思い出の曲の中でも、特に好きな1曲!

昭和42年(1967年)、ザ・ランチャーズの「真冬の帰り道」がシングルリリースされた。 オリコンチャートでの最高位は23位だったので大ヒットとは言えないが、団塊世代にとっては、独特の軽快なサウンドが思い出の中によみがえる。 近くの青葉公園で撮影した動画と「真冬の帰り道」をBGMに使ったYou-Tubeを編集してみた。 まずは、聞いてみて下さい。

 

「真冬の帰り道」 ザ・ランチャーズ       You-Tube編集 : 香椎うっちゃん

 

真冬の帰り道  作詞:水島 哲   作曲:喜多島 修   

 

あなたの肩先に ひらひらこぼれてる  プラタナスの枯葉 寒そな枯葉

どこまで送ろうか 真冬の帰り道   このままどこまでも 歩いていたい 

 

大好きだけど 言いだせなくて   心でもえて くちびるかむだけ

わかってほしいんだ 切ないぼくの胸   あなたがいつの日か おとなになれば

 

大好きだけど 言いだせなくて   心でもえて くちびるかむだけ

わかってほしいんだ 切ないぼくの胸   あなたがいつの日か おとなになれば

 

あなたがいつの日か おとなになれば   あなたがいつの日か おとなになれば

 

 

当時、ビートルズと共に人気があったエレキバンドがベンチャーズだった。 エレキバンドとしては圧倒的な人気を得ていたが・・・思い出を辿ると「ザ・スプートニクス(the Spotnicks)」と言うスウェーデンのグループも覚えているのではないかと思う。 真冬の帰り道」を聞いていて、スプートニクスの「霧のカレリヤ」を思い出した。 リードギターの音調が北欧調と言うのか・・・哀愁を帯びた澄んだトーンなんだよね。 「真冬の帰り道」は、グループサウンズの中では、稀な曲調だったので記憶に残り好きになったのだと思う。

 

 GSの他のグループに多かった長髪スタイルよりも清潔感を感じる。 右から大矢 茂喜多嶋 修(弟)、喜多嶋 瑛(兄)、渡辺 有三・・・全員が慶応ボーイ。 慶応ボーイと言えば若大将・加山雄三になる。 

彼らが最初のシングル曲「真冬の帰り道」を発表するまで、「ザ・ランチャーズ」は加山雄三の専属バンドだった。 

 

加山雄三に関係するグループバンドとしては「ザ・ワイルドワンズ」がある。 リーダーの加瀬邦彦が慶応大学の後輩だったことから、加山が「ザ・ワイルドワンズ」の名付け親になっている。 加山雄三のヒット曲「二人だけの海」のバック演奏を担当している。 加瀬の十二弦ギターの音色が「海」にピッタリとはまっていた。

ザ・ランチャーズ」は「ザ・ワイルドワンズ」よりも加山雄三との関係は先でより深い・・・と言うか、「ザ・ランチャーズ」は加山雄三の所有バンドそのものだったから・・・。 当然、ランチャーズのグループ名も加山雄三が名付け親だ。

 

加山雄三と光進丸

 「ザ・ランチャーズ(The Launchers)」は、加山雄三が愛していたレジャーボート「光進丸」に関係する。 ランチ(Launch)はミサイルの発射や船を進水させる意味で、ランチャー(Launcher)は造船所の進水式の意味を持つ。 海が好きな加山らしい命名だが・・・1960年代は良かった。 ただ、現代に於いては少しぶっそうな名前だ。 近年の中東地域での戦争で、良く使われている小型ミサイル武器は「RPG-ロケットランチャー」と呼ばれている。

 

加山雄三は、「ザ・ランチャーズ」のメンバー4人の中の一人だった。 独立する1年前の1966年に発表された「旅人よ」のジャケットには、「ザ・ランチャーズ」の4人メンバーで写っている。

 

 僕(うっちゃん)が持っている加山雄三のシングルレコードです。 ジャケットには「夜空を仰いで」と「旅人よ」のどちらがA面かB面かは書かれていない。 レコードレーベルにもAとBの記載はありません。 珍しいです。 2曲ともヒットしましたから、「どちらもA面」と言うことなんでしょう。 2曲とも「ザ・ランチャーズ」がバック演奏を務めていますが、加山雄三自身がランチャーズメンバーの一人としてレコーディングされた楽曲は「夜空を仰いで、旅人よ」の他に、「恋は赤いバラ夕陽は赤く白い浜夢の瞳」などがある。

 

 右から大矢 茂喜多嶋 修加山雄三喜多嶋 瑛。 加山雄三の代わりに渡辺有三が加わり、新しいランチャーズとして「真冬の帰り道」をヒットさせた。 加山雄三は「真冬の帰り道」のヒットを大変喜んだそうだ。 その後も、レコードのリリースを続けたが、「真冬の帰り道」を超えるヒットには恵まれず、1971年に解散している。

 

茅ケ崎で生まれた喜多嶋兄弟は、加山雄三の従兄弟にあたり、実力もあった。  特に、喜多嶋 修はアイドル女優の内藤洋子と結婚し、現在はロサンゼルスでハリウッド映画の音楽作曲やプロデューサーとして活躍している。 また、女優・喜多嶋 舞の父親でもある。

 

ザ・タイガース」のジュリー、「ザ・テンプターズ」のショーケンのように、グループの「顔」となる個性が現れなかった。 「慶応大学」と言う育ちの良さも逆効果となり、スーパースター・加山雄三のバックバンドのイメージも影を薄くするマイナスに働いた感じがする・・・。 加山雄三は、本来、歌謡曲スタイルの楽曲からスタートしているので、バックにエレキ演奏が加わる場面は少ない。 そんなことで、ランチャーズが独自のサウンド、リズムを生みだすことは難しかった。 当時、英国にクリフ・リチャードと言う人気ポピュラー歌手がいた。 彼のバック演奏はほとんど全てが、「ザ・シャドウズ」だった。 

クリフ・リチャード(中央)とザ・シャドウズ

クリフ・リチャードのどの曲を聴いても、バックが「シャドウズ」だと分かった。 独特のリズム・音調を完成させていたのだ。 「ザ・ランチャーズ」の場合、「真冬の帰り道」で醸し出した北欧風サウンドを、加山雄三との合作曲の中で感じるのは「夕陽は赤く」のみだ。 加山雄三はGS歌手でも、ロック歌手でもなかったので、その点が難しかったのだろう。

加山雄三から、もう少し早く独立していたほうが良かったかもしれない。 これから先、「ランチャーズ=Launchers=小型ロケット砲」なんて物騒な名前のグループは出て来ないだろうが・・・「真冬の帰り道」の「ランチャーズ」はいつまでも心の中に残しておきたい。

 

 

思い出の一曲(レコード)

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