「へいちゃん、オラ、えらいことしたっちゃ。オラ、わ(汝)の父ちゃんに怒られるわ」
と、イサムが泣き出しそうな顔をしている。彼によると、
「布団に包まっている台の上に乗ったら、その台がカメで、それがひっくり返った・・・」と。
それにしても、ものすごい匂いである。
もう60年ぐらい昔、小学2年生の頃、近所のイサムと家の中で、かくれんぼう遊びをしていて、起こった事件だった。当時の百姓家は昼間でも、薄暗く隠れ場所も、納戸、土間、座敷、仏壇の脇、押入れ、炊事場などことかかなかった。ただ寝室の押入れには、近寄ってはいけないといわれていた。その寝室の押入れに、イサムは入ろうとして、踏み台にしたカメをひっくり返したのだ。
その頃毎日、親父は晩になるとカメから、魔法の白い水を汲んできていた。そのカメは、毛布で包まれ、その上に布団がかぶさっていた。イサムが、ダメだといわれていた、寝室の押入れに入り込んで、そのカメをひっくり返したという。責めを受けるのは、僕である。大変なことをしてくれたと思った。その白い水が出来たあと、その粕にご飯を入れると甘酒ができる。母はときどき作ってくれた。甘酒はいいとしても、魔法の水は、あまり大ぴっらにしてはいけないということもなんとなく子供心に分かっていた。その晩、親父にこっぴどく叱られた。まず、入ってはいけないと言われていた寝室に近づけ、しかも押入れに友達を入れたこと。その上に、親父が大事にしていた魔法の水を台無しにしたことである。イサムにまで、咎は及ばなかった。ただ、ほとぼりの醒めるまで、彼も僕の家を避けていた。きっとイサムも自分の家で、この話をしたに違いなかった。
僕は、昔の親父が作っていた同様のものを作ろうと思う。妙に胸の高まりを覚える。その魔法の白い水は、ドブロクである。炊いた米に米麹などを加えて作る酒。ドブロクは濁り酒とも言われる。非常に簡単に家庭で作ることもできるが、許可無く作ると酒税法違反に問われる。
今回は、初めてだったので、簡便に作ってみた。米を5合ばかり炊いて、3リットルの水に米麹を500gと発酵を早めるためにイースト菌と少しばかりのヨーグルトを加え、アルコール度数を高めるために砂糖を小さじ2杯ほど入れた。
4日もしないうちに出来てきた。少し酸味が効いた爽快感のある飲み物で、麹の香りにほんのり甘みがあり、酸味も加わって味わいのあるお酒になった。韓国のマッコリに似ている。ペットボトルに七分目までつめたのだった。
正月元旦、家族が全員そろったところで、封印していた親父の秘密を暴露し、みんなに振舞おうと思った。60年近い前、イサムに代わって叱られた曰くつき酒である。酒税法違反を犯してまで作った酒である。ふたを開けた。その途端、みんなの悲鳴が上がった。炭酸ガスが噴出し、その勢いで中身がほとんど噴出した。辛うじてほんの少し酒が残った。みんなに盃に一杯ずつ、申し訳程度に注いだ。
一度発酵したドブロクが、ペットボトルの中で二次発酵したのである。ボトル内の糖が炭酸ガスとアルコールに変わり、ボトルの中に炭酸ガスが満たされ、ドブロクの中にも溶け込んでいったのだ。シャンパンと同じである。美味しくないわけがない。みんなの声は
「フルーティで、美味しい。もっとないのー」と。 2012.1.3