つい一週間前まで、少し肌寒いなどと言っていたのが、嘘のようである。もう夏本番の真っ盛り。むんむんと暑い熱気が立ち込めている。さすがに畑の野菜も喉が渇いたと打ちひしがれている。庭の紫陽花も元気がない。朝方こそ郭公や雉の鳴き声がしたが、こう暑くては姿も見えない。聞こえるのはニイニイ蝉とアブラ蝉の鳴き声だけ。青空が広がってきた。北陸もとうに梅雨明け宣言。
今朝、朝早く、海沿いを散歩した時に見た海は、すっかり夏の海だった。布面に細かい皺(しぼ)のある縮織りを広げたように、さざ波を遠くまで押し拡げている。太陽の照りを避けて、もう早い時間から、釣り人の影があった。
釣りと言えば、先日、孫が遊びに来て海に行った。その話をしよう。
「ジージ、手のひらをツンツンと魚が、突くんだよ」とか
「ボクのお手々をお弁当箱と間違えたのかな、ご飯食べにくるよ」と。
孫たちが、波打ち際で楽しい遊び体験をしたのである。
幼年の頃、小さなドジョウのような魚を捕えて遊んだことを記憶の糸を手繰り寄せて、辛うじて映像として結んでみた。その魚は、ニョロニョロした生き物だった。子どもの掌(手のひら)に、カキ貝の身を握り、石と石の間に、手を入れておくと、手の中にツルっと入ってくるのである。ハゼ科のミミズハゼか何かであろう。富山湾のボクの田舎の海辺では『あぶらぎっちょ』と呼んでいた。
『あぶらぎっちょ』を獲るのを孫にも体験させようと、テトラポットについているカキ貝を潜って採ろうとしたが、ボクには息が続かない。娘婿に応援を頼んだ。このテトラポットは、人口の岩礁になり、岩ガキがびっしりと貼りついている。そのカキをエサにした。道具など竿も釣り糸も、網も要らない。必要なのは、人間の掌だけである。
ボクの少年の頃の夏休みは短かった。農村地帯では、田植え休みに、稲刈り休みとあったから、その分休みの期間は削られたのだろう。七月二十五日くらいから休みが始まり、八月いっぱいで終わった。それだけに、夏休みは貴重な長期休暇である。昭和三十年代だから、今のように土曜日が休みではない、祝日もたいそう少なかった。夏休み中は農閑期でもあり、家の手伝いもさしてなかった。指折り数えて夏休みの到来を待ったものだ。夏の遊びは、何と言っても、海辺の遊びだった。いつもは、竿をもって出かけるのだが、竿がなくて、泳ぎに飽きたときなどいつも『あぶらぎっちょ』を獲って遊んだような気がする。
日頃テレビゲームとやらで、テレビの前に釘付けである孫らにも、自然の体験をさせてやれた。嬉々としてはっしゃいでいた。孫らがこの田舎にやってきて、ボクも60年を経て、あの時の幼年時代の記憶がよみがえった。月日は水車のように巡るのだろうか。
我が師松下緑氏の戯訳で、曹植の薤露行(かいろこう)から
天地は極み なきものを 天地無窮極
月日は巡る みずぐるま 陰陽轉相因
人がこの世に ある事は 人居一世閒
風に吹かれる 塵に似る 忽若風吹塵