数日前の海の日を挟んで、孫がおおぜい我が家にやってきた話はすでに書いた。今回は、その折の裏方の話をしよう。

 その時の人口は、孫と親たちを入れると10人にも膨れ上がった。いつもはだだっ広いだけが取り柄の、百姓家もこの時ばかりは、威力を発揮した。廊下も畳が敷けるようになっているから、障子戸を外せば40畳ぐらいの大広間になる。親父が、法事をしても困らないようにしたものである。ボクは、この部屋を用いて、親類の行事などもよくやったものだ。先年、義母の米寿の会も、孫や親戚20人ほど招いて、お祝いの場に提供した。田舎のなんの変哲もない家も、こういうときは価値が上がろうというもの。



kashi-heigoの随筆風ブログ-間取り


 そんなわけで、この夏もお盆に孫や親戚が集っても困らないと思う。テーブルもいくつか用意してある。田舎の百姓家というのは、物置だけでもは収容十分であるのに、二階に加えてガレージもある。これは、昔から収穫物の保存・収容を考えての永年の慣行からきているのだろうか。
 子どもにとっては、遊びの場所としては、たまらない魅力である。朝は、6時前から床から抜け出して、はしゃいでいた。


 いくらか困るのは、三度三度の食事である。この当番は、ジィージであるボクの役目。いつの頃からか、不文律になっている。アメリカからやってきた孫など好みがうるさいのでは、別の孫には食べ物アレルギーが、また大人には塩分が濃過ぎはしないかと気を使う。バターやチーズを使いすぎると、「バター臭い」などと非難をされる。これでもいろいろと気を遣う。元来が、バターの臭いとは、西洋臭いから西洋風の味という意味で、西洋かぶれした人を指している。しかし、これも今やすっかり死語である。


 ここは、しっかり和食で統一しようとボクは考えた。初日は魚尽くし、二日目は天麩羅、三日目は麺類と言う風に。そこまでは、ボクの意見も通らず、和洋折衷料理となった・・

kashi-heigoの随筆風ブログ-おにぎり1


 今回、ボクはあらためて、新しい発見をした。大人たちは、新鮮な魚の旬の料理を求めて、寿司屋が好いというが、夏は、その限りではない。夏とはいわず、お腹にたまり、力がつくものに、日本の伝統のシンプルな料理がある。しかも、日本人にしかこの素晴らしさが分からない。簡素にして奥深い味なのである。作り手によって、材料の活かし方によって、これほど違いが出るものがない。それはほかでもない、日本人なら誰もが口にする、あの<おにぎり>である。


 やはり炊きたてのご飯を握ると、一番美味である。できるだけ熱めのご飯で、力を込めすぎないで握る。ひっつくからと水は多く用いない。口の中でパラリとほどけるくらいの、ふっくらさに握ることである。味付けの基本は塩味。「手塩にかける」というくらいだから、ここが肝要である。あとは、具である、梅干し・シャケ・おかか・たらこなどあるが、それは好みだろう。巻く海苔もパリッとしているほうがいい。三角形・俵形・球状などあるし、子どもにはピンポン大のボールがいい。


kashi-heigoの随筆風ブログ-赤だし kashi-heigoの随筆風ブログ-おにぎり2


 贅沢を言えば、赤だしの味噌汁に沢庵があれば、いくつでも口に入る。おにぎりの味は、日本人にしか分からないと書いたが、ボクの娘婿は生粋のアメリカ人である、ことのほか、このおにぎりが好きである。料理の美味いものには、国境がないのかもしれない。

 また、お盆に今度は、大勢で大人がやってくると言う。大広間に、テーブルを並べて、大皿におにぎりを山盛りに置こうかと思う。