香椎の町を舞台にした短編物語 第二弾 作:香椎うっちゃん

 

国道3号線が博多方面から香椎川を渡り過ぎると、その少し先に御島橋(みしまばし)の交差点がある。 交差点から西に入ったところに、4階建ての御島橋病院(仮称)が建っている。 病院の前の道路は、松本清張「点と線」の事件現場(海岸)に向かう場所として知られている。 

 

3月下旬の春を感じる温かい朝、3階の302号室に看護婦の前田千恵子が入って来て、入院中の三小田尚美に声をかけた。

「尚ちゃん、おはよう。 今日は体調どう?」

「あっ、千恵ちゃん、おはよう。 今日は痛みも無いし、とても良いみたい」

と、尚美が答えた。 尚美は癌だった。 今年の初めに余命6ヶ月との診断が出ていたが、家族の希望で、そのことは本人に知らされていなかった・・・の筈だった。

尚美と千恵子は香椎小学校・香椎中学校の同級生で大の仲良しだった。 尚美は仕事をしていた博多の会社近くの病院で2年ほど治療を受けていたが、2週間ほど前に本人の希望で、千恵子のいる御島橋病院へ移って来たばかりであった。

 

千恵子は窓のカーテンを開けながら言った。

「私たちが小さい頃は、松林が続く香椎海岸で良く遊んだね。 それから来週はね、香椎宮の桜も長谷ダムの桜も満開になるらしいよ。 今年は無理だけど、尚ちゃんの体が回復したら以前のように一緒に花見に行こうね」

千恵子は二人で遊んだ頃のことを懐かしく思い出しながら、尚美の不運を悲しんだ。 尚美に分からないように、溢れてきた涙をそっとハンカチで拭うと、言った。

「ところで、尚ちゃん、今日ね、平戸から腰を骨折した女子高生の患者さんが、この病院に越して来るの。 体育の時間に転倒したらしいのだけど・・・そんで、有名な外科の先生がいるこの病院で診てもらうのだって。 尚ちゃんと同室になるので宜しくね」

「うん、分かった。 私のほうが入院の先輩だから、病院のことなど、その高校生にいろいろ教えてあげるよ。・・・それからね、知恵ちゃん、大事な話なんだけど・・・知恵ちゃん、いま泣いていたでしょう。 私ね、自分の余命のこと知っているの・・・だから、知恵ちゃんがいるこの病院への転院をお願いしたの。 今は、知恵ちゃんが近くにいてくれるだけで幸せなの・・・だから、もう悲しまないで、お願いだから」

千恵子は後ろを向いて、肩を小さく震わせながら、そっと部屋を出て行った。

 

その日の午後、女子高生がベッドに横になったまま、千恵子に連れられて入室して来た。

「私、長崎の平戸から来ました吉村みゆきと申します。 体育の時間にふざけていて腰を骨折してしまいました。 平戸の病院では、元のように歩けるかどうか分からない、と言われました。 それが心配で・・・香椎御島橋病院の先生が有名な先生だと聞いたので、紹介してもらって来ました。 修学旅行以外で長崎から出たことが無いので、福岡や香椎のことは良くわかりません。 どうぞ宜しくお願いします」

割と現代風の元気な女の子だった。

「みゆきさん、こちらこそ宜しく。私は三小田 尚美です。 尚美と呼んでネ。 御島橋病院は九州一の評判なんだよ。 きっとまた歩けるようになるから、元気をだして」

千恵子が二人に言った。

「尚ちゃんは、今までどおり窓側のベッドで。 みゆきさんは、ちょっと壁際になるけど我慢してネ」

 

それから2・3日の間に尚美とみゆきは姉妹のように意気投合し、いろんなことを話し合った。 尚美はみゆきに自分が癌の治療を受けていることは内緒にして、胃の手術をしたばかりだと嘘をついた。

みゆきは午前中の治療から戻ってきても、ベッドに横になったままの状態で上体を起こすことも出来なかった。 そのため、壁際からは外が見えなかった。 みゆきが尚美に尋ねた。

「尚美さん、香椎の町ってどんな町ですか? 私、神功皇后と香椎宮の話は少しだけ聞いたことあるんですけど・・・」

尚美は神功皇后の伝説や香椎宮の由来などを、みゆきに優しく教えてあげた。 

「それから、香椎はね、平戸と同じように海岸がとってもきれいなのよ。 3階のこの部屋からも美しい海岸が良くみえるわ」

尚美は外を眺め、窓から見える香椎海岸の景色の一つひとつを詳しくみゆきに話してあげた。

                    

みゆきは話を聞きながら、平戸の海岸を思い出して・・・思わず呟いた。

「もう一度あの平戸の海岸を歩いてみたい」

「みゆきちゃん、大丈夫よ、必ず歩けるようになるから。 自分を信じなさい。 平戸の海を思い出すことができるよう、これからも、この窓から見える美しい海の景色を話してあげるから」

 

それからは、天気が良い日には、毎日のように、その日の香椎海岸の景色をみゆきに話してあげていた。 みゆきは瞳を閉じて、瞼のなかの景色を楽しんでいた。 みゆきは心が落ち着く、この時間が一番好きだった。

 

そして春が過ぎて、木々の淡い若葉が濃い緑色に変わり、夏を待つ季節になった。 みゆきの骨折の治療もリハビリも順調だった。

6月上旬、その日は志賀島に落ちる夕陽が博多湾を一面の黄金色に染めていた。 穏やかな波がきらきらと宝石のように輝いている。 

尚美は一つひとつの情景を、絵を描いているかのように詳しくみゆきに話してあげた。 みゆきはあたかも見えているかの如く、

「あ~ きれいだね~」

と笑みを浮かべて頷いていた・・・そして、

「尚美さん、私、元気になって歩けるような気がする。そしたら、尚美さんを平戸に招待するから・・・一緒に海岸を散歩しましょう。 平戸の夕陽も香椎と同じくらい、きれいなんだよ」

「みゆきさんの元気な声、やっと聞けたよ。 うれしいな。 必ず平戸に行くよ。 約束する」

「本当に来てね。 よ~し、明日からリハビリ頑張るぞ~」

 

尚美はみゆきの元気な声を聞くと、なぜか力が抜けるような気だるい安らぎを感じた。 尚美は眼を閉じて、夕日が島影に落ちたあとの僅かな黄昏の時間を、何かを懐かしむかのようにゆっくりと過ごしていた。

 

次の日の朝、みゆきが眼を覚ますと、隣に尚美の姿は無かった。

「どうしたんだろう」

思わずベッドの淵に手を掛けて起き上がろうとした時、腰に痛みがはしり、そのまま横に伏せてしまった。 その時、ドアが開いて千恵子が入ってきた。 眼が真っ赤で唇を震わせながら言った。

「みゆきさん! みゆきさんは薬の影響でぐっすり寝ていて・・・真夜中にね・・・真夜中に、尚ちゃんが亡くなったの!」

「エ~ッ 何で・・・ウソでしょう・・・」 突然のことで、次の言葉がでない。

「何で~、どうしちゃったの? 昨日は、二人で早く元気になって、一緒に平戸の海岸を散歩する約束をしたのに・・・どうしてなの、どうして・・・」

みゆきの目から大粒の涙が溢れだした・・・それでも現実を受け止められない。

千恵子はみゆきに尚美が幼なじみだったこと、彼女が癌に侵されていたこと、そして最後の余命を生まれ育った香椎で過ごすために、この病院に来たことなどを話してあげた。

「私、そんなこと知らずに、尚美さんにいろいろ甘えてしまって・・・、尚美さん、自分がそんな状態なのに、私のこと・・・私のことをいっぱい心配してくれて・・・、私が起き上がれないので、香椎海岸のきれいな景色を、いつもいつも話してくれたの。 何度も聞いたので、どれが能古島で、何処に御島神社の鳥居があるか、見なくても分かるようになったの・・・」

 

みゆきは泣きながらも、気持ちが少し落ち着いて来た・・・

「そうだ、千恵子さん、私のベッドを窓際まで移動させて、そして私の背中を支えて上半身だけ起き上がらせてくれませんか」

千恵子はみゆきの頼みの意味を解しないまま、言われるとおりに介助してあげた。 みゆきは窓際のベッドから頭を上げて、尚美から聞いた美しい景色を見たかったのだ。

みゆきは窓の外を見た・・・その瞬間、「エ~ッ」と驚いたまま、言葉を失ってしまった。

病室の窓の正面左右には10階建てのマンションが・・・、左の方は都市高速が先の視界を遮っていた。

「どうして・・・、正面には穏やかな香椎潟の波、遠く左側に能古島、手前左に名島、手前正面に御島神社の鳥居、手前右に香椎海岸の松林、その奥に志賀島の山影が見えるはずよ、何故?」

みゆきはその方向を指で示しながら説明した。

千恵子はこの時、初めて状況を整理することが出来た。 再び涙があふれ・・・

「ウッ・・・さすが、私の尚ちゃん・・・ウッ、ウッ・・・」

 

千恵子は込み上げるものを抑えながらみゆきに語った。

「みゆきさん、尚ちゃんの癌は視神経まで侵していたの。 その影響で視力をほとんど失くし、この病院に来たときには、光をわずかに感じる程度だったの。 だから、窓の外の景色は全く見えてなかったのよ。 それに・・・それに、みゆきさんがさっき言った景色は、現在は埋め立てられて、このように周りにはビルが建ち並んで・・・もう何も残ってないの。 さっき言っていた景色は・・・私と・・・私と尚ちゃんが小学生の頃、香椎海岸で遊んでいた昔の景色なの・・・」

ここまで言うと、千恵子は我慢できずに嗚咽をあげて泣いた。 暫くして話を続けた。

「尚ちゃんは、小さい頃から誰にも優しい子だった。 みゆきさんを元気付けようと思って、むかし見た景色を、窓から見えているかのように話してあげたのじゃないかな。 尚ちゃん自身は思い出を一つ一つ辿っていたのだと思う。 尚ちゃんはみゆきさんの心の中に居るよ。だから早く回復して、一緒に平戸の海岸を散歩してあげてね。 尚ちゃん、すごく喜ぶと思うよ」

 

1ヶ月後の7月中旬、みゆきはリハビリ治療を終えて無事に退院し、平戸へ帰って行った。 みゆきを送り出した次の休みの日、千恵子は住んでいる御島崎のマンションから埋め立て後の香椎海岸(片男佐海岸)を歩いた。 

                 片男佐海岸

夏の潮風が、輝く日差しの中をゆっくりと吹いていた。 右側の香椎花園までの浜辺は、昔の面影を少しは残しているが・・・正面は人口島の照葉の町、左はイオンのショッピングモールとマンションが建ち並び名島や能古島は見えない。 御島神社の鳥居は周りを埋められた香椎潟の中で、何も語らず立っている。 

 

千恵子は、ゆっくりとまぶたを閉じた。 当時の香椎海岸が蘇ってきた。 向こうの松の木かげから、おかっぱ頭の尚ちゃんが「知恵ちゃ~ん!」と呼んでいる。 「尚ちゃ~ん」と呼び返そうとした瞬間に、「ク~ッ」というカモメの鳴き声で我に帰った。 一羽のカモメが羽を広げて、風の中に浮かんでいる。千恵子はカモメに向かって、小さな声で言った。

「尚ちゃん、ありがとう。 また一緒に遊ぼうね」

 

                 完

 

この物語は亡き三小田尚美さんに捧げます。

 在りし日の三小田尚美さん(香椎原病院勤務時代)

仲間が集まる時はこの遺影と一緒に飲んでます

 

■ フィクションの短編物語ですが、登場人物は「焼き鳥相兵衛」の仲間たちの実名をお借りしています。平成13年H/P発表分を再度ブログ投稿。「香椎物語① お母さんの仏壇

 

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