kashi-heigoの随筆風ブログ-雪道2


 正月というと雪はつきものである。昔は、随分と雪が降ったと書いたが、最近は、平野部の豪雪とか大雪という話は、あまり聞かない。雪景色は、世界が真っ白で、それが太陽の光に照らされと、目映いくらいに銀色の世界になる。太陽の位置やときどき舞いあがる粉雪によっても様相が一変する。殊に夕方など光景は、銀色あり金色ありで、見事な世界が時間を追ってパノラマになって変わるのだ。


 そんなにいいことばかりでなく、むしろ酷くて難儀することの方が多かった。たとえば、1メートルも積もった日には、難儀なと言うものではなく、苦渋に近かった。家から、小学校や中学校まで、1里もある。その道は、細くて幅が50センチくらいのものだ。それが延々と蛇行して続く。先頭に足ののろいのがいると、隊列全体がそののろさに合わせざるを得ない。雪が深いから、追い越しようがないのだ。だから、学校まで、一時間以上もかかって行ったものだ。

kashi-heigoの随筆風ブログ-細い雪道

 小学生の低学年の頃は、長靴が滑るからと、藁の雪靴を履いて、マントを被り、その上からゴザ帽子を載せて、やっとの思いで学校まで行った。学校に着いたのはいいが、もっと降ると危ないと授業もせずにすぐに帰されたりした。各家庭に電話は、おろかラジオもなかった時代ある。
 ただ、そんな長くて辛い長い道も時には、ショートカットされ、短くなることがあった。ほんの稀なことだが、大雪の降った日の後に、ものすごい快晴が訪れることがある。野原に積もった1メートル以上の雪が、冷温で凍てついて、その上を歩くことができるようになる。すると、今まで学校までの三角形の2辺を歩いていたのが、1辺でよくなるという行幸に巡り合えるのだ。

kashi-heigoの随筆風ブログ-虹


 「人の一生は重き荷物を背負いて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つ事ばかりを知り負くる事を知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるよりは増されり」とは、徳川家康の遺訓とされる。


 考えて見れば、ボクなど重い荷物こそ背負わなかったが、ショートカットばかりを考えて、三角形の2辺を歩くより1辺ですまそうとばかり思念し、楽な道を模索し、それを求め結局のところ、3辺回って元の地点に逆戻りのような、生き方をして来たような気がしてならない。されど、無駄足をしたからこそ、雨や嵐の後に、時には七色の虹も見ることもあった・・・と思うことにしている。         2012.1.1