令和の太宰府は、1年中暑くなりそう!
 
新元号「令和」が発表された後、太宰府へは今日(5月21日)で3回目の訪問になります。 先の2回は、大宰府政庁跡バス停で降りて、「展示館」の周辺を散策したのですが・・・今日は終点の西鉄太宰府駅で降りて、天満宮政庁跡水城までをゆっくり歩いてみようと思います。
 
                         太宰府ライナーバス「旅人」  
イメージ 1
 
太宰府ライナーバス「旅人」は平成26年4月に運行を開始しています。 到着する前から大宰府の雰囲気を楽しんでもらおう、との想いから使用バスはラッピングされ、車内も梅の花模様が咲き乱れています。 現在、博多バスターミナル→大宰府へは、平日24便、土日祝は41便に増便されていますが、ほぼ満席のようです。 西鉄は5年前から新元号が「令和」になることを予測していたのでしょうかね。
 
                                   参道      
イメージ 2
 
 駅前を右に折れると参道に入ります。 バスの車内もそうですが、話し声の半分は中国語・韓国語などの外国語です。 そうか、・・・と言うことは、半分は「令和」には興味が無いということになりますか。 やはり、天満宮梅ケ枝餅流石です・・・集客力があります。
 
                                      松屋     
イメージ 3
 
 参道を歩いて直ぐ右が「松屋」です。 薩摩藩の定宿で、幕末の頃は勤王の志士達の活動拠点となりました。 西郷隆盛(吉之助)が匿った僧・月照もここに滞在しています。
 
                                  菅原道真公 歌碑  
イメージ 4
 
↑ 参道の突き当たり・・・幕末の3年間、三条実美(さんじょうさねとみ)ら五卿が滞在した延寿王院の右側に、菅原道真公の歌碑が建っています。
 
東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
 
(春の東風が吹いたら その香りを風にのせて送っておくれ 私が居なても 春を忘れないでほしい)
 
道真公大宰権帥(大宰府副長官)を命じられ、京都を出発される時に、梅の花に惜別の想いを込めて詠った歌です。 その梅の木は道真公を慕って一晩で京都から大宰府まで飛んで来たそうで・・・飛梅(とびうめ)伝説の由来です。 この和歌は「万葉集」ではありません。 道真公が生まれたのは、「万葉集」編纂から半世紀後です。
 
                                   天満宮の神使 臥牛  
イメージ 5
 
 中国の観光客にも人気です。 
 
                                   志賀社   
イメージ 6
 
 太鼓橋を渡って、本殿へ向かう途中の右に鎮座されています。 御祭神は志賀海神社と同じ綿津見三神。 小さな祠ですが、国指定重要文化財なんです。 社殿は長禄2年(1458年)の再建で、当初は黒漆と金製金具をふんだんに使っていたそうで、美術工芸品ともいえる貴重な建造物らしい。
 
                                          拝殿前    
イメージ 7
 
 拝殿前も中国人観光客でいっぱいです。 仏教徒の中国人観光客にとって、神社(神道)とはどんな存在なのでしょう。 拝殿前で手を合わせて(仏式)、祈っている中国人観光客がいましたが・・・いいんじゃないですか・・・神様は怒らないと思いますよ。 神仏習合時代に、仏様とはお互いに良く理解し合ってますから・・・。
 
                                飛梅    
イメージ 8
 
 拝殿右側。 これが、道真公を慕って一晩で京都から飛んで来たという「飛梅」。 天満宮の御神木です。 
 
      曲水の庭                                    曲水の宴 (クロスロードふくおか) 
 
イメージ 9イメージ 10
 
 右写真はだざいふ遊園地手前の「曲水の庭」です。 3月第1日曜日には、平安時代の宮中行事のひとつ「曲水の宴」がここで再現されます。 平安装束に身をつつんだ参加者が、上流から流れてくる酒盃が自分の前を通り過ぎる前に和歌を詠んで、流れてきたお酒をいただく神事です。 風情ありますね~。 毎年、混雑しているとのことで、未だ一度も見たことがありません。 
 
                                   だざいふ遊園地   
イメージ 11
 
曲水の庭」の奥が「だざいふ遊園地」です。 息子が幼稚園児だった数年間で何度も来ました。 懐かしい。 今日は平日なので、人影があまり見えません。
 
                                 太鼓橋     
イメージ 12
 
心字池に架かる太鼓橋。 バランスがとれた曲線・・・赤い欄干が池の水面に映え・・・クスノキの若葉色がそれらを包み込む。 境内の片隅に座り込んで、これらを眺めているだけで心が和らぎます。
 
                          スターバックス太宰府天満宮表参道店  
イメージ 13
 
 現在、参道の中で、いや世界的にも注目を集めているスタバ店です。 何故?かというと・・・木材を使う「」のイメージが特徴で・・・日本を代表する建築家・隈 研吾(くまけんご)氏のデザインによるからです。 何が一番有名か、と言うと、木調の五輪メインスタジアム(新国立競技場)でしょう。
 
                                   観世音寺     
イメージ 14
 
 観世音寺は斉明7年(661年)、筑紫朝倉の宮で亡くなった斉明天皇の冥福を祈るために、息子の天智天皇が建てました。 建てた、と言うよりも「建てる願いを起した」の方が正解かも。 何故ならば、願いを起して、完成したのは80年後でした。 朝鮮半島の情勢が不安定だったり・・・壬申の乱など、何かと事件が重なったからではないでしょうか。 観世音寺には、国宝に指定された日本最古の梵鐘があります。 この梵鐘香椎宮とも係わりがありそうなので、今、勉強中です。
 
      大宰府政庁跡                                     ジオラマ(展示館)
イメージ 15イメージ 16
 
 大宰府展示館に寄って、それから、大宰府政庁跡を斜めに横切って坂本八幡宮に向かいます。 ジオラマの印が、政庁跡で左の写真を撮った場所になります。
 
                                 坂本八幡宮前   
イメージ 17
 
 平日でもこの人出です。 御朱印帳の受付は列ができています。 ここが大伴旅人の邸宅だったかは、学術的な決め手がないのですけどね。 しかし、もう聖地になってしまいましたから・・・。
 
 西鉄都府楼前駅方向へ向かい、県道112号線(旧3号線・福岡/日田街道)を博多方向へ20分程歩くと、水城跡に着きます。
    
                                  水城跡    
イメージ 18
 
西暦600年代、日本(倭国)は百済国とは強力な同盟関係にありました。 ところが、新羅国が中国のと手を結び、百済国を滅ぼそうと企てたのです。 663年、日本(倭国)は百済国を助けるため、阿曇海人族の首長・阿曇比羅夫(あずみひらふ)を将軍とする軍船で兵を送りましたが、唐・新羅国の連合軍に大敗を喫してしまいます。(白村江の戦い
 
日本(倭国)は唐・新羅国の本土進攻を想定し、博多湾の近くにあった役所・那津宮家(なつのみやけ=大宰府の前身)を現在の太宰府に移します。 そして、664年、その防衛のために福岡平野の最も狭い部分に、長さ約1.2km、高さ約9mの土塁と濠からなる「水城」を造ったのです。
 
水城」には東西2ヶ所に門が設けられ、官道が接続していました。 ここは、その東門にあたる場所です。
 
 土塁の跡に展望台が整備されていたので、上ってみました。 東から西の背振山の方向を眺めています。
 
イメージ 19
            
イメージ 20
                
 土塁を横断している道路が県道112号線で当時の官道に当たります。 江戸時代には福岡・日田街道として整備され、近代に国道3号線へと成長しました。
 
                               水城館(案内所)  
イメージ 21
 
 展望台の下に「水城館」があり、中では、映像や資料で「水城」のことが学べます。
 
                                 古代官道跡    
イメージ 22
 
 僅かな距離ですが、古代の官道が復元されています。 道幅は約10mです。 写真の右側の道路が県道112号線
 
                                東門の礎石   
イメージ 23
                 
                              礎石と門の構造復元図 
イメージ 24
 
                           江戸時代後期の東門礎石  
イメージ 25
 
奥村玉蘭の「筑前名所図会」の中に、東門礎石が描かれています。 昔からこの場所に残っていたのですね。
 
歴史に登場する多くの人物が、この道を通ったことを考えると・・・ワクワクします。 このワクワク感がうっちゃんの浪漫。
 
 
まち歩き