この間、大学時代の友人が電話してきた。お互い晩酌が効いた頃合いに、電話してくることが多い。だいたい8時をいくらか回っている。気のあった奴とは好いもんで、好き勝手なことが言える。また世の中便利になった、携帯電話で少々話をしたところで、女性の長電話と違って、そうしばしばでないから安いもんだ。いやごめん、こちらの話も、そうたいてい、女房殿の悪口か愚痴で始まることが多いのである。


「樫よ、俺は、厭になったよ。今朝なんか、『昼まで寝てるのぅ。早く起きて、早くご飯食べてよぉ、いつまでも台所が片付かないよぉ』だって、昔は良かったよ。『あぁーたぁ、起きてちょうだい、もう朝よ。ねぇ』と、小鳥のさえずりのようだったよ。それが、いまじゃ、ガアァー、ガアァーとカラスの鳴き声よ」と。
こうも言った、
「お前のところは、どうだい。今でも、小鳥のさえずりか、それとも鈴虫の音色かね。いいよなぁ」と。

 そんなこともないが、ボクは、田舎に移り住んで、朝ホンモノの小鳥の声に起こされて、目覚める日々をを送っている。こんな生活をどれほど待ち望んだことか・・


kashi-heigoの随筆風ブログ-晩酌電話


 ただ、田舎にもいろいろの音がある。猫の声や鶏の声である。それは、自然の音であるから、我慢しよう。日頃は、ニャーゴ、ニャーゴとうるさい、我が家の猫どもも、さすがに暑いこの頃は、鳴りをひそめている。こう暑いと色恋も食欲も消え失せるようだ。家猫ミーコは、部屋の温度の低くて、風の通りそうなところを探して、横臥している。外猫クマも、木陰やガレージの袖にくたばっている。なにしろ、この暑いのに全身が毛で覆われている。猫の体温は、人間より2℃ほど高いらしい。だいたい、手足の肉球にだけしか、汗腺がないのだから、体温調節も大変である。隣のタマちゃんも、暑いせいか、家の庭にはやってこない。ただひたすら、日陰のコンクリートに身体を投げ出して、灼熱地獄をやり過ごしている。


kashi-heigoの随筆風ブログ-夏の蝉


 この猛暑にあっても、蝉は元気がいい。ニイニイゼミ、ミンミンゼミか区別がつかないが・・。この蝉の鳴き声も聞こえなければ寂しいし、さりとて大合唱が始まると、ああ今年も夏だなと安堵し、幼いころからの季節の巡りを想う。されど、あまりにうるさいと、暑苦しさもあって、はやくこの時期が終わって欲しいと思う。ニイニイゼミなど、ほとんど休まず一斉に鳴いている。まるで耳鳴りのようである。


 蝉にも、ヒグラシという名の蝉がいる。日の出前とか、日の入り後の薄暗い時によく鳴く。曇って薄暗くなった時や気温が下がった時は、日中でも鳴く。夕方の日暮れ時に鳴くことから、「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついたと。オスの鳴き声は甲高い、「キキキキキ…」「ケケケケケ…」「カナカナカナ…」と聞こえる。朝夕に響く声は涼感や物悲しさを感じさせ、古来より美しい声で鳴くセミとして文学などにも登場してきた。なぜか物悲しいのである。
 それでも、秋が近くなると、ツクツクボウシの出番で「ツクツクボウーシ、ツクツクボウーシ」と鳴く。もう夏も終わりかと思うと、それはそれで行く夏を惜しむ感慨に捉われてしまうのである。

kashi-heigoの随筆風ブログ-カラス


 最近、悩まされているのが、冒頭の友人の話ではないが、カラスの鳴き声である。朝のまだ明けやらぬ涼しい時間に、突如として静寂が破られ人間の嬌声に似た、いろいろな声が起こる。甲高い声、図太い声があったり、喘ぎ声 や 色っぽい声も、何事かと思う。天空を我が物顔で、往来する。仲間とのコミュニケーションだろうか。俗悪で下品な響きにさえ聞こえたりする。このカラスどもは、ボクの敵である。大切に育てた西瓜をせしめたり、ボクの明け方の楽しみである小鳥たちのさえずりの声を台無しにするのだ。

 それでも、このごろ朝晩はいくらか涼しくなってきた。鈴虫の鳴き声も聞こえる。まもなく種種の秋の虫たちのオーケストラが聞けるようになろう。