都会からやってきた孫を連れて、今年も磯浜で泳ぎを楽しんだ。七月の海の日の水は、冷たかったが、もう十分に温まっている。こんな海でも泳げる期間は短い。七月の二十日過ぎから、お盆までである。不思議とお盆が過ぎるとクラゲが発生する。このクラゲは糸クラゲで、刺されるまで、その姿が見えないから分からない。それでも、覚悟さえしていれば平気で、夏休みの終わりまで泳いだ記憶がある。少年の日、甲羅を干して、真っ黒になるまで日に焼いたものである。今一度、昔に戻って、あの感激を味わってみたい。
中学に行く頃には、カキ採りを覚えた。3、40メートルほど沖に行って、2メートルほど深く潜るとカキがいっぱい石にくっ付いているのである。カキのついている石を陸まで、海の中を歩いて運ぶ。それでも息が続かないから、3、40メートルの距離がずいぶんと長く感じられたものである。海の中は浮力があるが、石を持っている限り上には浮かない、逆に結構大きい石でも少年の力で十分運べるのである。ただ漬けもの石ぐらいのサイズであるから付いているカキも多寡が知れている。それでも、宿題などほったらかしにして、夕方遅くまで毎日、海辺で遊んだものである。
中には豪傑もいて、2分ぐらい潜れるのもいた。そうするともっと深い処まで潜れる。その上に一々石など陸まで運ばなくとも、潜ってノミとトンカチでカキを大石から起こすのである。そのカキを南京袋にいっぱい詰めて、持ってくるのである。カキ好きな家が、結構な値段で買ってくれる。いい小遣い稼ぎだった。
テトラポットが投げ入れられたから、そのカキもテトラポットに群生して岩ガキになっている。この間、魚屋を覗いたら、1っ個300円ぐらいしていた。これも、ごく簡単に潜れば採れるが、いくらかコツがある。ちょっと風変わりな、バールを使うと、テコが働いていとも簡単に岩から剥がして採れるのである。娘婿たちも、年を追うごとに上手になり、すぐに食べきれないくらい採る。ボクはもう息が続かない。彼らの楽しむ様を見るだけである。
他にも少年のころ覚えた遊びに、魚釣りがあった。竹やぶから、竿になりそうな竹を切ってきて、タコ糸をつけて、台所の下水かトイレの近くの土を掘り起こして、ミミズを採取する。これを用いて、堤防から釣るのであるが、草フグがよく釣れた。長じて、子どもが出来てからは、子どもを連れて、今度はテトラポットから、カキをエサにして、小魚を釣ったものだ。これが面白いようによく釣れるのである。去年も今年も孫を連れて、同じようにテトラポットから、魚釣りをした。
孫と釣りをしている自分が、タイムスリップして、30年も前に子どもとの釣りをしているような錯覚に陥った。息子や娘も、そして孫も同じように、何十年か先に同じような想いをするかもしれない。
娘婿たちは、我が百姓家をビーチハウスと呼んでいる。冬は、寒いと言って来やしないが、夏は別荘代わりにしている。菜園もあるが、子どもたちには、海遊びが最高だろう。広い青い海と地平線にある白い入道雲をしっかりと焼き付けて欲しい。裸足では歩けない焼けた磯浜を、波打ち際で蟹と戯れたことを、魚籠ならぬバケツ一杯に釣れた小魚を思い出して欲しい。それが、爺のささやかな希いである。