kashi-heigoの随筆風ブログ-綿帽子


 今朝、目を覚まして窓の外を眺めれば、一面の雪景色。しばらくして、雲間から太陽も久しぶりに顔を出し、次第に青空も広がりだした。庭の木々もすっかり綿帽子をかぶり、純白の衣に装いも新たにした。綿帽子と言えば、角隠しと同義語。日本古来の伝統的な『和』の花嫁姿である。角隠しは、角を隠して従順さを示すと言う。白無垢だけに、どんな色にも合わせることが出来る。綿帽子は、新郎以外の男性に顔を見せないためと、なんと奥ゆかしく、初々しいことよ。イスラムのヘジャブとは、ちと意味合いが違う。


 高校一年の冬休みの頃だったろうか。雪が降ると何もすることがない。テレビもそんなに普及していなかった。いや、少なくとも僕の家にはなかった。街に出るにも、幅一尺余りの細い道を、小一時間もかけて歩かなければならない。村里のこと、ただじーっと家に籠ってもいるしかない。唯一つ楽しみと言えば、夕方に食事も、そこそこに向かいの美人姉妹宅に、テレビを観に行くことだった。テレビが終わるとトランプゲームが待っていた。精々「ババぬき」「7ならべ」「ページワン」だったと思うが、楽しかったこと。コタツを囲んで遊んだものだ。

kashi-heigoの随筆風ブログ-餅つき


 姉妹は、揃いも揃って背が高く、笑いの絶えない、ふくよかな美人だった。かたや弁天なら、こなた小町である。雪のように色白なのである。トランプの罰ゲームでは、勝ちの二番目に多い順に手を重ねて、一番勝った方が、上から打つのだが、勝つより負けた方が良かった。恥ずかしながら、二人の手に触れることでどれほど幸せであったか。殊に三つ年上の妹の手は、細く長く優しく暖かだった。コタツの下では、もしかしたら足が触れていたかもしれない。テレビゲームもカラオケもなかった時代である。


 雪のように白い手で思い出した。正月用の餅つきである。昔は、どの家でもお餅は、自分の家でこしらえたものだ。家の土間にムシロを敷いて、臼を杵でついた。つき方とこね方がペアで餅をつくのだが、家では親父が面倒だと一人で、二役をやっていた。お釜にセイロを何段も積んでもち米を炊く。一斗もついたものだ。白ののし餅、黒豆入りの豆餅、よもぎ入りの草餅、昆布の入った昆布餅、餡子餅、きな粉餅。この餅が揃って、初めて正月を迎える準備が終わる。白い餅は、神棚とお仏壇に供えた。


kashi-heigoの随筆風ブログ-白無垢

 あの頃は、醤油に砂糖を混ぜた漬け汁に大根おろしで辛味を利かせ、焼いた餅を浸すだけだが、豆餅など塩の味が利いていて旨かった。焼くと言ったって、コタツを剥いで、囲炉裏の炭を熾(おこ)らせて焼いた。後年、東京に出て、焼いた白い餅に味噌と長ネギを載せ、さらに海苔で巻いて食べることを親戚の家で覚えたが、なんと贅沢な食べ方だと思った。最近では、孫などもチーズ、バター、マヨネーズなどつけろと、食事だかおやつだか、わけのわからないことを言いだす。おろし生姜、納豆にゴマ油ぐらいまでは許そう。餅は、庭の木々に載った綿帽子みたいに、白くなければならない。


 ずっと以前のブログで、『柿の葉で編んだショール』(http://t.co/CiQurQ8j )として、向いに住む美人姉妹のことを書いた。トランプをした翌年、あの二人は、相次いでお嫁に行った。今朝の庭の木々に載った、雪の綿帽子のように、白無垢の角隠しをつけて、海辺から山里へ嫁いだのだった。              2011.12.23