親しい友人が、再婚をして長く住みなれた鎌倉から居を静岡の網代に移したと、以前ブログに書いた。その彼から久しぶりに、いつもとは違う神妙なメールが届いた。『9月3日網代の病院で母が、肝臓がんのため、みまかりました。慢性心不全、高血圧、腎臓などを患い満身創痍でしたが、ほとんど苦しまずスーッと息を引き取りました。大正2年に生を受け97歳を最期に、この地、網代で天国に旅立ちました。母は、ひとり息子の再婚を慶んでくれ、この網代の家を贈ってくれました。私は、母に何をしてやっただろうか・・』と書いてある。


 僕は、ときどき人生を四季になぞらえて考える。少し慾ばって、人生を100年としよう。日本の四季は、正確に3か月刻みだ。弥生の3月から皐月の5月までが、春だろう。雪解けから、梅の花が咲き、木にとまって鶯が鳴く。桜の花が開いて葉桜になり、やがて新緑を迎える。人間でいえば、初めてこの世に生を享け、幼児期を親の愛に包まれて過ごす。自我に目覚めて、学びの期間に移る。感受性が陶冶される時期でもある。だから、25歳ぐらいまでを人生の春としよう。

 次の夏は、皐月の5月から始まる。生きとし生けるものが、春に蓄えたエネルギーを発散させ、鳥は羽ばたき、草木は緑濃く葉を広げ、枝を張って繁茂する。人生においても、青春を迎え、もっとも輝ける時節である。社会に出て、自らの口を糊することを覚える。やがて、伴侶を得て愛の巣を営み、子をもうけることになる。この時期が、いちばん長く感じられる。収入の道を確保することに重きが置かれるが、行事も次々と順を追って訪れる。子供の教育などにも時間をとられ、なかなか大変である。子どもが多ければ、なおさらであろう。住居の取得も都市などその場所によっては、たいそう難儀である。昔から、家を持って出世と言うくらいだから。社会での礎を、築きあげるのは、エネルギー旺盛な50歳までが、この時季にあたる。


kashi-heigoの随筆風ブログ-新緑


 そして、秋が訪れる。暦でいえば9月の長月。まだ気温が高いが、暑さ寒さも彼岸までというから、確実に日の暮れるのも早くなる。何よりも、うれしい収穫の季節でもある。ところが、思わぬ番狂わせもある。たとえば、台風というやつが甚大な被害をもたらす。人生においても同様で、仕事のしすぎで身体を壊すことも。癌など思いもせぬ病気に見舞われることもあろう。子供に足を引っ張られて、頭を悩ますことも。親との永の別れが待っていることだってある。また、世界の情勢の変化で、経済の荒波に遭遇することもある。リストラだろう。テロ・戦争だって、ないとも限らないし、地震・津波も、原発事故も忘れてはならないが、これは人生の季節とは関係なく起きる。命を落とさないまでも、人生行路における計算外の難破である。一般に、人生の季節に関わる難局を乗り切れば、小春日和が訪れる。定年を過ぎて、人生をやおら振りかえる余裕のできる。


kashi-heigoの随筆風ブログ-秋



 最後の四季は冬である。暦の上では、師走。この凍てつく冬を、囲いのない暖炉でゆっくりと気ままに過ごしたいものである。なんとか平和で平穏無事に過ごしたいと希む。冬の季節の始まる75歳まで、僕には、まだ少し間があるが・・・。

『人の一生は重き荷物を負うて、遠き道をゆくがごとし』とは、徳川家康の言葉である。まさに、箴言。人生には、必ず出発地がある。しかし、終着地はあっても、真に目指す目的地であるとはかぎらない。夢の実現が、その人の目的地であれば、いうことはない。「人生とは航海である」夢がないと航海が、後悔になってしまう惧れもあるやもしれぬ。



わが友も、今はきっと太平洋を望むベランダの椅子に腰をおろし、網代湾を見下ろして、バーボンを片手に想いにふけっているに違いない。「この人生の晩夏を新しい伴侶と、どう楽しく、すこやかに過ごそうか」と。

                        2011.9.10