少年の頃から、特に用がなければ、たいてい海辺の堤防に腰を下ろして遠くの海を眺めたものだ。天気がよければ能登の山々も見える。四方海に囲まれた日本のどこにでもありそうな海辺だが、四季による海の変容がボクには面白かった。なんの変哲もないと思っていたのだが・・・
「キミの住んでいるところに、一万年前の埋没林があるというじゃないか。しかも世界最古だとさ。もしかすると、世界遺産になるかも」と、電話かかって友人が知らせてくれた。
なんでも、テレビのクイズもどきの番組で紹介されたらしい。少しは知っていたが、改めて言われると再認識して、ちょっと誇らしげな気分になった。一万年前の林が海に沈んで、立山の雪解け水が地下を潜って海に吹きだし、炭化を防いだために腐食しなかったらしい。そういえば、昔年寄りの漁師たちが話しているのを聞いていた、
「海の底には、魔物が棲んでる。魚がいっぱいいて網を入れると、必ずもっていかれる」と。
我が家から歩いて、ほんの5分の海に沖合い800メートルくらいのところに、海岸に平行して、数キロメートルも連なってあると。水深が精々40メートルだからそんなに深くはない。
世界最古と聞いて、すっかり嬉しくなって、翌日、海岸べりを自転車を漕いで潮風を切って走ったのだった。じきに心は、いつの間にかヘミングウエイの『老人と海』 The Old Man and The Sea の世界にいた。ボクは三文夢想家である。海岸の堤に腰をおろし、夏休みにやってくる孫をゴムボートにのせて魚釣りをしようと考えた。あの埋没林のある漁礁を狙って、太い糸を思い切り投げようと。
ある朝のこと、都会からやってきた孫が言う、
「ジージ、今日も魚を釣りに行くの」
老人は暗がりのなかを、海底林のあるあたりをめざして、ゴムボートを漕ぎ出してゆく。しかし、幾日過ぎても、一匹の魚も釣れない。夏休みは、もう終わろうとしている。老人はいつも日本海を女性のように、母のように崇めていた。母なら自分に味方してくれてもいいと思う。その日、孫が都会に帰る日だった。このままでは、釣りあげた魚を一匹も見せることもできない。孫に好いところを見せられなくても好い。やがて、分かってくれるだろう。海と闘う老人の心意気を。
一週間前から、めぼしをつけていたポイントに糸を下ろした。慌てることはない。老人は独り言を吐いて、漕ぐのをやめて、ひと眠りしようとした。そのとき、かなりの大物のマグロが、喰らいついてきた。両手に力をこめて綱を引くが、びくとしない。ゴムボートが、エンジンをつけたように、沖へ沖へ曳かれて行く。半日くらいは、なされるがままである。そして夜がきた。きれいな夜空である。母なる海で、大物のマグロと独り闘うのもいいではないか。絶対諦めるものかと思う。
大魚にむかって老人は叫ぶ、
「おい、諦めずに、おれは死ぬまで、お前とつきあってやる」
「ちょっと、平ちゃん、あんたこんなところで、何をしておるがぁ、奥さん一人にジャガイモ掘りさせて、こい(こんな)ところで、昼日中から居眠りこいて、ダラ(馬鹿)じゃないがぁ。世間の人に嗤(わ)らわれるわぁ」と。
同級生のE子である。こ奴はもしかしたら、ストーカーでなかろうか、いつもボクを監視している。
「わ(汝)こそ、なにしているがぁ。俺ぁ、今海のスケッチよ」
すると、
「私の家の畑がそこよ。キュウリを採っておったら、平ちゃんが、堤防に坐って、船をこいでいるから、海に投げ出されるかと心配でよ、あんた、どこにキャンパスがあるがぁ。なんで画くがよ。」
だから、言ってやった
「E子、俺ぁよ、いつも目ん玉というカメラで景色を捉え、心で深い奥行きのある色に仕上げ、頭で記録しておる。」
ほとんど呆れが顔で、
「きゃ(これは)どうしようもないダラ(馬鹿)やわ」と。
悲しいかな、たしかに、そこには、すでに若くはない男がいて、海があったが、ヘミングウエイの『老人と海』とは、何の関係もない。ただ、世界最古の海底林が腐らずにあることだけは、確かである。