kashi-heigoの随筆風ブログ-美脚1


「平ちゃん、あなた、さっきから、あそこの可愛い姐さんの長い脚ばっかり、眺めているわね。お故郷(くに)の大根が懐かしくなったんじゃなーい」と。
 そう言ったのは、いつもの赤坂のクラブXXのアヤメである。


「あなたこれは、メタボで『死の四重奏』ですよ。このままの生活じゃ、間違いなく、早死にです。私が保証します」と。
 50代半ばを過ぎた頃、藪医者であるにしても、憎々しく、そうまで言われると、たまらない。「死の四重奏」とは、肥満・糖尿病・高脂血症・高血圧のことだと。命あってのモノダネである。畑があっての芋のタネである。誰だって、命が惜しい。
 過ぎてみれば、早いものでもう10余年も前の医者の苦言だった。


kashi-heigoの随筆風ブログ-死の四重奏


 営業という職業がら、いや半分は騒いで飲むのが好きだったのだが、毎夜遅くまで酒を浴びて、夜の街を徘徊し、脂粉の匂いを嗅ぎながらのお天道さまとは縁遠い生活だった。都会で長いことサラリーマン生活を続けていたとき、ふとひとりになるとき、自分に言い聞かせたものだ。
「いつかは田舎に帰って、自給自足と言わないまでも、自然の恵みを十分摂り入れた生活をしよう」と。


 そして、田舎に帰ってはみたものの、おいそれと適当な土地がそこらに転がってはいない。近くの畑とは名ばかりの土地40坪は、耕作放棄されコンクリートのように固かった。ミニショベルで土おこしを頼んだのだった。それでもまだ固いところが残った。
 モノの本によれば、始めに大豆を作れば、土を耕してくれると書いてある。土地の隅は、豆を植えた。豆はできるし、窒素分を含んだ、土壌にしてくれた。中学の理科で習ったのだが、豆の根っ子に粒をつけ、その中に根粒菌というバクテリアが住みつくかららしい。すると面白いもので、次の年からなんでも作れるのである。
 北陸の地は、気象条件の制約から、菜園作業が出来る期間は、だいたい4月から11月までの8か月である。この8カ月の期間をフルに活用して、自給のための作物を作ろうと。

kashi-heigoの随筆風ブログ-畑2


 昔から、人間ひとり米一俵という。それだけあればなんとか飢えを凌ぐことができる。野菜だけなら、面積で20坪ほど要る。家内と二人合わせて倍の面積の40坪が欲しい。野菜はだいたい連作が利かないから、やや多めに要る。それと北陸は、冬の期間があるから、その点を考慮に入れると野菜も自給を考えて二人で50坪は確保したい。実際には、お米は小作料の年貢をお米で貰えばなんとか賄える。
 ボクは少し栽培面積を広げ、今100坪ほどの畑を耕している。もっとも100坪と言っても、あっちこっちに散在している。家内の実家の庭の隅の畑も、家の背戸の半日陰の長細い土地も勘定に入れての話である。


 昔から、四里四方で採れる旬のものを正しく食べようという運動があった。山海の珍味などと言わずに、魚だって季節のものを食する。今、これができれば最高の贅沢である。身土不二などという。これは、文字通り、身(身体)と土(収穫物)はふたつにあらず。暮らしている土地の周辺で採れたものを食べれば、身体にも環境にもいいと。
 『医食同源』も同じこと。聞けば、孫もアレルギーだ、アトピーだと言う。都会では、肉だけでなく、生鮮品の野菜までも、輸入品の洪水に押し流されそうだ。農薬のない、食品添加物の入らない食物をほんの暫くでも、味わわせてやりたい。

kashi-heigoの随筆風ブログ-夏大根

 ところが、俄か百姓である。作り方は、インタネットの情報を頼りにやるのだが、どのくらい面積に、いかほど収穫できるかがわからない。大根も山ほど作ってしまった、
「平ちゃん、夏大根なんてほんの少しで好いがよ。秋に作る大根なら多くていいがぁ。冬を越しても食べられるから。夏大根はそんなには要らんがよ」と近所の菜園師匠。
 
 冒頭のシーンではないが、都会の脂粉の匂いの濃い街で見た数々の大根は、白く長く見えた。少しばかり細く品がいいが、そのうちきっとトウが立つに違いない。わが畑の大根は太くてたくましいが、ただ採れ過ぎると始末に困るのである。あっちこっちに貰ってもらったが、どこの家でも二本もあれば、十分である。冬大根なら、沢庵と言う手もあるが、夏大根では、処置に難儀する。家内はそうはさせじと、朝から採りたての大根を干し大根にすべくさかんに切り刻み加工している。籠に載せて、天日干しにするのだと。都会の夜に見た白い大根は、残るとどうするのやろうか。