こう暑いと人間ばかりでない。我が家の外猫クマ公まで、元気がない。猫というやつは、涼しい処を選んで仰臥しているのだ。最近、クールシェアがさかんにTVで取り上げられている。夏の暑い日、家の電気の半分以上をエアコンが使う、ならば、ひとり一台のエアコンをやめ、涼しい場所をみんなで過ごそうということらしい。ボクは、エアコンはあえて使わないが、涼しい処は、猫どもとシェアしても構わない。外ではクマ、家の中にあっては、ミーコの寝そべっているところが、快適エリアなのである。



kashi-heigoの随筆風ブログ-クールシェア


 暑い日が続くと、野菜も音をあげる。葉物野菜は、概して生育不能である。ボクはホウレン草や小松菜なども植えたが、失敗だった。サニーレタスの類だけは、なんとか育っている。茄子やキュウリですら、少しばかり疲れが見えている。西瓜やカボチャの葉っぱは、幕引きの準備が始まっている。グリーン・カーテンとして植えたゴヤとヘチマだけは、まだ勢いがある。あまりにたくさんゴーヤを植えたから、食べきれないのではと心配である。幸い娘婿のひとりは、ゴーヤのビネガー・ピクルス、しかもスパイスの利いたのが好きだと。なんとか一口メロンをグリーン・カーテンに仕立てたらどうだろうか。一口メロンが鈴なりになれば、楽しいと思う。眺めて涼し、食べて美味し、緑のカーテン。


 春の始め、雪解け水で溢れ、六月雨季には、荒れ狂うように流れていた川のせせらぎだった。ところが、日照り続きの今は、野の草木の渇きに水を配ったせいか、水の勢いに精彩がない。
 小鳥のさえずりもないではないが、あるのは朝まだきだけ。わずかにあるのだが、これとてカラスの叫声にかき消される。七時前には、鳥獣の声はすべて沙汰やみで、次は、蝉の合唱が始まる。蝉はよく言われるように、土の中に7年も幼虫で過ごし、地上に出てきて、わずかに10日ばかりの命である。儚い命を恋に求め限りなくミーンミーンと鳴く。紀貫之の『花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける』である。



kashi-heigoの随筆風ブログ-ひまわり


 さすがに元気がいいのは、太陽の動きにつれてその方向を追うように花が回るひまわりである。生長が盛んな若い時期だけ太陽を追って動く。上部の葉は太陽に正対になるように動き、朝には東を向いていたのが夕方には西を向いている。日が没するとまもなく起きあがり、夜明け前にはふたたび東に向くのである。なんとも不思議な花である。


 あまりの暑さに、畑も閑散としているが、案山子は色とりどりの着物をまとい元気である。今までは、竹や藁で形を編んだものが多かった。鳥獣にとって、人間様がと思わせる仕掛けがだいじだったが、今は学習能力も高く、生半可な案山子では効果がない。半分は気休めであろうか、おまじないみたいなものである。それでも巨大な目玉を模した風船やCD盤を吊るしたり、銀色のテープを張ったり、風車を回して、きらきらと光りながら、鳥獣を威嚇する。すぐに、カラスの奴は学習する。カラスとて、生きてゆかねばならない。

 まぁ、そうは言っても暦の上では、立秋である。暑さのピークもあと少しだろう。生きとし生きるものも今しばらくの辛抱である。