この間から、外で飼っているクマ公が、表は暑いから家の中に入りたいと言ってきかない。この猫は訳ありだった、どこかで飼われていたのであろう、妙に人懐こく年がら年中お腹が空いたとエサをせがむ。こ奴の素性は、渡り猫だった。エサを求めて、親切な家を渡り歩いていたが、縁あって我が家の外猫として引き受けることになった。犬のように家内の後を畑などについて来る愛(う)い奴なのである。この春には、去勢手術も施して、晴れて飼い猫に昇格したのだった。



kashi-heigoの随筆風ブログ-熊


 ところが、家には今一匹、乳母日向で育った我がままのメス猫のミーコがいる。どうもクマは、ミーコが癪にさわって仕方がないらしい。入ってはいけないという家の中に土足で上がり込んで、ミーコのエサを食い荒らす、あまつさえミーコを追いかけ腹ばいになって、覆いかぶさり、羽交い締めにしようとする。それも再三再四どころではない。その度に、都会育ちのミーコは恐れ慄いて脱糞さえしてしまう。今朝もその騒ぎで、何が起こったかとすっ飛んで行ってみれば、いつもの兄妹喧嘩である。思いあまって、その辺にあった棒切れで二三発、クマの背中を引っ叩いてやった。するとよほどショックだったのか、もうニャンともスンとも言って来なくなった。


kashi-heigoの随筆風ブログ-ミーコ


 この間、海の日の休日にアメリカと横浜にいる孫が四人が親に付き添われてやってきた。小学校に上がっているのと園児の孫である。仲よく遊んでいるときはいいのだが、少し拍子が悪いと大泣きの大合唱が始まる。四人のうち一人は赤ん坊だから、別にしても、残りの三人は一緒にずっと遊ぶとなるとなかなか難しいらしい。なかでもひとりは女の子である。なぜかひとりがノケモノになってしまう。よくは分からないが、いまの子どもは、我慢と言うことを知らない。ノケモノにされようものなら、自分の気が済むまで泣きわめくのである。あまりの我がままは許すまじと一発ガツンとやってしまいたくなる。親は黙って、「泣く子と地頭には勝てぬ」とばかりに、泣いている子に結局は軍配が上げてしまう。躾がなっていないと思う。躾(しつけ)とは、身(み)が美しいと書いて、躾という。躾という漢字を分解すると、「身」と「美」とからなり、「身だしなみを美しくする」と解釈できるのだが、・・

kashi-heigoの随筆風ブログ-喧嘩


 昔、中学校で体罰というのがあった。ある時、授業中に教室で生徒のAとBが喧嘩を始めた。すると先生は、AにBを思い切り殴れと言う、Aが殴ると今度は、BにAを仕返しに殴れと。軍隊上がりの先生だった。今から思うとヒドイ成敗だったと思う。家に帰って、その出来事を親に話したが、何も言わなかった。今なら、モンスター・ピアレントやらが大騒ぎして、TVがとりあげ、「校長は、どんな監督を・・」、「教育委員会は、どう決着をつける」と世間の注目となうところだろう。時代が変わったのだ。


 一発ガツンとやるのは、家の猫の制裁までは許されるが、孫となるとどうだか。猫ですら家内は、「クマちゃん、可哀想に」だと。

 孫も幼児の間は猿と同じだと思うのだが・・・。理屈で説いて分からなければ、一発見舞ったらどうかと思う。これも先の軍隊上がりの先生と同様で、「暴力はイケマセン」になるのだろうか。