一昨日、雷鳴を轟かせて、冬将軍の到来を予告していた。日本付近は縦縞模様の冬型の気圧配置で、今季一番の寒気が流れ込むと。夕方には、雹が降った。車の運転が危うい、道路は白い絨毯が敷き詰められていた。このあいだから冬籠りのための準備を進め、寒さ対策はすでに終えた。残るは、備蓄食料の手配で、とりわけ漬物の仕込みである。野菜畑を見ると、大根・蕪・人参や葉野菜も、生育は順調である。


kashi-heigoの随筆風ブログ-糠床


 漬けものと言えば、糠床(ぬかどこ)である。糠には独特の風味があって、糠に多く含まれている酵素や乳酸菌などの微生物の作用で発酵する。「ぬかみそ臭い」などというが、これは手入れが大切で、糠床に絶えず手を入れ掻きまわさなければならない。だからか、所帯じみていて気働きの良い働き者の女性を、「ぬかみそ臭い女房」などという。誉め言葉である。


 東京の母は、糠漬けを作るのが上手だった。また、三兄は誉めるのが上手くて、
「ほんとうに、お母さんの漬けものは極上だ。これさえあれば、あとは何も要らないよ」などというものだから、母は嬉々として、しょっちゅうカメの中に手を突っ込んで励んでいた。夏、1週間ほど家を留守にする時は、カメに塩をたっぷり載せて、カビが来ないようにしていた。今思い出すと、糠床にパン屑を入れ、卵の殻、昆布、南蛮などを加えていたのを思い出す。昭和40年代の後半である。結婚したとき、母から糠床を分けて貰ったが、とても長くは維持が出来なかった。


kashi-heigoの随筆風ブログ-漬けもの


 この歳になって知るのだが、夏の野菜の糠漬けは、ことのほか美味である。畑のキュウリ、茄子などを漬けて、人参を添えると彩の上からも芸術品である。これからの冬の季節は、蕪なんかも美味いし、大根にキャベツ、白菜も好い。大根を漬けて忘れられ古漬けになったのをカメの底から引きあげてきて、お茶漬けの具にして食するのも好い。ニンニク、生姜やミョウガもちょっとあって、細かく刻むと、なかなかの贅沢な一品となる。


 さて、漬けものは、糠漬けだけではない。つまりは、乳酸菌や酵母菌などの力を借りる漬け床があればいいのだ。いろいろ調べてみると、あるわあるわ、糠の代わりになるような漬け床である。ヨーグルト漬け床、リンゴ、柿やブドウなどの漬け床。他にも、カボチャやジャガイモなどの漬け床もある。もちろん床となる野菜は、蒸したり湯がいたりしておく。他にも、味噌や梅干しの漬け床もある。
 これらに共通するのは、対象物である野菜を塩漬けにすることである。浸透圧で野菜の細胞の中の水を抜く。細胞から水が抜けると細胞は死んで、野菜の中の酵素が働いて、アクが抜けたり、青臭さがなくなるのだそうな。これを漬け床に入れると、たとえば乳酸菌によって酸味がついたり、あるいは酵母菌の作り出すアミノ酸によってうま味だ出てくるのだとモノの本に書いてある。


kashi-heigoの随筆風ブログ-糟糠の妻


 糟糠の妻という言葉がある。「糟糠」とは「かす」や「ぬか」のことで、粗末な食べ物を意味する。貧しい時代を苦労を共にしてきた女房のことで、糠味噌とは意味が違うのだろうが、現代風に言えば、「糠味噌を漬けるのが上手な奥さん」と言えなくもない。
 なぜかボクは、「ぬかみそ臭い女」にある種のロマンというべきか、母なる郷愁を感じる。しかし、これも今や死語になりそうである。スーパーに行けば、ぬか漬けなどもすぐに手に入るし、浅漬けの素もあって、ポリ袋に入れて、袋の上から手で揉むと出来上がる。ツレなどは、手が荒れとか、塩分は健康によくないとか言って、糠床など作らなくても平気だと言い張る。


kashi-heigoの随筆風ブログ-大根たち


 ここ数日、ツレが留守をしている。ボクはその留守をいいことに、桶を3つばかり洗い、大根を10本ほど竿に吊るし、蕪寿司に供する蕪の成長を促すために、追い肥えを与えた。

 甘酢漬けを作ろうと大根を数本一口大にカットして漬けてみた。これを、一日一回取り出しては、滲み出た甘酢を煮詰めて濃くして、桶にもどしてやる。これを数度繰り返せば、おいしい甘酢漬けができる。

 他に、べったら漬け用の甘酒を用意している。そろそろドブロクの仕込みの準備もしなけりゃなるまい。北陸の冬は、もういつ来てもいいと<ぬかみそ臭い男>は思う。