を出すための勉強だ。明白なゴールの在る目標を達成させる勉強だ。もう一つは、明白なゴールの無い目標達成させる勉強だ。何かのプロとして一流になる。そのための一流の職務理念と職務技能を身に付けるといった勉強だ。

この二つの勉強でイイ結果が出せる、成績上位者になれる才能は全然別だ。だから東大や慶大の医学部を優秀な成績で卒業できた百人が百人とも名医であるとは限らない。東大京大早慶明法中一上といった辺りの、いわゆる高偏差値大学法学部を出て司法試験にも合格(pass)できた百人が百人とも裁判官検察官弁護士として一流であるとは限らないということが起こってしまうのだ。

だから学歴・ペーパーテストの点数だけで、何かのプロとしての有能無能を判断するのは危険なのだ。最悪の場合、「『自分はどんな不道徳(モラハザ)行為でも違法(トンデモ)行為でも、何をやっても許される』と考える、非人間的な特権意識の持ち主、自己中心的」な、片田珠美氏の言う高学歴モンスターである可能性も在るのだ。

仕事が出来る人かどうかを見極めるには、実際にやらせてみるしかないのだ。何かの仕事をさせてみて、上手く出来ればどんどん任せる。出来なければ解役・配置転換・訓練。不正が在れば降格。悪質ならば解雇(クビ)。こうするべきなのだ。

「人を育てるとは、仕込む事ではありません。仕事をさせてみることです。誰かをまずその役にお就けなさい。これはこうなれば成功という目途をはっきりさせてやらせる。上手く出来れば御褒美御加増、できなければ解役、不正が在れば減封、悪質ならば追放、それで良いのです。『けどなあ』では進みません。戦と同じです。時には討ち死にする者も出るものです。」(堺屋太一の『秀吉』より。北近江長浜城主となり、行財政を司る人材が新しく必要になった秀吉への、竹中半兵衛の助言{アドバイス})