霜月も末になると、もうすぐ師走になる、暇なのもここ数日だろうか。徒然草でもないが、しょぼ降る窓外の雨を眺めては、手持無沙汰を好いことに、鼻の毛などむしりながら、パソコンに向かって、性懲りもなく駄文を弄んでいた。すると、玄関に人の気配がする。出てみるとご婦人のOさんで、元教師の村のインテリで、ご主人は脳溢血で倒れて療養中だという。ボクは、来年この人から耕地を50坪ばかり借用したいと申し込んだ。多少なりと年貢を払いたいと言ったら、草を生やさないだけで十分だと。だから、ついでに無花果畑の剪定を当方でヤルと申し出たら、それについては、費用を払うと。ならばいくばくか生った無花果を頂戴することで折り合いがついた。彼女は、T市での文化講演会の案内状を届けてくれたのだった。


kashi-heigoの随筆風ブログ-無花果

 その際の話題になったのは、菜園の収穫物である。この晩秋の季節は、葉物野菜と根菜が楽しめる。葉物と言えば、新鮮な生野菜ジュースで、セロリ、パセリ、ホウレン草に人参やリンゴを組み合わせたジュースは、身体の栄養補給にいいらしい。これらはビタミンもさりながら、カリウムの保有量が多いとか。生野菜だけに、消化吸収がよいのだろう。葉物は、ほかにも芽キャベツ、キャベツ、水菜、レタスなどもある。買えば、大したこともなかろうが、有機野菜というのがミソである。
 先ほどから、ツレがいないと思ったら、その畑の野菜と里芋や自然薯を段ボールに詰めて都会に住まう娘に送って来たという。この時期、採りたての自然薯は、言うに言われぬ味わいがある。炊きたてのご飯に、この自然薯で作ったとろろに生卵を落とし、だし汁でのばした茶碗モノなど、日本独特の一品でなかろうか。田舎で畑をやっていて、幸せを感じるのは、こんなときである。

kashi-heigoの随筆風ブログ-干物

 食事が終わって、半時もしたころだったろうか、今度はまた来客があった。なんの前触れもなく客がやって来るところが、田舎流である。これは、客として行くと予告しては、詰まらぬ気遣いをさせるからと断りなしの来訪という配慮なのか。隣町に住む従妹の息子夫婦だった。そうはいっても、歳はボクより上で、役場で福祉関係の部署で働いていた。この人から、義母の老人介護の情報などを得た。漁港で採れた干物の詰め合わせなど土産にもって、ご機嫌伺いだという。ボクの好物が、こうした干物であることを知ってだ。多くの場合、酒の肴にする。それも少し手を加えると味が珍味に変化する。ひとつは、そのまま焼く、次が燻して喰らう、そして塩麹に漬けておく。それぞれ少し風味が違って美味いのである。代わりに、柿が大好きだと言う二人に、庭の甘柿と串柿をお土産に持たせた。

kashi-heigoの随筆風ブログ-囲碁

 夕方に電話のベルが鳴った。電話の主は、町の元教育長で、この人も村の住人である。
 「もしもし、樫さん、わたしYです。あんた囲碁をやるがやろう。保育所が廃館になって、村の寄り合い館にしたがぁ。そこで囲碁研究会を立ち上げたいがや。あんたも来て欲しいがやっちゃ。明日、午前10やぞう」と。
 有無を言わさない誘いである。ボクは、田舎に引っ越してから、どうやって暇な時間をやり過ごそうかと考え、高校の同級生Iに相談をした。町の囲碁同好会の会長をやっている彼は、入会しろと言う。棋力六段だと聞いて、ボクは尻ごみをしたのである。そんな情報が、いつの間にか、元教育長のY氏の耳に届いたのだろう。他にメンバーはと聞いたら、村里の腕自慢の猛者が参会すると言う。かくして、村の住民の仲間入りに組み込まれた。ヒマばかりもこいておれない。これは、晩秋のある日の田舎生活の一端である。師走も忙しくなりそうである。