kashi-heigoの随筆風ブログ-美猫1

 


この間から、ガレージの二階に、斜向かいのサバエさんのところの、鈴ちゃんがときどきやってくる。この二階には、都会に住まう子どもたちから預かった所帯道具など置いてあって、猫のおしっこでもひっかけられたら大変と家人が心配するのだが、それでいて、猫の嫌がる忌避剤を撒けというと、これまた臭いがきついという。最近は、猫の動きを赤外線センサーで感知する超音波で猫を追いやる装置もあるのだが、けっこうお高いらしい。

 

鈴ちゃんは、この場所がいたく気に入っている。昼寝をしにやってきて、ちゃっかり、家の外猫クマの餌を食べたり、一緒に遊んだりして、過ごすのである。家人は、鈴ちゃんとクマを見て、「なんだか夫婦気取りね」というが、実はその通りなのである。ボクは、以前に、『白と黒のバラード』http://p.tl/TL6r  でも書いたが、一月の終わりだった。まだ雪が降っていた頃だ、一夜を共にした鈴ちゃん、朝方ガレージを開けた途端に逃げ出すのをボクは見たのだ。家人は、さほど心配していなかった、なぜならクマが去勢手術をほどこしてあったから。しかし、手術の前にも、そのお泊まりはあった。ボクは知っていたが、いずれ玉を抜かれるクマに憐憫の情を感じ、家人には黙っていた。
 だから、この場所を単に鈴ちゃんが気に入っているのではない。それには、理由があると睨んでいる。日数は満ちて、きっと産褥の日は近いのだ。出産の寝床に、このガレージの二階を当て込んでいるにちがいない。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-美猫スケッチ


一方のクマときたら、食欲を除けば、世の出来事にほとんど関心がないのである。ボクは、その心情を推し量って、クマになりきり、『将棋の玉とりではない』http://p.tl/xzoI  とか、『矢折れ、弾尽きたクマ公』http://goo.gl/N8ZzQ  を書いたのだが、近所のクマの女友達がいくら秋波を送ろうとも、反応がないどころか、まったく興味がないのである。

 

昨日も、家人とサバエさんの話しているのを耳にした、
「あんたねぇ、家の鈴ねぇ、どうもぅお腹に子を宿しておるがぁみたいや。テテ親は、どこのどいつやろぅ」と
すると、家人は、
「クマじゃないのよ。クマは、処置してあるからね。可哀想やけど、まだ産まれんうちに、獣医さんに連れて行けば、・・・」と。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-熊


この鈴ちゃん、青色の眼をしている美猫である。その上に、子猫の頃から、お兄ちゃん猫のクマを一途に慕っていた。「あの人は、イケメンだから、好き」とか、「この人は、スタイル抜群だから」とか、「お金持ちそうだから、好い」というのではない。産まれたときすでに、クマが傍にいたのだ。鈴ちゃんは、心構えというか徳操をしっかりもっていた。人間でいえば、尽くすタイプかもしれない。熊太郎は、そのスキにつけ込んだのだが、あのバズーカー砲は、今や取り上げられてしまった。最後の砲弾が、鈴ちゃんに届いたのかもしれない。

 

冬の1月の終わりと言えば、極寒だった。春はまだずっと先のはずだったが、自然の営みは、着々と進行していた。その間に土の下でも、食物の根っ子や種子は萌芽の準備をしていた。今、小鳥のメーティング・ソングもけたたましいくらいである。春の息吹があちこちから聞こえて来る。クマと鈴ちゃんだけを責めるわけにはゆくまい。ボクは、他人ごとにはとても思えない。責任の一端は、ボクにもある。この問題の解決を考えると少し憂鬱になってきた。              2012.3.12