2024年度 香椎宮 春季氏子大祭

香椎宮春季氏子大祭は、祭神であられる神功皇后の命日(4月17日)に近い日曜を祭日と定め、隔年(香椎宮は偶数年)で行われる神幸式の年は土曜・日曜の二日間で執り行われる。

 

香椎宮の神幸式は、土曜日に三基の神輿に乗られたご祭神が本宮から外出され、頓宮(鹿児島本線踏切近く)で一泊され、翌日の日曜日に本宮に戻って来られます。 土曜日の神幸を「お下り」、日曜日を「お上り」と言います。

 

今回は4月13日(土)の「お下り」の様子を紹介します。

 

 僕が香椎宮に到着したのは午後2時5分。 柳生新影流の居合の奉納が終わった後で、御発輦祭(ごはつれんさい)の途中でした。

御発輦祭(ごはつれんさい)

 

 

 三基の御神輿には前夜の遷御祭(せんぎょさい)の時に、四柱の祭神が既に乗り移られていて、出発を待っておられます。

↑ 御祭神は四柱なのに神輿は三基で大丈夫???  御神輿は右から一番基、二番基、三番基となり、一番基に応神天皇、二番基に仲哀天皇神功皇后、三番基に住吉大神が乗られます。 仲哀天皇と神功皇后はご夫婦ですから、同じ神輿に乗られたほうが宜しいでしょう。

 

 その後、拝殿横で「獅子楽」が奉納されます。 「獅子楽」の舞には、氏子衆の「五穀豊穣」や「子孫繁栄」の祈りや想いが込められている。

 

 午後3時10分、御祭神が乗られた三基の神輿が頓宮へ向かって出発。

 

 神幸行列の先頭は「大麻司(おおぬさつかさ)」と「御汐井祓(おしおいはらい)」の神職二人が道中をお祓いしながら進みます。

 

 その後ろに「獅子楽」の皆さんが続きます。

 

 「獅子楽」の後ろに五人の大臣が続きます。 仲哀天皇が亡くなられた夜、その後のことを協議するために、神功皇后が招集した重臣で、武内宿禰(すくね)・中臣烏賊津(いかつ)・大三輪大友主君物部肝咋(いくひ)・大伴武以(たけもつ)の五人。

 

 「威儀物供奉(いぎものぐぶ)」と「八旗」が続く。

↑ 威儀物」とは神幸行列の威厳を高め示すもので、槍や弓など・・・「供奉(ぐぶ)」とは、天皇や皇后の近くで仕える人を言う。 

続く紫色に菊の御紋が入った高貴な八基の旗は「八旗」が「八幡(はちはた→はちまん)」となり、「八幡神=応神天皇」に繋がる。

 

 よって、「八旗=八幡」の後ろに、応神天皇が乗られた一番基神輿が続く。

 

 仲哀天皇神功皇后のご夫婦が乗られた二番基神輿の後ろは、格調高い雅楽器の音色を響かせた香椎宮雅楽保存会の皆さんが続く。

 

 御祭神が乗られた神輿を担いだ黄色装束の人達を「駕輿丁(かよちょう)」と呼びます。 「」とは乗り物、「輿」とは神輿のこと、「」とは天皇や皇后など高貴な人を運ぶ集団のことで、奈良時代には組織されていた。 神功皇后伝説が残る粕屋町には全国的も珍しい「駕輿丁公園(かよいちょうこうえん)」として名が残っている。

 

 神幸行列は参道(勅使道)の「一の鳥居(浜鳥居)」を過ぎて左折し、頓宮への坂道をゆっくりと上る。

 

↑ ↓ 無事に頓宮に到着。

 

到着後、「御着きの獅子楽」と「志賀島の龍の舞」が奉納されて、本日の神幸式「お下り」は終了です。 四柱の御祭神は、今夜は頓宮で泊まられ、明日午後「お上り」で本宮へお帰りになられます。 神幸式には稚児行列も加わりますが、雨も降らずに良かった。

 

香椎宮から頓宮まで「お下り(4/13)」の動画を編集しました。

「香椎宮 御神幸式 2024」 You-Tube  編集:香椎うっちゃん

 

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