アヤメちゃんの話は以前に、いくどか書いた。『アヤメの花咲く頃』http://goo.gl/X3ZlIとか、『オレの魂胆を見破ったあの人』http://goo.gl/YdLM0に。この人は山形の出身で、雪国の出のせいか色白だったが、訛はほとんどなかった。憂いを含んだようでどこか寂しい表情をする時がある。どちらかと言えば、なんでも喋るあけっぴろげな性格が気に入っていた。ボクが、初めて彼女から、身の上話を聞いたのは、通い始めて1年ほど経った頃だった。


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 ボクの心を打った話をしよう。ボクが頼むと、彼女は山形弁で喋ってくれるのだが、その日もそうして長々と語ってくれた。


 三年前の、秋のことだす。祖父が永年の心臓病を患っていて死んだのだけんど、その葬式の時、母と10余年振りに顔ば合わせたんだず。なにしろ、わだすが中学校1年の時に、母が家ば出て行ったきりだった。長いこと、どこに行っか分からなかった。懐かしかったんだず。たくさん話ばしたかったけんど、そのときは、時間の都合で、わだすが上京する前にいっぺん、母の家に遊びに行く約束ばして別れたんだす。
 母は、山形市のマンションにひとりで住んでいたんだ。その日、わだすは料理の腕ばふるって作った。卵焼きと肉じゃがば作ったんだ。それに、家から持って行った、畑のキュウリとトマトとレタスで簡単なサラダも用意したんだ。2人で食事ばして、お酒ば飲んだ。母も喜んでくれて、えらく楽しかっただす。

 

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 はじめは、あたりさわりのない話しばしとたっけ。でも、わだすが一番聞きたかった「何故、いなくなったんか」ていう話だ。母も話したかったろう。やがて、母が淡々と、話ばし出した。わだすも、母が辛くなんねえように、途中、冗談ば入れながら、聞いたんだ。少し、しんみりしただ・・
 
夜遅く帰る間際になって、
「今日はおかあちゃん、何にもしてやれんでごめんな。」と言ったんだず。
んだども、わだすは
「それなら、残ったご飯で、昔の梅干しのおにぎりば作ってけろ」と言ったたんだす。
「ほだなもんで、ええのか」と、
笑いながら、いっぱい作ってくれた。

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 帰り、駅からタクシーに乗ったんだず。今日のことば思い出してるうちに、不覚にも涙が、ボロボロと出てきた。そしたら、運転手さまがびっくらこいて、
「気分でも悪いんか」と聞くんだず。
わだすは、
「いえ、今日の出来事思いだして、なんか嬉しくって、自然に泣けてきたんだ」と答えた。
そのうち、泣いたり笑ったりしながら、今日の事ば運転手さまに、話ばした。
すると、運転手さまも一緒になって、泣き出してしまっただ。
「よかったな、よかったな」と鼻水まで、すすってるんだ。
そのおにぎり、あんまり勿体なくて、東京まで持って来た。今も冷凍庫に入れてある。元気のでない日に、1コずつ、大事に大事に、食べただず。少し、涙のせいで塩っぱかっただす。

 

「アヤメちゃん、まだそのおにぎり、あるのかい。一度食べに行っていいかい」と聞いたら、
「平ちゃん、それ食べたら、わだすを嫁っ子にしてくれっか」と。
 残念ながら、おにぎりのご相伴には、あずからなかった。アヤメちゃんは、なかなかのストリーテラーだったから、今もって、彼女のおにぎりの話の真偽のほどは、定かではない・・