kashi-heigoの随筆風ブログ-東京大空襲


 今日は、3月11日で、あの東日本大震災から、まる一年である。個人的には、この3月11日という日は、ボクの誕生日の翌日にあたる。昭和20年3月10日は、東京大空襲のあった日である。実際に生まれたのは、3月11日だったが、役場に届けるに当たって、田舎の年寄りは、キリの好い10日にしたらしいと。いずれにしても、あまり好い日ではない。


 都会から、田舎に移り住んで、やがて一年になろうとしている。サラリーマン生活に終止符を打とうとしたところに、医者の労作性狭心症の診断。冠動脈になんでも、ロータブレーターとかいうドリルを入れて、血管の内壁にこびりついたコレステロールの石灰化部分を削り取るという。聞けば聞くだけ、おどろおどろしい。なにしろ、血管の中に、先端に人工ダイヤモンドの粉をまぶしたドリルを回転させるという。生来の臆病者であるボクは、歯医者の回転ドリル音を思い出して、すっかり憂鬱になった。その入院加療中に、悪いことは重なるもので、東日本震災が勃発である。その千年に一度という大惨状が、連日TVで繰り返し放映されていた。

kashi-heigoの随筆風ブログ-カテーテル


 電力の供給も心もとないと言う。二度目の手術は、中止になるのではと不安を抱えながら、しばらく待機することになった。災害と自分の手術で極度の鬱状態に陥り、眠れない日々を過ごした。生きる気力も失せつつあったような気がする。鬱病の発症を恐れた。精神の極限状態にあるときは、死さえ覚悟すれば意外と怖いものはないのかもしれない。最悪の場合を考えて覚悟を決めた途端、いくらか救われた気がしたものだ。


 あれから、はや一年である。自然災害の前に、人間の命などひとたまりもないことを見せつけられた。被災者が優先で、当分の間、再手術の順番など回って来ないのではと思っていたが、なんとか手術日が決まった。すると今度は、上の娘がエスカレータに乗ろうとして、足を踏み外し足の骨を折ったという。こうなると次々と不運に見舞われそうな気分になる。そうなると、この不運による心の痛みは、いつもより倍加して感じられる。


 その証左に体重は、半年で20キロ近くも減った。朝起きてから、寝るまで、何か食べることだけに、意を用いてきた人間にとって、食べることに興味が薄れることは、よほどのことである。だが幸い時間の経過が、すべて解決へと導いてくれた。のど元過ぎれば、熱さを忘れるではないが、懊悩した苦しみが、薄れていくにしたがい、食欲も出て来るから不思議なものである。

kashi-heigoの随筆風ブログ-食欲




 人間に五欲あるという、それらは、色欲・食欲・財欲・睡眠欲・名誉欲であると。人間、生きるか死ぬかというときは、当然ながら、色欲、食欲、財欲、名誉欲など不要である。苦しみから逃れるために、のこる睡眠欲はあった方がいい。食欲はどうだろうか、有名な仏作家の言葉に、食欲は食べている時にやって来ると、されば、食べなきゃいい。財欲、名誉欲はどうだろうか。人はどんなにしたって、起きているときは半畳、寝そべっても精々一畳分の存在でしかない。食事だって、一日に精々が三度。あくせくしたって、詰まらない。まあ、そこまで、悟ったわけではないが、まあ、せめて、色欲はあったほうが面白いかもしれない。邪魔になるのは、やはり食欲だろうか。ちょっと、生命の危機が遠のくと、あの嫌われ虫が、釜首を持ち上げて来るのだから、もっとうまい山海の珍味がないかと。ボクのような凡人には、とても御しがたい。                                     2012.3.11