「22才の別れ」と「なごり雪」の男女は同じカップルか?
どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。
●アルバム「三階建の詩」 左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三
「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。
全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。
「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。
”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。
こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。
先にこの2曲を聴いてみましょう。
22才の別れ you-tube fujimarumasaさん提供
22才の別れ 作詞・作曲 伊勢正三
あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった
わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです
あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって
ウウウ~ ウウウウ~ ウウウウウ~
一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで
なごり雪 you-tube fujimarumasaさん提供
なごり雪 作詞・作曲 伊勢正三
汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく
なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった
動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と
動くことが こわくて 下を向いてた
時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し
君が 去った ホームにのこり
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し
去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった
2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・
「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」
同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。
最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。
ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。
「”A太郎”と”B子”の物語」です。
1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。
”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。
1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。
そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。
1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。
学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。
エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。
”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。
”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。
この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。
”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。
そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。
”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」
東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」
と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。
”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。
「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。
うっちゃんの思い出の一曲