日本の「ドゥワップコーラス」の先駆者・キングトーンズ

ザ・キングトーンズ

 

1950年頃のアメリカでは、黒人グループが唄う「リズム&ブルース」が流行った。 1955年、そんなコーラスグループのなかからプラターズ(The Plattters)が唄う「オンリー・ユー」が大ヒットした。 

ザ・プラターズ

 

そのプラターズに感化されたグループが日本で結成された。 プラターズと同じ女性一人を含む5人だったので、グループ名は「ザ・ファイブ・トーンズ」だった。 後に女性がグループを離れ4人になった時(昭和36年)に、「ザ・キングトーンズ」と名を変えた。 クラブや米軍キャンプで唄っていたが、昭和43年(1968)に最初のレコード「グッドナイト・ベイビー」を発表してから転機が訪れ始めた。 

 

昭和43年5月にレコードが発売されたが、なかなか売れない。 

グッドナイト・ベイビー」はプラターズの「オンリー・ユー」を思わせるような「R&B(リズム&ブルース)」調の楽曲だった。 僕が最初に聴いた時は、黒人が唄っているのかと思った。 日本人が唄った最初の「リズム&ブルース」調の楽曲だろうと思う。

 

昭和43年には、どんな曲が流行っていたのか?・・・

演歌では、千昌夫の「星影のワルツ」、青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」など

グループサウンズでは、ザ・タイガース「花の首飾り」、パープル・シャドウズ「小さなスナック」など

洋楽では、ビートルズ「ヘイ・ジュード」、モンキーズ「デイ・ドリーム・ビリーバー」など。

 

まだまだ演歌真っ盛りの時代で、グループサウンズはこの年から潮が引いて行った。 ビートルズはまだまだ人気があった。 「神田川」などのフォークソングの時代は、これから数年先だった。 そんな中で、日本人が唄う「R&B」調の「グッドナイト・ベイビー」は、初めはなかなか受け入れられなかったが、・・・独特のサウンドと歌詞とコーラスが新しい世界観を感じさせ始めていた。

 

昭和44年(1969)は、日本のポピュラー音楽が大きく変換した年ではないだろうか。 洋楽の影響を受けた楽曲が発表され、対象年齢を問わずに流行した。 由紀さおりの「夜明けのスキャット」、弘田三枝子の「人形の家」など・・・。 2月に発表されたクールファイブの「長崎は今日も雨だった」も、今までの演歌を中心とした歌謡曲とは違った。 前川清の唄い方は「R & B」調だと言ってもよいし、バックのコーラスも「ドゥワップコーラス=DOO-WOP CHORUS」が取り入れられていた。

 

「ドゥワップコーラス=DOO-WOP CHORUS」とは、黒人の音楽グループが唄う「リズム&ブルース」から生まれた合唱スタイルの一つ。 メロディ(主旋律)以外の部分を、「ルルルルー」、「ワッワワワー」、「ドゥワ」、「シャララ」、「シュビドゥワ」のように、意味を持たないテンポ良いコーラスで盛り上げる。 この年の7月に発表されたピンキーとキラーズの「恋の季節」がヒットした。 独特のバックコーラスを盛り込んだこの楽曲も、すでに歌謡曲とは言い難い。

 

「ドゥワップコーラス=DOO-WOP CHORUS」は、この頃に流行っていた「オールデイズ」の曲の多くに使用されていたので馴染みは深かった。 昭和44年(1969)になって、前年に発売になっていた「グッドナイト・ベイビー」がオリコンチャートを上り始めた。 レコード百万枚を売り上げた「グッドナイト・ベイビー」も、毎週オリコンチャート2位まで上るが、何故か1位になったことはない。 同時期に大ヒットしていた楽曲が、いしだあゆみの「ブルーライト・ヨコハマ」だったのだ。 う~ん、これは納得しなければならないだろうね。

 

それでは、僕が編集したYou-Tube・キングトーンズの「グッドナイト・ベイビー」を聴いて下さい。

 

 

グッドナイト・ベイビー

作詞 : ひろ まなみ  作曲 : むつ ひろし  唄 : ザ・キングトーンズ

 

 きっといつかは 君のパパも  わかってくれる(二人の愛を)

後ろを向いた ふるえる肩を  抱いてあげよう だから

* グッドナイト

グッドナイト・ベイビー

涙こらえて 今夜はこのまま  おやすみ グッドナイト

グッドナイト グッドナイト・ベイビー  

涙こたえて 楽しい明日を  夢見て グッドナイト*

やっと見つけた この幸せは  誰にもあげない(二人のものさ)

涙にぬれた 冷たいほほを  ふいてあげよう  だから

(*繰り返し) グッドナイト  グッドナイト 

 

You-Tubeは如何でしたか? 西日本一の繁華街・中洲の本年(2022年)10月の動画を使用しているのですが、編集機能で昔の映画(オールドフイルム)のような加工を施しています。 だって、「グッドナイト・ベイビー」が、54年前の楽曲ですからねー。 少しは昭和の雰囲気を出そうと思って・・・。

 

 

メンバー立ち位置はキングトーンズ結成時で、左からリーダーでリードボーカルの内田正人成田邦彦石井迪加生スミオの4人でスタートした。  リーダーの内田正人氏は2019年2月15日、成田邦彦氏は2020年2月6日死去した。 でも、名曲と共に記憶に残ります。

 

「ドゥワップコーラス=DOO-WOP CHORUS」は、その後も日本の音楽会に影響を与え続けて来た。 昭和50年(1975年)、荒井由実(現・松任谷由実)がニューミュージックの走りと言われた「ルージュの伝言」を発表した。 曲の初めに「ダンドゥビ ワラ  ダンドゥビ ワラ]から始まる「ドゥワップコーラス=DOO-WOP CHORUS」は、完全に日本の音楽になっている。 

 

ザ・キングトーンズの「ドゥワップコーラス」に憧れていた鈴木雅之は、高校時代の友人・田代まさしらを誘ってラッツ&スター(当初の名はシャネルズ)を結成。 昭和55年(1980年)、「ランナウェイ」を発表するとミリオンセラーとなり、その後の彼らのドゥワップコーラス曲も全てがヒットの連続となった。 今や、「ドゥワップ=DOO-WOP」は、日本の楽曲構成の重要な要素になってしまった。

 

黒人のソウル曲、R & B曲から生まれた「ドゥワップ=DOO-WOP」は、人間味が感じられるから好きだ。 気分よくテンポに乗りたい時も、物思いに浸りたい時にも心に響いてくれる。

 

 

思い出の一曲

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