寒い季節がやって来た。まだ11月の中旬なのに、朝起きて温度計をみると、12℃である。暑いのは平気だが、寒いのには弱い。この間から、冬籠りの準備にと書斎に手を加えた。まず天井のガラスに、断熱シートを貼り、畳を外して床下に合板を敷き詰めて外気を遮断した。あとは、ストーブにホットカーペットがあれば、上々である。ところが、哀しいかな百姓家は、各部屋が広くて隙間だらけだから、丸ごと暖房とはいかない。困っていたところに、東京から大きな段ボールが二つ、宅配便で届いた。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-晩秋の北アルプス

 

数日前の義姉からの電話を思い出した、
「平吾さん、使って下さるぅー。あの人が、ほとんど着なかったか、袖を通しても数度なの。わたしが、買ってきても、『俺は着せ替え人形か』というのよ」と。
兄が逝って、1カ月もしないのだが、彼の形見分けである。実用的である上に、まだ商品札の付いているのもある。10数着もある。中には、ずいぶんと洒落たのもあった。ボクがサラリーマン時代に買いそろえたものなど、今田舎の冬を越すには、役に立たない。やはり、断熱効果の優れたものでなければ、外出はおろか家の中でも使いモノにならない。兄も寒がり屋だったから、どれも軽くてゆったりしていて、伸縮が利いている。彼の形見の贈り物は大いに助かる。

 

 

庭に甘柿がある。富有柿で晩生なのか、晩秋になって、すっかり周囲が冬の準備が終わった頃に、甘みが強くなって、肉厚な果肉を提供してくれる。都会でサラリーマンをしていたころは、柿の木に意を留めることもなかったが、このごろ四季の移り変わりや鳥の鳴き声が気なるから面白い。図鑑など開いたり、双眼鏡をとりだしてきて、小鳥の動きを追うのも楽しいものである。メジロがやってきて、コゲラやヒヨドリも来る。もう渋柿の収穫は終わったのだが、小鳥たちのために5つ6つ残してある。この甘柿も、熟したら兄に送ってやろうと思っていたのだが、・・
 

kashi-heigoの随筆風ブログ-一つ残った富有柿


兄は、戦時中この田舎に縁故疎開をしていた。時代は、昭和18年である。おやつのない頃、東京の母を思い出しては、柿を食べていたに違いない。慣れない手つきで、村の子に混じって縄をない、燃えたもみ殻に芋を埋めて食ったろう。都会育ちの兄は、屈強な村の子のイジメに遭わなかったろうか。東京の母は、ランドセルを背負わせ、半ズボンに白い靴下にズックを履かせたと思う。村の洟垂れ小僧らは羨ましくて、兄をイジメの標的にしなかったろうか。いや兄には、楽しい村の盆踊りやお祭りの記憶だけが残ったのだろう。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-寒い朝


東京の母から聞いたことがある、
「田舎から、子どもが大勢いるから、養子にひとりくれと言われたの。どうしようかと迷ったわ。そんな時、男の子と女の子の双子を授かったの。迷わず、男の子を田舎に養子にしたの」と。
もしかすると、ボクが生まれなければ、兄がこの田舎の、この家の養子になっていた。田舎の風雪にも耐え、自然に身体を鍛えられていれば、あるいは早く世を去ることがなかったかもしれない。

葉っぱを落とした柿の木に、わずかに残っている数個の柿をそのままにしておこうと思った。それは、小鳥たちのためでもあり、もしかしたら、逝ってしまった兄が、・・・と思いたいからである。