昨日夕刻(2024.6.8、15:41)、東京赤坂外堀通り山王下交差点より、日枝神社鳥居を臨む📷↓。


閑散としている土曜の外堀通り(📷奥が、赤坂見附交差点)。右手の高層ビルがプルデンシャルタワー。かつて、2.26事件の際、反乱部隊が宿した料亭幸楽があった場所であり、力道山が死亡した原因となった刺傷事件があったクラブがあった場所でもあり、そして、あの凄惨な火災事故の現場となったホテルニュージャパンの跡地に建つのがこのビルである。


日枝神社へ登る参道エスカレーターから見た首相官邸📷↓。


エスカレーターわきに掲げられていた提灯群📷↓。麹町、日本橋、霞が関、永田町、八重洲、銀座、新橋、八丁堀等々、東京都心の名だたる街名が並ぶ。


この日は、日枝神社の祭礼、日本三大祭り(京都の祇園祭、大阪の天神祭)のひとつであり、江戸三大祭り(神田祭、深川祭)のひとつでもある山王祭の宮入りの日である。


宮入りは、神事の後、木遣り歌衆、提灯行列📷↓に続いて行われる。


日枝神社の正門前にあたる石段を神輿が鯔背な威勢とともに登っていく📷↓。ここでの担ぎ様は、神輿後方の担ぎ手が神輿を平行に保つべく手をかかげるのではなく、担ぎ棒を肩にのせたまま登る。その方が負担が大きいのだが、江戸の意気というものであろう。

神輿を担ぎ、賽銭持ちをし、獅子舞を舞って育った筆者、やはり、他所の祭りといえど、気持ちが高揚するのはいかんともし難い。出来れば、自分も祭り半纏を羽織って、神輿を担いでみたいが、足手まといになるのは必定。見るだけに止めるほかなかった。






 


 


山王祭宮入りを見物した後、『赤坂砂場』で、釜揚げうどん📷をすする。江戸の意気を見た後なら、蕎麦を手繰るのが常道だろうが、前日、練馬で蕎麦を食べていたので、昨日は、うどん。




『赤坂砂場』の帰り、創業400年、赤穂浪士の浪曲“徳利の別れ”にも出てくるという酒屋『四方』で、佐賀鹿島の酒『鍋島 赤磐雄町米 純米吟醸』を買い求め、晩酌は、佐賀唐津『中里太郎衛門窯』の器と小皿と、『鹿島酒蔵ツーリズム®️』のお猪口に、北海道産松川カレイで、📷↓。