kashi-heigoの随筆風ブログ-方丈記

 家庭内暴力というかDVを目の当たりにしたのは、初めてだった。まず気が付いたのは、例によって、書斎でブログの原稿でも書こうとしたが、ままならず、ならば古を訪ねんと方丈記を紐解いて歯が立たず、いつの間にかうたた寝をしているときだった。突然、爆音が鳴り響き、悲鳴が聞こえた。事件は、紛うこと無く、あいつの仕業だと思った。家の娘は、あいつに殴る・蹴る・噛みつくなどされ放題なのである。居候の分際で、あやつは、目を放すとすぐちょっかいを出そうとする。だいたい奴は、恩知らずである。ずいぶん目をかけてやったのに、裏切りやがった。いつもは、従順で素直なのだが、あいつは、どう言う訳か娘を目の仇にする。家は泥棒避けに錠がしてあるはずなのに、どこからか断わりもなく、上がり込んできたのだ。ボクは、家の娘を守ろうとして、棒切れを探すが、そんなときに限って見つからない。だから、なんか竹箒をもって追いかけ回しているうちに、奴の体にもちょっと当たり、ビックリして反り返り、その拍子にガラス戸を割ってしまった。

kashi-heigoの随筆風ブログ-DV


 ちょっと思い返してみると、一年前に、住む場所もなく、ひもじい思いをして放浪していたアイツを哀れに思い、一宿一飯を与えたのが縁で住みつくようになった。わが陋屋の別棟の厩(うまや)というか、ありていに言えば、ガレージに置いてやっている。それが、主客逆転でもないが、今や主筋の姫のミーコにとって代わろうとする。不届き千万な奴なのである。ボクは、仲が良ければ、ミーコとクマ公は、義兄妹でも、いや義姉弟と同列の扱いでも好いと思っていた。ところが、なぜか奴らは、徹頭徹尾性格が合わないのである。


kashi-heigoの随筆風ブログ-厩


 話を元に戻そう。やられたのはミーコ姫である。これも気が強いのだが、力ではもう敵わないと諦めたようだ。あの事件の後、しょげかえっている。ショックがきつ過ぎたのかもしれない。食欲も減退して、いつもなら、家内の布団の中に潜り込むのに、この数日、打ち萎れてしまって、まったく元気がない。乳母日傘で育ったのも今は昔、もう時代は過ぎたのだ。過去の栄光は、朝顔の露と同じで、朝顔の前に消えてしまう運命にある。朝顔がクマ公なら、ミーコは露である。朝顔が先にしぼんで、露が残る場合もままあるが、露も夕方まで残ることはない。どちらが遅い早いはあるものの、人間様より長らえるわけにはいくまい、まもなくどちらも滅びていく運命にある。その上に、ボクは猫が嫌いである。仲良くさえしていれば、見て見ぬふりをしていてもいい。ダメなら、ツレの留守にお払い箱にしてやる。


 喧嘩まで許して、家に置いてやる義理はない。今を大事に生きれば、いいものを、クマとミーコは、仲違いで喧嘩をする。ボクは、彼等とも今という時間を共生したいと願っているのだが。川の流れというのは、永遠に変わらないように見えても絶えず変化している。水の泡など、淀みに浮かんでいるようでも、できたり消えたりして、長くとどまっていることもないのだ。川の流れは、すなわち時間である。奴らは、この時間を大切に生きようとしない。ボクは、クマをたまらず勘当しようとしたのだが、ツレが、それはあまりにつれない仕打ちだから、今しばらく猶予をやってくれという。


kashi-heigoの随筆風ブログ-クマ

 クマ公よ、自らの命を運にすべて任せて、惜しまず、厭やがっていてはいけない。いつまでも、奥様の好意に甘えてはいけない。その身を浮雲になぞらえて、何ものも頼りにせず、不足を言ってはならない。やることがなければ、厩でうたた寝するに尽きる。今は、晩秋である、庭のドウダン躑躅のカラフルな色合い、寺の境内に舞う、黄色い公孫樹の葉ほど、世に美景があろうか。ボクの言が信じられないか。たとえば、魚や鳥を見ればよい。魚は水に飽きることはないが、魚でなければその心を知ることはできまい。鳥は林を常に思うものだが、鳥でなければ、その心はわかりはしないのだ。分を知って、引きこもる生活を楽しめ。二尺四方の住まいで満足せよ。もうミーコと喧嘩なんぞするな。今度やったら、ほんとうに勘当だから。